YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson741
 「私とあなたの意見は一緒であってほしい」
 という願望 ―2.読者の声


「私とあなたの意見は一緒であってほしい」、
という願望からスタートするコミュニケーションは、

結局、窮屈になって、自他を苦しめる。

意見が違ってものりこえてともに生きられる「何か」、

を育んでいくことこそ、
コミュニケーションする意味ではないか、
という先週のコラムに、
読者の実体験に基づくおたよりをいただいた。

実感が伝わってくる読者の声を
さっそく紹介しよう!


<友達と意見は違うままでも>

先週の内容とても興味深かったです。

私は兵庫県に住み
大阪で働いています
元々は大阪です。

先日の「大阪の都構想投票」では、

なかのよい友達とも全く意見があわず
大きい声で言い合いになりました

最終、私が選挙権がないので話はおわるのですが
これに関しては平行線のままです。

しかし、ほかではなかよしです。

その友達が、
別の同窓会でこの話しになったそうです
そのときに、

「こうやって意見が違っても
 気を使わず話せる友達ってよいね。」

としみじみ言ったそうです

意見がちがってものりこえれる何かって
すごいことだなと思いました

あたりまえと思ってるけどすごい大切なことだと。

友達でもいろんな関係があります
意見をあわせないとなりたたない関係も
多いと思いますが、

友達を増やすよりも
お互いに尊重できる友人関係をつくることのほうが
おもしろいなと思いました
(いの)


<遠い空の下で>

アメリカ、シアトルに住む一読者です。
先週のコラム、
今までで一番心を揺さぶられました。

それはたぶん、

いろいろあって別居している主人と
自分との関係を
反映している文章だからだと思うのですが、

日本語の読めない主人が
この小論文を読めたら
どんなにいいだろう、

と思えて残念でなりません。
(エリ子)


<あの時>

以前お付き合いしていた男性のことを
強く思い出しました。

彼とはとても気は合うけど、
考え方が180度と言っていいほど違い、

だからといって押し付けることもし合わず、

それこそ、彼の見方だと
私の見える世界とは全く違う風に
いろいろなものが映っていました。

彼はとても明るくて、私はとても後ろ向きでした。

最初は、

合わない所があれば、
解決できることは話し合い、
時々は見ないふりをしました。
そういったことを重ねていくうちに、

見ないふりが増えていきました。

それがどんどん
辛く悲しく思えてきたので、

見ているのが嫌になりました。

先週のコラムに
「会議では激しく口論し、
 どこまでも一致をみない二人だけど、
 コンビを組んで仕事に出ると成果が上がる。
 そんな経験をいくつか重ねていくと、
 考えが違うからこそ、
 こいつと一緒に仕事は続けていけるという
 信頼とか尊重が育まれていく」
とあり、

そうしたことを放棄して、
信頼関係を築けなかったせいも
大いにあるんだろうなと思いました。

言葉に出来ない「何か」が
育てられなかったんだな

と反省しました。
もやもやしたり腑に落ちなかったり、
いろんなことを考えましたが、
なんだか先週のおとなの小論文で、

スッと胸に落ちました。
(ニシハラ)


<いま>

私は42歳で再婚しました。

1歳上の現妻は、
再婚当時、二人の年頃の娘を育てながら
バリバリ働く、母子家庭歴10年以上の同僚でした。

お互いに2回目となる結婚を考えるにあたって、

本当に良いことなのか
お互いに長時間話し合い
考えの擦り合わせを行いました。

そうして結婚してみたものの
「こんなはずではなかった」
と思うことが本当に多くて
喧嘩が絶えませんでした。

二人の相違点を言い合っても
平行線で歩み寄りはできませんでした。

つい前の結婚生活と比べてしまい
相性の悪さを嘆いたりしました。

時間が経つにつれ、
お互いの考え方の違いや生活スタイルの違いを

「お互い違うものとして受け入れる」

ことに慣れてきました。
40過ぎての再婚同士ですから
急に直せと言われても
直らないことのほうが多いものです。

以前ならば
「こんな自分の感情をそのまま共感してほしい」
と相手に求めていたのが

同調を求めなくなりました。

違いは仕方ないので。

Aさんのように「本当におもしろい」と思える心境
までには至っていませんが、

この妻とならずっと居ても大丈夫だな

と思いながら結婚13年目を迎えています。
(ひな夫 54歳)



4人4様の人生の選択を
紹介したはずなのに、

どのおたよりにも底流に「同じ水」が
流れているのを感じた。
すなわち、

「相手を想う気持ち」。

それが、ひしと伝わってきて
胸に迫る。

のりこえられないほどの距離を抱えて
それでも人と人が引かれ合い、

やっぱりのりこえられなくて別れ、

でも、離れてしまったあとでも
おたがいの中に残る、おたがいへの

「想い」

この「想い」だけでも、
人と人が出逢った意味は充分ある!

と、読者のおたよりに教えられる。

ほんとにそうだな、
たとえ離れてしまったとしても、
自分の中に「何か」相手への想いが残れば、
もうそれだけで、

自分と相手が出逢い、かかわった意味はあるし、

相手の中にも「何か」自分への
想いが残り続けていくのなら、
それだけで幸せなことだ。

だから、
うまくいくかどうかを恐れず、勇気をもって、
これから出逢う人とかかわっていきたい。

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2015-07-15-WED
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