YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson766 正直からはじめてみる


「本当のことが聞きたい」

ネット民が求めているのは、
そこではないか?

当事者が弱って幕引き、

というカタチが続いているように思う。
オリンピックのエンブレムのときも、
くりかえされる芸能人のスクープも。

たしかに悪意でネットに書きこむ人もいるだろう。
でも大多数は、あやまってほしいわけではないし、
責めたいわけでも、ましてや弱らせたいわけでもない。

「本当のところ、どうなんだろう?」

真実はだいたい察しがつく場合でも、
やはり本人しか知りえないことも多くあり、
本人の口から語られて、
はじめて晴れる霧もある。

「正直な言葉が聞きたい。」

というのが大多数の本音ではないだろうか?

嘘をつかれている側は結構ツライ。

ほんのささいなことでも
身近な人が自分に嘘をついてるとわかると、
もやもや、もやもやして、
ずーっと、頭と心の霧が晴れない。

嘘は人を動かさない。

「正直こそ最大の戦略である」
    (社会心理学者 山岸俊男)

話すにしろ、書いて伝えるにしろ、
正直が一番通じると、
私は表現教育で年々強く思っている。

と言うと、

「自分は勇気を出して正直に言ったけど、
 ただ怒られただけだった」
と反発する人がいる。

人は、勇気を出して正直にさえなれば、
まわりを感動させたり、一発逆転できたり、
なにか素晴らしい結果を生むと想いがちだ。

でも、正直で得られるのは「あたりまえ」の反応だ。

怒られるなり、償いを求められるなり、
「自分のしたことに対して、
 まっとうなリアクションを受けとる」ことが尊い。

正直に言ったところで、あたりまえ。

だからこそ、ひっくりかえせば、
嘘をついている限り、
自分が当然怒られるべきものから逃げ、
償うべきものを避けている、ということだ。

これらは嘘がばれたときに束になって
自分を責めるし、そんなことよりなによりも、

嘘をついている限りスタートラインにも立てない。

正直からはじめるしかないのである。

ずっと嘘をつき続けて生き、
そこから立ち直って正直な生き方に、
変えることができた人を私は知っている。

その人が立ち直ったきっかけも、
「すべてを正直に話す」ことだった。

その人が、面倒を避けるためについたちいさな嘘、
嘘が嘘を呼び、雪だるま式にふくれあがって、
とうとう親御さんの知るところとなった。

驚いてかけつけた親御さんに、
その人は、すべて正直に話すしかなかった。

親御さんは怒ると思いきや、
ものすごくよく聞き、深い理解をしてくれたそうだ。
さらに、親御さんが、

「なにか、やりたいことはないのか?」

と。いまさら嘘をついてもどうにもならないので、
恥ずかしさを押して、正直にやりたいことを話したところ、
親御さんはなんと、

「それはいいねえ。
 おまえは子どものころから、
 こうこうだったからね」と。

嘘でかためて、だまし続けていたと思っていた
親御さんが、実は、自分の興味のありかや長所や
「ほんとうの姿」をよく理解していた、というのだ。

「自分の正直は、すでに伝わっている。」

みんながみんな人前で何でも正直に話せるほど、
人は強くない。勇気がない人もいる、
しがらみで言えない立場の人もいる、でもそれでも、

「うそは言わない」。

「いまは勇気がなくて言えない」と答えてもいいから、
事実と食い違う言葉は発しないを死守したい。
日々、小さい勇気の連続だけど、

「正直から1ミリも下がらないで進んでいきたい」

と私は思う。


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2016-02-03-WED
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