YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson760  怒りを静める

怒るとき、自分を静める言葉は、
「怒るな」、じゃない。
「我慢しろ」でも、「寛容に」でもなかった。

「だいじょうぶだよ。」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
これがいちばん効いた。

過日、

だいじな仕事に行くとき、
タクシーの運転手さんに
腹を立てそうになったことがあった。

こんなとき、私は、

「怒っちゃいけない、理路整然と」、

と思うあまり、
筋道立てて話そうとする癖がある。
その言葉が、しだいにキツくなり、
相手を傷つけ、自分で自分が嫌になる、
ということがありがちだった。

「きょうは、そうならないようにしよう」、

と思うものの、
おさえようとすればするほど、
自分の中にストレスが溜まって苦しくなってくる。

でも、ひと言しゃべりだしたら最後、
おさえた口調でも、
しだいに怒りがこもってしまって、
しまいに言い過ぎてしまうにちがいない。

「では、いったいどうすれば?」

と追いつめられた時、
ふと、テレビで見た
名医のすすめる呼吸法が浮かんだ。

便秘だったか、不眠だったか、
の改善にすすめていた呼吸法で、
診てもらうのに何年もかかるという名医の方で。

なぜ、そんな話を覚えていたかというと、
「自律神経が整う」というからだ。

私は、素人の勝手な思い込みから、
自律神経なんてもんは自分でどうしようもない、
と決めつけていた。
しかし、呼吸のようなささいなことで、
ある程度自分で、どうにかなる部分もあるんだな、
と知ったときは驚きで、
だから覚えていた。

ここは、便秘でもなければ、不眠でもない、
よって、効く保証などどこにもない、
でも他に方法がないから、
ワラをもすがる気持ちで、

「4つで吸って、8つで吐く。」

また、4つ数えるあいだ息を吸って、
8つ数えてゆっくり吐く。

をやってみた。
タクシーの運転手さんは、
急に私が後ろの席で、スーハーやりだしたので、
さぞ、あやしかったろう。

呼吸してみるものの、
即効で静まるわけもなく、
それでも、やみくもに繰り返しているうち、
自然に湧き出た言葉が、

「だいじょうぶ!」

だった。
大丈夫、大丈夫! と念じながら呼吸していると、
「ぜんぜんこんなの効果ないんじゃ‥‥」
と疑い出す時分に、

ことり、と静まっていた。

もう、そこから、
たとえ怒ろうにも、
どうにもこうにも内面が落ち着き払っていて、
1ミリの怒りのカケラも出てこない
という感じだった。

初めての不思議な体験だった。

怒るときは、たいてい怖いのだ。

タクシーの運転手さんに、どうだこうだと
意見をしたかったのではない。
そんなことよりも強く、
自分を波立たせていたのは、

「大切な大切な仕事に遅れたらどうしよう‥‥」

「行きに動揺したことが仕事に響いて、
よいパフォーマンスができなかったらどうしよう‥‥」

だから、

「だいじょうぶだよ」と。

「大丈夫! よゆうで仕事場に着けるよ。」

「大丈夫! いっぱい経験も積んで、
 アクシデントもたくさん乗り越えてきたから、
 今日も、いい仕事ができるよ。」

リクツの部分には、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と言い聞かせ続け、

リクツではどうにもならない自分の動物の部分には、
スーーー、ハーーーーーーー、の呼吸で、
言い聞かせたのが効いたらしい。

そのあとも、もう一度、似たような場面があり、
やっぱり、「だいじょうぶ+呼吸」で、

ことり、とおさまった。

考えたら、自分はけっこう張りつめて
ひとり闘っているときがある。

ときに、いたわってやらねばな。

そう気づかされた。
怒りそうなとき、
これからは自分に

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」

そう声をかけてやろうと思う。

先週のコラムにいただいた
読者の声を2つ紹介して今日は終わろう。


<夫の生き方が腑に落ち>

先週の「分岐器」の

「人がどうしてくれた、くれない、にかかわらず、
 今日一日、残された時間がどんなに短くとも、
 自分の向かうべき課題にコツコツ努力することで、
 一滴一滴、心は満たしていける。」

ああ、そうか。そういうことか。

昨年春に51歳で急逝した夫は、
そうやって、生きていたな、と
あらためて思いました。
悔いなく生きることを知っていた。
そして、ふっと向こう側へ移っていった。

砂時計の砂が、ガラスの細いくびれから
最後の1つぶが、
音もなく落ちていく瞬間を思い浮かべます。

残された者の側では、
こんなところで「おしまい」だなんてなどと、
逝ってしまった人の無念を
いつまでもいじいじとあれこれ想像してしまうけれど

いまはここにいない夫に、
諭されているような気がしてきました。
(1月うさぎ)


<私の分岐器>

コミュニケーションの講義をするときに、
相手の気持ちを理解するという回で

「怒っている時は怖い時」
「怒っている時は不安な時」

という話を、私は、しています。

クレーマーの例を出して、
見てくれなくて不安
大事にされていなくて不安
というサインなんだ
と言ったりしています。

だから、
怒っている人に対して、
怖いと思って逃げるのではなく、

「この人の不安ってなんだろう」

と考えるところに人間理解がある。

そんな私でも、
やっぱり怒るし腹が立つこともある
人のせいにすると楽だと思うこともあります。

でも人のせいにしていると、物事は進まないし
結局自分の所に帰ってくるので、

「ああ、またやってしまった」

と反省することも多いです。
そんな時に、

「自分を大切にすることは相手も大切にすることなんだ」

という自ら講義で言っていることを思い出し、
切り替えています。

自分って、つい見逃してしまうことが多い。
日々言い聞かせながらやっていくしかない。
(千代松)



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2015-12-09-WED
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