YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson774
   基準値を自分にもどす−2.読者の声


「バレなきゃいい、バレたら猛省」と、
完全に善悪の基準が「人の目」
になってしまっている人を、

最近、立て続けに見たことや、

人からちょっとバカにされ、
「見返そう」と、
人に見せるためどこか無理をした目標を立て、
心から望まない苦労を抱え込みそうになった

私自身の失敗から、

「自分は本当にそうしたいと思っているのか?」

基準値を自分に、
というコラムを先週書いたところ、
読者から、たくさんおたよりをいただいた。

さっそく紹介しよう!


<自分の違和感、親に伝えてみたら>

Lesson773「基準値を自分にもどす」を読んで、
「婚活」をすすめられている自分自身のことを
振りかえりました。

私は、
同級生が結婚はもちろん子どもが2人も3人もいる年頃で、
両親のすすめにそこそこ応じ、
紹介された人に会ってみたりする日々を過ごしています。

もともと私は、長い間、
他人に基準を預け、
他人の言うことにとらわれていました。

しかし、5、6年前、

「他人が自分の人生責任とってくれる訳じゃない。」

と吹っ切れ、
自分の人生が自分で決められる、と思ったときから、
徐々に、親や周りの期待や言うことを

「聴きはするけど、さほど心を傾けない」

ようになりました。すると、
自分がやりたいことを素直にできるようになりました。

好きな場所へ行き、
周囲が驚くような習い事をし、
毎日、なんだか、
字一つ書くにしろしっくりくる日々を
過ごしていました。

そこに、婚活問題がやってきて、

一般的基準や、両親の基準を
ガンガン投げかけられ、
親からも、他人からも、
今までがんばってきた自分の基準や感覚を
否定されるかの言葉を言われています。

それはもう遠慮なく。
だから、落ち込んだり、いじけたりします。
けど、だからって、

無理矢理合わそうと思わなくなっています。

もともと両親は、無理矢理結婚させようではなく、
私の意見も聞いてくれ、
両親も言いたいことを言う、
でやってきましたが、

さいきん、「婚活で私が感じた違和感」を話すと、
以前より伝わっている感じがします。

婚活という一生の問題はもちろん、
婚活以外でも、

自分の心を信じていこうと思います。
(ぺんぎんのあし)


<譲れないもの>

髪を伸ばすべき、
と人から言われ、私は首をかしげました。

「結婚したいなら、髪を伸ばし、
 カラーリングし巻くべきであり、
 ネイルとまつげエクステも必須!」

と、
「モテるためなら何でもやる」という女性に、
言われました。

たしかに一般受けはそういう髪型かもしれません。
ですが、

基準をそこまで他に委ねていいの?

好きで髪を伸ばすのならともかく、
私はショートカット好きです。
彼女は、さらに、

「あなたの趣味は男受けしないから
 結婚したいなら口に出すな」

と私に言いました。
私の趣味は定番ではないから、
男性から話が合わないと思われるそうです

私は‥‥モテたくないわけではありません。

ですが、そのために、
自分が本当に好きかどうかではなく、
どう見えるかを基準にしてしまったら‥‥

好きになってもらっても、それは私ではありません。

そうやって結婚したら、
本当に自分が選びたいものを、
一生選べなくなってしまうかもしれません。

実際に、「俺の理想イメージから外れないように」
と言われたことのある身としては、
その時感じた

「見えない壁の冷たさ」

をもう味わいたくないと思うのです。

かく言う彼女も
「本当はそんな人だとは‥‥」
と毎回言われるそうで、
私と同じ「冷たい壁」を知っているはずですが‥‥。
どちらにしても、

「相手が思っていたような女性」を一生演じるのは
無理なのです。

できる限り機会を得て、その分たくさんの人に
「君とは趣味が共有できない、さようなら」
と言われるのと、

後でそう言われたくないから、
共有できなくとも認めてさえもらえればいい
と思って行動するのと‥‥

どちらが良いのか。

私は譲れないものを「これは譲れないんです」
としたいだけなのです。

相手が受け入れ易いように演出することと、
基準を相手に委ねることは、違うかもしれません。

ですが、演出も行きすぎれば
「本当に自分が望んだスタイルか?」
に目をつぶることになる。

自分らしさや個性は、時として
「あいつ、変」と退けられる。

私の今の年齢を考えると、あと30年は生きそうです。
その30年をどう生きたいか、
週末じっくり考えてみます。
(春巻き)


<コンプレックスのり越え、気づいたのは>

私は今、小学校で臨時職員として働いています。

障害のある児童の介助をする仕事です。
だから授業をすることや学級担任をすることはありません。
給与は時給換算で、
学校が長期休暇に入れば契約が切れるので無職になります。

実家暮らしなのでなんとか生活できますが、
貯金はほとんどできません。
以前は、民間の企業に勤めたり、
常勤講師という形でいつくかの学校に勤務したことも
ありました。

つい数か月前までは、
「教員免許を持っていながら
 教員採用試験を受けることもなく、
 結婚もせず実家暮らしで、時給換算の臨時職員」
という自分の現状にとてつもない後ろめたさがありました。

