YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson739
    未知のものが会話に出たとき
    ―3.さらに読者の声


自分の知らない人・事・モノが
会話に登場したとき、

どう反応するか?

このテーマ、
思った以上にメールをいただいたので、
急遽、もう1週、読者の声をお届けする。

まず、このおたより、

会話に知らないものが出てきたら、
「かたまる」人も多いのでは?


<ずっと苦手だったけど>

知らない話、苦手でした。
どう反応してよいか、わからなかった。

齢50代になり、
わからない
なりの反応でいいのだと、気付いた次第。

文脈ありの、周りの空気ありの、
という状況ではありますが。
所詮、一人の人ですから、
なんの遠慮もないのでした。
(イトウ)



ズーニーです。
「どう反応したらいいかわからない」
ほんとにそうだなあ。
私の場合はとくに、

“知らない固有名詞”

が会話に出てきたとき、固まる。

「それって、もしかしてみんな知ってる?」
「知らないのは私だけ?」
「知らないと恥?」
みたいな不安が突き上げてきて、
そうなると、固まってしまう。

未知のものが恐いというより、
知らなくて恥をかくことが恐い。

イトウさんの言うように、
相手もただの一人の人間、
「知らない、恥ずかしい」
と素直に表現できたらいいな。


<会話に求めるもの>

私には、小学校からの友達がいるのですが、
ラインで会話をすると、
必ず口論になり、
最終的に彼女が会話をいやがり終わらせる
というパターンに陥っています。

先週のコラムを読み、
口論になる一つの要因が、

「わからないものをわかろうとする」私でした。

彼女の状況と考え方について、
ちゃんとわかりたかった。

彼女の言葉を自分なりに噛み砕いて
「こういうこと?」
「それともこう?」
「こういわれたからこう思ったの?」
と問い続ける私。

彼女は、
「違う」
「似てるんだけどそういうことじゃない」
といい続け、

最終的に私は
「それ、さっきから私がずっと言ってることじゃん!」
と言う。

それでも
「なんか違うんだよ」
と釈然としていない彼女。

私なりに理解していたつもりなのに、
ずーっと彼女から否定され続けている事そのものに
すっかり疲れてしまい、

少しも妥協してくれない彼女に
腹をたててしまっていたのかもしれません。

私がその場で、
自分の知っているだけの状況理解と
自分の物差しの中で、枠にあてはめて、
理解しようとするから

ほんの少しずつズレが生じていて、

彼女は理解されないことに苛立ち、
私は疲れて妥協を求め理解を放棄したのかもしれません。

今文章を書いていて気づきましたが、
私は

「あなたの言葉を理解している」

ということを言いたいだけだったように思いました。
私によくあるのですが、

理解しているように見せたい、
論破したい、
相手に過ちがあれば気づかせたい、

という感情に押し流されて、
もっと大事な会話で

「つながる、楽しむ、共感する」

ということがおろそかになっていたみたいです。
(ちっこいの)



ズーニーです。

私も耳が痛い内容で、

相手の状況とか、
前後関係とか、全容とか、
原因とか、真相とか、
言葉だけで的確に読み取って、

相手自身も気づいていない点を、
自分の言葉で的確に突く、

なんてことができたら、
さぞかし凄い人と思われるだろうけど、

現場にいない自分が、
実際にその現場を体験した相手なみに
理解できるか?

というと、どだい無理だ。
でも、

「相手の想いを聞く」

のなら、
相手の想いは、

「いま、ここ」

にあるのだから、相手が
「過去の、どこかで」
体験したことをわかるよりは、
ずっと自分の体に近いところにあるわけだ。

できれば、実際に会って、
顔や目など、見えるだけのものは見て、

「いま、ここで、
これを話している相手の胸の中って、
どんな想いなんだろう」

と、見えない想いに耳を澄ませたい。


<自分で作ったカテゴリーに苦しまされ>

いま私は入院中で、
仕事も辞めてしまいました。

私は以前から
カテゴライズばかりしてきたなー。

「働いてない人」イコール「ダメな人」
とカテゴライズしてきたのに、

まさか自分がそのカテゴリーに入るとは。

ダメな人のカテゴリーに入ったことで、
自己嫌悪に陥ったりもしました。

しかし、周りからの目は予想外に温かいものでした。
「今まで頑張りすぎたから
ゆっくり休憩する時間が必要なんだよ」
「充電期間だよ」
そんなふうに言ってもらえて初めて、

