YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson690  悪い習慣

悪い習慣が、

どうして悪か? 

というと、
不健康とか、常識的な善悪とか、
そういう次元よりもっと。

もはや自分の心も体も欲してないことを、
妥協+怠惰の産物としてのみ、
やり続けていくところにある。

もっと言えば、
いま、ほんとうに心と体が欲しているものに、
気づけない、手を出せないところにある。

ダイエットをした。

たった3.7kgを
3ヶ月と1週間もかかって痩せるという、
誰も参考にしたがらないへっぽこダイエットだ。

代謝の落ちた年齢、

肥満というほどでない、
日々の習慣でいつのまにか少しずつ、
余分に太り過ぎてしまっていた分を、落とすのに
とんでもなく時間がかかってしまった。

とんでもなく時間がかかってしまって
よかったのは、

「新しい習慣」ができたことだ。

3か月前とは別人の自分がいる。

「その気になれば2週間で痩せられる」、
と思っていた。

夕食を、
不足しがちな栄養素をバランスよく補助する
ダイエット食品に置き換える方法で、
はじめは、コツコツ痩せていけた。

だが、「マイナス3kgの壁」がどうしても破れない。

そこから先、どうしても痩せない。

停滞ならまだいい、
食べてないのに体重が増える。
理不尽、通り越してホラーだ。

だから、さらに食べないようにする。

お腹がすくので、夜はとっとと寝るしかなく、
寝たものの、お腹がすきすぎて目が覚め。

そんな辛い思いをして、
コツコツコツコツ7日かけて、
やっと0.4kg痩せた! と思うと、
ちょっとしたことで、翌日には0.5kg増えている
1週間の努力が1晩で水の泡、どころか、マイナスだ。

努力が報われない。
努力が一瞬にしてマイナスになる。
悔しさ、腹立たしさの繰り返しに、
私は、ようやく本気が出た。

「ラクに痩せようという根性を捨てよう。
 食事、運動、生活習慣、長期的にちゃんとやろう!」

1日40〜50分の運動を毎日つづけた。
筋肉がつくから体重はすぐ落ちないが、
長い目で代謝をあげるのだ。

夕食をダイエット食品にする分、
朝食・昼食・3時のおやつを大切に、
食べたいものをバランスよく採った。

これまで食に向けてきた、
気持ち・労力・金・時間を、
意識して別のベクトルに向けた。

たとえば地方出張のとき、

ひと仕事終えても、
夕食は、ちゅるん、とゼリーの補助食品、
1分でおしまい。
飲み食いの楽しみは無く、時間が空くので

出張先の街をグングン、歩いた。

グングンあるいて、偶然、
私の大好きな画家、横尾忠則さんの
アパレルを専門に置いてある珍しい店を
発見して大喜びしたこともあった。

現地の人に、このへんに映画館はないかと聞いて、
たまたま入った映画館で、
今年一番の好きな作品に巡り合うことになり、
そこから映画館に行く頻度がぐっと増した。

たぶん十何年と行っていなかった、
デパートの化粧品売り場を歩いて、
店員さんの知識と経験のもと、
自分に似合う色や香りに出逢えた。
とくにフレグランスは、
昔、買って失敗が多く諦めてたが、
一生ものに出逢えたかもしれない。

ふりかえると、

自分がそれまで、
いかに飲み食いに気を取られていたか。

出張先で仕事が終わると、時間が空くと、
「何食べよう?」 「何飲もう?」
それしか頭になかった。

どかっと腰をおろすと、動くことはなく、
ただ食べ、つい、ちょっと余計に食べ、
そして飲み、つい、飲み過ぎていた。

その時間、いかに、

女としての身だしなみや、
知らない街を散策する好奇心や、
芸術や音楽に触れて感覚を磨くことを
ないがしろにしてきたか。

ダイエット前は、
どうして太るのかわからなかった。
「こんなに食べないのになぜ私が?」と。

でも、新習慣ができて振り返るとそうではなかった。
そこに太る原因があった。

ダイエット中いちばん印象深かったのが、
3日間の塩抜きダイエットだ。

(*塩を抜くのは健康への影響が大きい。
 専門家の指導なしにマネないでほしい。)

3日間だけ、塩・しょうゆ・みそなど一切の塩分を断つ。
ナトリウムもだめなので加工品はほぼダメで、
自然のものなら、
野菜・果物・肉・魚・卵・豆なんでも食べていい。
レモン・ショウガ・一味・ねぎ・オリーブオイル
などで味付けして食べる。

