YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson746
      もう一つの人生


この夏、いちばん衝撃を受けたのは、
盆にふるさとに帰り、
「Aおばちゃん」の家にいったときだ。

ものすごい数の子どもの声がした。

畑で虫とり網をもって駆け回っているこどもたち、
庭でバーベキューをする、少年少女たち、
泣いたり叫んだりしている1歳〜4、5歳の幼児たち、
生後3カ月の赤ちゃん、妊婦さん‥‥。

もう、だれとだれが夫婦で、
だれがだれの子やらわからない、

テレビドキュメンタリーの大家族モノでも
お目にかかったことがない、

「巨大家族」を目の当たりにした。

Aおばちゃんには、
3人の子ども(=私のいとこ)がいる。

その子どもたちが孫たちをたくさん生んで‥‥、

さらに孫がひ孫を生んで‥‥、

結果、私がしばらく言葉が出ないほどの、
こどもの数になっていた。
それよりも、

「なぜ自分はこれほど衝撃を受けてるんだろう?」

あとから考えると、どうも、
自分が過去の

「人生の選択で捨てたもの」

を目の当たりにしたせい、のようだ。

SFドラマでもないかぎり、

「これは、あなたが人生の選択で捨てた方の、
 もう一つの人生ですよ。」

と実写で見せてはもらえない。
でも、このお盆、

私が選んだ人生と、選ばなかった人生、

両方の25年後を
実写で見せてもらえた気がした。

Aおばちゃんの家に行く前、
Bおばちゃんの家に行った。

Bおばちゃんの一人暮らしの家に、
子どもの声はない。

そして、私の母には、ひ孫が1人いる。

私は子を生まなかったけど、
姉は子を生み、
さらにその子が生まれた。

Aおばちゃん、Bおばちゃん、そして母。

同世代の3人が見ている3様の盆の風景。

もはや数えきれないほどの孫・ひ孫の声が
ひしめきあっているAおばちゃんの世界と、

しーんと子どもの声がしないBおばちゃんの世界。
たぶん私の未来はここに最もちかく、

そして、ひ孫1人の声が響き渡る母の世界。

3つの世界を見ながら、
私が、私の人生で、選びえなかった選択肢、
すなわち、

「子孫繁栄という選択肢」

その重みを、ずしっと感じていた。
こどもの声が響かない人生の老後とは
どういう世界か、身を持って学べたように思う。

「選択は、何を選んだかより、
 何を捨てたかを知るべき」

という、以前、本で読んだ言葉を思い出した。
時期がお盆だったから、
ご先祖さまの粋なはからいなのか、
自分が人生の選択で、

「選べなかったものの素晴らしさ」

を3Dで見せてもらえて
ほんとうに良かった。

「選択の際、
 自分が捨ててしまったものの素晴らしさを
 知るのはツライ。
 でもそこを引き受け、のり越えることで、
 残りの人生、倍輝く。」

盆から東京に帰ってくると、
ちょうど、

「高校の副教材に、
 妊娠のしやすい時期は20代であること、
 40歳を過ぎると難しいこと、が載る。」

といういいニュースを受け取った。

2012年、NHKスペシャルで、
「卵子の老化」という事実を、私は初めて知った。

卵子が老化するということに
大変衝撃を受けた。
さらに、そんなことは世界では常識で、
日本だけが突出して妊娠の知識に疎いことに、
2度驚いた。

だけど、真実が明らかにされたことは、
不思議にすがすがしかった。
私たちの世代が、知らないために起きていた問題が、
これからはひらけそうな、いい予感がした。

実際、身のまわりでも、
「卵子の老化」を
NHKスペシャルが報じた2012年から、
着実に意識が変わってきているのを感じる。

子どもを持つ、という強い意志のもと、
自分で自分に、「年齢という締め切り」を切って、
パートナーに結婚を申し出たり、
そこで同意が得られなければ、
スパッと別れて、新しいパートナーを見つけたり、
決断と行動に踏み出す女性たちを、
私自身も、この3年間に数多く見てきた。
彼女たちは教えてくれる、

「選択には締め切りがある!」

と。人生の選択は、何を選ぶか、何を捨てたかも
重要だが、それ以前に、

「いつまでに選ぶか?」

が重要だ。
そして、選ぶためには知識が要る。
卵子老化などの事実を
女性たちにつきつけるのは残酷と思う人も
いるかもしれないが、

事実を知って、受け入れて、初めて、

たとえば、学生結婚など在学中の妊娠をどう考えるか、
就職をどうするか、そもそも子どもを生むか生まないか、
生まない場合どう人生を輝かせるか、など
「選ぶ自由=選択権」が手に入るのだ。

