YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson719 文章にできること


1通のメールで、
なにもかも済ませようと、

文章に過剰な役割を強いていないか?

文章にできることを知って、
ふさわしい「持ち場」を与えてみてはどうだろう?

「遠くにいて、久しく会ってない友だちが、
 最近、心を病んで、ふさぎ込んでいると聞く。
 救ってあげたいが、
 どんな言葉をおくってあげたらいいのだろう?」

文章表現の教育をしている私は、
これまで幾度となく、
このような質問に出くわしてきた。

そんなとき、決まって想い出す
1人の学生がいる。

その学生、
(かりに総太=そうたくんと呼ぼう)。

総太くんには、
幼いころとっても仲のよかった友だちAくんがいた。

ものごころついたころから小学校くらいまで、
ずっと一緒で、くる日もくる日も
いろんなことをして遊んだ。

しかし、進む道が分かれ、
しだいに連絡もとらなくなり、

気づけば中学・高校・大学と10年近く、Aくんに
まったく会わないまま年月は過ぎた。

「Aくんに会いたい。」

総太くんは、むしょうにAくんに
会いたくてたまらなくなった。

そこで、ものすごく久しぶりに
「飲みに行こう」とメールを書くことにした。

「ひさしぶり! 元気にしてる!」

に始まって、

「急に懐かしくなって、会いたくなったので、
 飲みに行こう。」

と誘う。
さらさらっと書けると思いきや、

どうもうまくいかない。

「なにが引っかかってるんだろう?」

「ぼくがAくんの立場だったら、
 10年近く会ってない人から
 とつぜん、飲みに行こう、とメールが来たら
 どう思うか?」

と胸のひっかかりをひもといていった結果、

「このまま、飲みに行こうとメールを出しても、
 “おう、じゃあ、こんどな。”
 くらいで、さらりとかわされてしまうかもしれない。」

もしかしたら返事さえこないかもしれない。

懐かしくて一方的に盛り上がっている自分と、
10年近く会ってない人から
いきなり飲みに行こうと誘われるAくん
との間には、

温度差がある。

Aくんがとまどったり、いぶかしがったり、
展開についてこれなかったりしても、無理はない。

仮に飲みに行けたとしても、このままでは
自分の想うような感動の再会にならない。

そこで、総太くんは考え方を変える。

「こんにちは久しぶり」と挨拶にはじまって、
「元気にしてる?」と近況うかがい、
「自分は‥‥」と近況報告、
「こんなきっかけで急に懐かしくなって」と
わけを説明し、
「飲みに行こう」と誘って、約束をとりつける‥‥と、

何から何まで1通のメールに担わすことをやめた。

代わりにメールには、

「幼い日一緒に遊んで楽しかった想い出」だけを
いきいきと書く。

ただ1つ、その役割だけを担わすことに決めた。

「すごくひさしぶり。
 いきなりで驚いたかもしれないけど、
 さいきん、ふと、Aくんと遊んだときのことを
 想い出して、懐かしくなってメールしました。
 あのときは、あんなところにいって、
 あんなことがあって、あんな失敗して、
 おじさんから怒られて、でもとっても楽しかった‥‥」

と、ただいきいきと、情景が蘇るように
想い出を伝えて、そのメールは終える。

もらったAくんは、
そのときは唐突に感じても、
心の準備ができてなくて
どんなにガードが固かったとしても、

メールをもらった日から、しばらくしたら、
ポツ、ポツ‥‥と
当時のことを想い出すだろう。

ポツ、ポツ、ポツ‥‥とAくんの中に
当時の記憶が蘇って、
懐かしい気持ちがわきあがってきたときに、

その時間が1週間なのか2週間なのかわからないけど、
そのタイミングで、
総太くんは、Aくんに電話をして、

「飲みに行こう!」

と誘ってみることにした。

メールだけでなんもかんも
やってしまおうとするのではなく、

投げかける、時間を置く、醸成する、待つ、
電話をかける、
など一連の行動のなかに、
うまく文章をおり入れて、

いわば、「文章+他の言動」の合わせワザを発揮した。

冒頭の、
「遠くにいて、久しく会ってない友だちが、
最近、心を病んで、ふさぎ込んでいると聞く。
救ってあげたいが、
どんな言葉をおくってあげたらいいのだろう?」
という質問に戻って、

これは、
しばらく会ってない物理的・心理的距離をうめる
ということからはじまって、
最終的に、相手を、
ふさぎこんでいる状態から、より良い状態に
多少なりとも

「変える」

というところまでを目指していて、
一通のメールにとてもたくさんの役割を
背負わすことになる。

このなかで「文章にできること」はなんだろう?

「文章が得意なこと」はなんだろう?

そう考えて、
一通のメールでやるに足る・ふさわしい「持ち場」を
与えてみてはどうだろう。

会っていない間の心の距離を少しでも縮められたら、
一通のメールの役割としてはOK?

あるいは、救ってあげるのはとても無理でも、
この一通のメールで、相手がぷぷっ、と笑って、
なごんでくれたらOK?

あるいは、この一通のメールを読んでいる、
その短い時間だけでも、
相手が病気のこともつらいことも、
一瞬だけでも忘れてくれたらOK?

そんなふうに、
自分が敏腕の人事担当となって、
適材適所に人を生かした
「持ち場」を決めるようなつもりで、

一通のメール、一通の手紙の
「持ち場」を考えてみてはどうだろう?

あなたが最終的に相手に伝えたいことは何か。

そのために、あなたが、考えたり、行動を起こしたり、
直接会って話し合ったり、時間をかけたり、待ったり
背中を見せたり、人知れず努力したり、
いろいろなアプローチをしていく、そのなかで、

「文章にできること」はなんだろう?

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2015-01-28-WED
YAMADA
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