この3日間ほど、
「なぜ食べるのか?」
「なにを食べたいのか?」
「どれくらい食べたらいいのか?」
根底から揺らぎ、考えさせられたことはなかった。

塩がなければ、まず肉は、まったく食べる気がしない。
魚もつらい。

くだもの、やさいも、最初はいいけど、
2日目以降、そんなに進まない。

それまでのダイエットで散々空腹に耐えてきて、
この3日間はいっぱい食べていいのに、
食欲の前で、はた、と自分が立ち止まった。

塩気で紛らわさないと、
生き物や植物の「命」がきわだつ。
気合いを入れてかぶりつかないと負けそうになる。
食の行為そのものがしんどい。

3日があけたとき、

塩にとびつくかと思いきや、逆で、
不必要な塩分は自然に避けるようになった。

また、いま自分の体が本当に欲していない食品、量を
自然に避けるようになっていった。

2ヶ月過ぎると、
「感じが変わった、何をやった?」と
人から聞かれるようになった。

体調はありありとよくなった。
目や生理や、メタボのサインのように出ていた
体調不良は、一気に解消した。

去年タクシーで通っていた仕事先には、
なにげなく歩いて行くようになり、仕事先を驚かせた。

どうしても途中で1回、休まなければ
あがれなかった急な階段を、
一気にあがりきれるようになっていた。

映画やライブにもちょこちょこ行く癖がついた。

こうして3ヶ月と1週間で、
もとの自分の最も慣れ親しんだ体重に戻った。

ダイエットは終わった。

新しい習慣ができた。

新しい習慣ができて、
いちばん実感するのは、

「直観」が冴えたことだ。

いま、食べたいものが、わかる。

心と体が本当に求めているものを、
求めているときに、
求めている量だけ食べる。

これで太らない。バランスも取れている。

考えれば、体は欲しいものを知っている。

なのにそのセンサーが働かなくなっていたのは
なぜだろう?

「ストレス」。

「炊き立ての白いごはんが食べたいよう!」

いま心と体が本当に求めているものを、
太るからと「我慢」する。
そこにストレスが生まれる。

我慢に耐えきれないから、
何か太らないものをと、
糖質カロリーゼロのビールなど、別のものをねじこむ。

米が食べたいのに、別のものがつめこまれ、
心はストレスだ。

結局、我慢しきれずに、食べてしまう。食べ過ぎる。

別のものが、別のときに、過剰に押し込まれる。
それも体にストレスだ。

我慢、すりかえ、過剰摂取。

こうしたちょっとちょっとのストレスの積み重ねが、
いつしかセンサーを弱らせ、傷つける。

本当に食べたいもの・量を
キャッチできなくなってしまう。

新しい習慣ができて驚くのは、
あんなツライ想いをして
古い習慣と決別したにも関わらず、
立ち上がった新しい習慣は、
本来自分が望んでいたものだということ。

ダイエット前は、
ダイエットの敵と避け続けてきたパン・米などの
炭水化物を、ダイエットしていく過程で、
ごく自然に食べるようになっていった。

逆に、酒を飲まなくなった。
ダイエットをはじめるときは酒をひかえる気は
さらさらなかった
食べられない分、飲まなきゃやってられない
とさえ思っていた。
でも、早い段階で、自然にほしいと
思わなくなっていった。

そうなってふりかえると、
なぜほぼ毎日の晩酌をせずにいられなかったのか
わからない。酒は飲まない方が体調もいいし、

ごはんやパンの炭水化物をはじめ
バランスよく、塩分をひかえて、いろいろ食べるのが
気持ちがいい。

運動だって、するようになってみると、
よくぞ、しないでいられたなあと思う。

以前の私は、心が求めていないことをし、
また、太り過ぎ、体調に不調サインが
出ていたということは
体も求めていない食べ物・量を
食べ続けていたということだ。

いったいなんで? と言えば、

妥協と怠慢。

だからこそ、本来自分が求めるものに
向かっていけなかった。
そこに、惰性の習慣の「悪」がある。

新しい習慣をつくるには、
古い習慣を断たねばならず、
古い習慣を断つには、
どんな道を通ろうと一度自分を「干す」プロセスが要る。

すきっ腹で眠れなかった時期や、
いっさいの塩気を断った3日間がそれにあたる。

干すところがいちばん苦しく、
我慢や努力が要り、辛くてやめたくなる。

でも、干した結果、

本当に心と体が求めるものへのセンサーが
研ぎ澄まされる。

こうなると、心の向く方へ、
自然とワクワク新習慣はできていく!

まったくあたりまえに
自分がやり続けている習慣。

それは、いま、自分が本当に求めていることだろうか?

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2014-07-02-WED
YAMADA
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