YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson770
      失ったものに凹み過ぎる時は
         ―2.愛と依存


ある結婚式で、
「息子を結婚で送り出す母親」
を見たとき、

子供を生んだことのない私は、

「子育てって、
 つくづく残酷なシステムだなあ。」

と、わたしの母と姉に言った。

母と姉は、
子供を産み、結婚で送り出した経験者であるのだが、

この時、まったく共感してくれなかったことを、
いまでもよく覚えている。

「だって、
 痛い思いをして産んで、
 長い年月をかけて苦労して育てて、
 で、ある日突然、
 ぜんぜん知らない女にとられるんだよ!」

と私はうったえたが、

母も、姉も、まったくピンとこないようで、
「何を言ってるんだコイツは‥‥?」
と可哀想なものを見る目で
私を見ていた。

全国を表現力ワークショップで
まわっていると、

「息子を想う母の表現」

に出くわす。

進学などで子供を遠くに送り出す、
お母さんたちの言葉が、
別れの悲しさは、もちろん深いのだけど、
どこか強く、さっぱり! してるのはなぜだろう。

春から息子さんが進学。

でも、ふるさとを捨て東京の大学に行くことに
息子さんは、罪悪感があり、
浪人しようかどうしようかとためらっている。
そんな息子さんに、

「住民票、東京に移しといたで!
 さっさと行きな!」

と背中を押した、お母さんもいる。

そして、シングルマザーの表現。

私の先入観には、
「夫がいなくて一人で育ててきた分、
 子供が巣立てば一人暮らしになる分、
 別れが辛いのでは」
という見方があった。

でも、遠くに進学した息子に、

「連休には、無理して戻って来なくていいよ。
 それより、新しい土地で人間関係を育んで。
 これまで私が、あなたを思ってきたように、
 あなたを大切に思う人が、
 新しい土地で、できていきますように。」

と言ったシングルマザーもいた。

シングルマザーこそ潔いと
思い知らされる。
今まで、

「長年苦労して育ててきた子をなぜ、手放せるのか?」

私にはとてもムリ、と思ってきたのだが、
先週ここに、

「喪失感は、依存度に比例する。」

と書いて、
気づいたことがあった。

愛と依存は見分けにくい。

両方まざりあってるのが人間だ。
依存は悪いものではないが、
もしも、旅立つ相手の行く手を閉ざしたり束縛したり、
自分の足で立てる部分まで立ってなかったとしたら、
毒化してくる。

私が出逢ってきた「お母さん」たちが強いのは、
自分の世話も子供の世話もちゃんとして立っているからだ。

幼い子は、
親がいなきゃ生きていけないけど、
親は、自分で生きていくのは当たり前にされ、
さらに、子供の分まで食事から、衣類から、しつけまで、
生きるのを支えねばならない。

とくに、シングルマザーは、

パートナーと分け持つことができない分、
いっそう、依存できる面積は小さく、
自立の機会は大きくなる。

たとえ自分ひとり食っていくのも大変な環境であろうと、
自分で稼いで、子供を食わしていかなければならない。

だからこそ、
シングルマザーだからこそ、

あの母親の言葉には、
依存でない純粋な別れの哀しみと、
息子さんの背中を押す愛があった。

ああ、

昔、母と姉が、
私に全く共感しなかった理由がわかった。

「長い年月をかけて育ててきた我が子を
 よく手放せるなあ」

ではない。

「長い年月をかけて育てるからこそ、
 自分の足で立つようになり、強くなり、やがて、
 子供を羽ばたかせられる自立した大人になる。」

のだ。

「年月をかけて人は自立する。」

私も、コツコツやっていこう。

先週のコラムに、
多数おたよりをいただいた。

来週紹介するが、

さきに1通だけ紹介して今日は終わろう。


<まず家族への挨拶から>

先週のテーマ、
「喪失感は、依存度に比例する。」
そのことについて、ちょうど考えていたところです。

16歳の時に、72歳の友達ができました。

私にとって、恩人であり友人であり、
心のお父さんでした。
その人の前では、
あまのじゃくな私が素直で優しく甘えん坊になれたのです。
‥‥まるで恋だな。

去年の春に彼が倒れた時、

「もう年齢が年齢だし、長くはない。」
と悟った私は猛烈に思ったのです。

「彼が私の人生から出て行ってしまう前に、
 他の人の前でもあの私を出せるようにならなくちゃ。」

きっと、今の自分のままでこの人を失ったら
大変なことになる、と
無意識に感じでいたのだと思います。

それから、
まずは、一緒に暮らす家族に対して
「おはよう」と「ありがとう」を
はっきり言うようになりました。

「こいつ、急にどうしたんだろう」
と思われたってかまわない。

そして、家族にも友達にも
前より自分を開けるようになってきた頃、
彼は亡くなりました。

ドーンというショックはあったけれど、
一番に思ったことは

「ありがとう」

でした。
ああ、これが自分の足で立つということか。
最高の教育を受けたな、と。

相手が人でも物でも、
長い人生のなかで私が関われるのは、ほんの一部。

分け合えたことを喜んで、次の場所へ送り出してあげたい。
(眼鏡ぐま)


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2016-03-02-WED
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