考えたら、人生の選択には、ほとんど締め切りがある。

「この選択、いつまでにするか?」

「この選択に必要な知識は何か?」

これからの選択の際、
私自身に問いかけたい。

それが、これからの人生輝かすように、
お盆にご先祖さまが見せてくれた3つの「実写」の意味
かもしれない。

私は、こどもはいない人生だけど、
書くことを通して、私のやり方で、次の世代に
意思をつなぎたい。

先週のコラムにいただいた
読者の声を紹介して、きょうは終わろう。


<まず声を出すことから>

先週の、ちょっと逃げてしまうひとの話、
刺さりました。

今、自分の大好きなことで
人を集める新企画をしています。

今日こそ、知り合いに声掛けしようと思ってて、
でも、ちょっと逃げていました。

冷静になると、大好きなことである分、
御断りされるのがとっても怖かったようです。
過去に負け癖もついてしまっているので‥‥。

しかし、背中を押され、えいやっ勝負だ!
と、声掛けをはじめてみました。

すると、
もちろん恐れていた御断りメールも何本かきたのですが、
同じくらいの数の好意的なメールも返ってきました。

そして、好意的なメールをもらった嬉しさの方が、
御断りメールの悲しさよりも、
天秤にかけると大きかったです。

よかった! 立ち向かってよかった!

やっぱり、やりたいなら、怖がって逃げてちゃだめですね。
企画自体もうまくいって楽しんでもらえるよう、
前のめりで楽しんでいきたいと思います。
(はるえ)


<自由と自信>

「自分の一番大事なことに向かい合うことが自由」、
というズーニーさんの言葉にはっとさせられました。

今まで、私は、逃げていた。
逃げていた現実からも目を背け逃げていた。

自分の大事な問いに向かい合うと、
自分のなりたい姿と同時に、

自分の無力さのために手にしていないという現実と、
頑張っても手に入れられないかもしれないという
嫌な可能性を突きつけられる。

この自己嫌悪のもとともなる
嫌な現実と想像を乗り越えて、
問いを深め、努力を重ねるのは生半可なことではない
と私は思います。

それでも周りを見ると、
身軽に生き生きと、ともすると楽しそうに
頑張っている人たちがいる。

確かに、彼らは自由。

その自由を得るために必要なこと、
それは自己信頼ではないでしょうか。

きっとうまくいくという自信。

あるいは、失敗しても
なんとかうまくやっていけるという自信。

そしてその自信は、
まず問いに向き合うことそのものでつくのだと思います。

「逃げない」ことから、全てが始まる。
(あんと)


<自分の評価を患者さんに委ねないで>

「逃げ癖」
この言葉にドキリとさせられました。

仕事などのやるべきことで微妙に軸をずらし、
本来向き合わねばならない問いをかわす。

しかもそのずれた軸は、まったく的外れでもなく、
それなりに自分にとって必要なことだったりします。

試験などの前に限って、
普段より読書が進んだりというのも、
それが自分にとって「一応」大事だからでしょう。

本当に価値のないものだったら、
逃げのための手段にすらしないはずです。
自分の関心にそったものだから、
そちらにひき付けられてしまいます。

二番目三番目に大事なことを持ち出すことで、
一番大事なことに向かわせない、

それが逃げ癖のように思います。

自分にとっての逃げ癖は、仕事の時に顔を出します。

人を治療する仕事で、
まず無駄なく結果を出し、
患者さんを楽にすることを心がけているのですが、

難しい患者さんの時、雑談が多くなることがあります。

来られた時より楽になっているか、痛みが取れているか、
その自信が持てないときに
ついしゃべりが長くなってしまいます。

厄介なのは、しゃべりがそれなりに喜ばれているため、
なんとなく満足されていることです。

患者さんに喜んでもらえるのが一番大事なので、
喜ばれるとまあいいかという気分になります。

でも、喜んでもらえていることに安住していると、
自分はどう治療する者としてありたいのか、
うやむやになってしまいます。

患者さんのための仕事ですが、
そこによりかかって自分の大事なことを見失うと、

自分の評価を他の人にゆだねてしまい、
振り回されることになります。

自分はそうなりたいのか

を考えると、やっぱりそれは違う。
右往左往しながらも、
一番大事なことを見失わないためにも、
自分に問いを出し続ける必要があるように思います。
(たまふろ)


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2015-08-26-WED
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