ですが、

「もらうお給料がいくらだろうが、
 私はいつも全力で仕事に取り組んでいるし、
 お子さんと関わらせてもらっていることに対して
 真剣に向き合っている」

と思えたときに、
仕事の職種やもらえるお給料や勤務形態なんて関係ない。
私が、私の仕事にどう向き合い、
どう考えているかが重要で、
他人と比べる必要はないのだと感じ、
コンプレックスから少し解放された気持ちでした。

しかし、先日母親に言われたのです。
「私の言うことを聞いて、教員採用試験を受けなさい」、
「あなたの学歴でそんな仕事をしていてはダメ」、
「(昨年度まではフルタイムで働いていたのに
 今年度はこの仕事だから)この一年遊んでいた」と。

母からの突然の言葉にショックでたまりませんでした。
そして、ついに、気づきました。

「私の基準は、母の基準のコピーであった」と。

母の基準に翻弄され、
母の基準で社会を見て、そこから、
自分にコンプレックスや後ろめたさをもっていました。

いま、私は、教諭という立場ではなく、
別の角度から児童と関われるこの仕事にやりがいを
感じているんだ!

と、より強く思います。

私のこの先を心配してくれる母の気持ちも
痛いほど分かります。

でも、私の人生です。

これからもいっぱい悩むし、
グラグラ揺れることが何度もあるだろうけれど、
私の基準で生きていきたい!と思います。
(B子)


<これからは>

気付かないうちに、他人の価値基準で
ものを考えている自分がいました。
まず、「それを本当にやりたいのか?」
自分に問いかけてからじっくり取り組んでいきたい。
(A.T)


<相手基準にのっかった謝罪の果てに>

この教室では
「あ! これ自分のことだ」
「このもやもやの正体はこれか?」
という気づきのプレゼントがあり、今回もそうでした。

10年以上仲よかった友達から会いたくないと言われて
もうすぐ一年が経ちます。

最初は悲しくて寂しくて、
自分のあらゆる悪かったところを洗い出して
友達に伝えました。

とにかく許しが欲しかったのです。

実のない謝罪だったな、
と今ならわかります。

相手基準に乗っかった楽ちんな謝罪でした。

最近ようやく友達に対する
「自分の行動」を振り返ることができました。

ずっと掘り返していくと、

私が、その友達に強気に出たり、
かっこつけて素直になれなかった裏には、

その子が持つ、自分にはない
「強さや可愛らしさ」への憧れがある。

あ、これが自分の気持ちだったんだなー、
と新たな発見でした。

次に会える機会があれば、
自分の素直な気持ちと、
強気な自分を受け入れ続けてくれてありがとうって
言いたいと思います。
(すずこ)



ふたたびズーニーです。

基準は自分でも気づかぬうちに人手に渡っている。
だからこそ、

「ちょっとしたことで、自分に取り戻せるんだな」

と、読者のおたよりに気づかされた。

ぺんぎんのあしさんのように、
両親に、今まで生きてきた自分の基準を否定されたり、
一般的な価値基準を押しつけられたりしたら

へこむ。

でも、へこんでも、そこでどうするか?

自分の基準に照らして、
感じた違和感を伝える。
これをあきらめずにコツコツやる。

これ、大切だ。

読者の実感のこもったおたより、
あと2通だけ紹介して、
きょうはおわろう。


<もうそんな余裕はない>

いつの間にか、基準が、
自分から外に移っている。
私にとって本当は大事では無いことに、
気を取られて、する必要の無い仕事を背負い込み、
必要の無い服を買う。

何度、繰り返してきたことか。

良く言えば『余裕があった』のかな。

お金も時間も。
でも今は、たとえお金や時間があったとしても、
他に基準値を持って行きたくない。

もったいない!

本当に大切にしたいものに労力を注ぎたい。
どんな小さなことでも。

逸れそうな自分に
『あれ?』と気づき、『よいしょ』と戻す作業を
コツコツと続けていく。

最近やっと
自分に基準値を置くことが習慣になり始めてきた!
(クロ助)


<まわりに委ねては自分が無い>

僕が、高校時代、
進学を考えていた頃にした「決意」と
通じるものがありました。

それまでは、
将来のことをぼんやりと、
「社会にでて働いて自立しているのだろう」
と思っていました。

だから、高校に進学するときも、
偏差値そこそこ、普通科、近くて友達が多いとこに。

高校生になって、
クラス分けが進学先によって、
文系、理系、医療系に分けられることになっても、
友達と合わせて文系を選択。

ここで初めて自分に疑問を持ち出しました。

楽しく学生生活をする事は大切だとは思うんだけど

「自分は何者になる気だ?」

周りに委ねていては自分がない事に気づき、
自分が「なりたい姿」を意識して、
初めて自分という存在を認識したと思います。

今は希望した未来に自分がいて、
社会の中で揉まれています。

3月は卒業シーズンであり、門出の時期です。
新しく進学する学生の方々にも、

未来の自分の姿を意識して

勉強に励みつつ、
楽しい充実した学生時代を過ごして頂きたいです。
(イトモノ)



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超満員御礼!
大幅に増席し、4月24日(日)を追加しましたが、
おかげさまで満席。現在、両日キャンセル待ちのみ受け付けています。
(追加の24日分も下記の同じ入口から申し込めます。)
そう遠くないうちに福岡にまた行きます。次の機会もたのしみに!


想いが通じる!言葉のチカラをつける
山田ズーニー表現力ワークショップ

4月23日(土)13:00−17:00
福岡NHK文化センター


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2016-03-30-WED
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