自分を「ダメな人」カテゴリーから
外すことができました。

と同時に、今までそんなふうにしか
カテゴライズできなかった自分が
恥ずかしくなりました。

2ヶ月の入院生活ももうすぐ終了です。

退院して落ち着いたら、
自分自身も周囲の人もカテゴライズせず、
また一歩新しい道を歩き始めたいと思います。
(ナオ)



自ら作った区分けに、
まさか自分自身がはまって苦しもうとは。

でも、身をもって、
安易に人を区分けする愚かさを
思い知った人は強い。

区分けがとっぱらわれたとき、
どんな景色が見えるのか、
楽しみだ。


<まずは、ただ‥‥>

「言えば言うほどわかってもらえない」ことについて、
もしくは、
「自分の心は『違う』と思っているのに言葉にだせなくて
どんどん相手との溝が広がっていく」
ことについて、

最近やっとひとつ折り合いをつけたところでした。

いままで焦っていました。
言葉を尽くせば尽くすだけ伝えたい像とは乖離していくこと、
相手の固定観念を変えられずイライラすること。
それをやっと

「気持ちは簡単に言葉にできない。
相手の意識も変えられない」

と落とし所が見つかった、
たぶん、考え方の違いというのは
埋められないものなのですね。
違いを埋めて、完全にフラットにすることは、
人間にはできないことなのだと思います。
でも、

「なんでそう言ったのか」を想像することはできる。

前時代的な固定観念も、
融通のきかなさも、
その人にとっては何かを守るためなのかもしれない。

わかりあいたいからつい
戦うように相手にぶつかっていってしまうけど、

まずはただ相手の言葉を浴びようと思います。

人は必ず他のだれの枠にもおさまらない。
ぴったり重なったりしない。

私にとってのあなたがそうであるように、
あの人にとっての私もそうである。
(蘇鉄)



「まずはただ相手の言葉を浴びる」

この「浴びる」っていう感覚が
いいなあ。

安易にわかろうとする奢りがとれ、
安易にわかることができないという尊重がある。

未知を浴びきった先に
これまた未知の展開が
あるように思う。


<未知の物が会話に出た時>

何が入っているのかわからない箱に
手だけ入れるような、、、、

そんな気持ちで相手に質問できたらな、と思います。

箱の中の物は、
それを知らない自分にとってどんな価値かはわからない。
でも、知らない物を知るのはワクワクする。

なら、それを想像しながら、そこに近づいていく。
少しづつ手に触る感触から、考えを巡らせて、想像していく。

「それ(その人、その物)は
あなたをどんな気持ちにさせるのですか?」
「相手(あなた)は、それでどんな風に変わっていくのでしょう?」
「やってて面白いですか?辛いですか?
やりがいがありますか?」
「どこが好き(嫌い)なのですか?」

未知の物を知るために、
その周りにある(いる)人に向き合って質問をしていく。
そして、想像する。次の質問をする。

そんな会話も、文章を書く時と同じように、
必要なのは「考える力」なのかもしれません。
(ワタナベニャンコ)



そう!「問い」
問いは問いでも、この問い!

まったく答えがわからないから発する問い。
カテゴライズするための問いとは違う。

カテゴライズするための問いは、
先入観から発した問い。

「それってこういうことだよね?」

と、自分の既知の引き出しに分けてしまう目的で、
問うそばから、予定調和の答えを期待している
節がある。

そういう問いは、自分の枠組みから1歩も出ない。

でも、純粋にわからないから発する問いは、

先入観も予定も何もなく、
ただただ、わからないから問いたい

「謎」

だけがある。
問うた本人も、

「いったいどんな答えが返ってくるのやら?」

まったく予想もつかないから、
答えを待つ間、
どきどき、わくわく、はらはら、と
固唾を飲んで待って、

そこに予想外の角度からの
答えが返ってきて、ひっくりかえりそうになる。

こんな「問い」と、答えが繰り返されると、
自分が未知に向かって
一歩一歩ひらかれていくのを感じる。

未知のものが会話に出たとき、

未知を全身に浴び、
未知にやられ、
相手と自分の距離に驚き、途方に暮れ、
でも繰り出す「問い」で、
おっかなびっくり未知に自分をひらく!

そういう会話ができるようになりたい。

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2015-07-01-WED
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