YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson678  スイッチ

「自分の中で、いま、
 あきらかに何かのスイッチがはいった!」

そう感じた瞬間はないだろうか?

ロボットでもない人間の、
「スイッチ」って、なに?

去年、

責任の重い仕事が、
いくつもかさなる中で、
体調を崩しかけたことがある。

それでも働こうとパソコンに向かうものの、

読もうとするメールの文字も、
書こうとする言葉も、
キャパオーバーで、
ぼろぼろと床にこぼれ落ちてくカンジになった。

気力・体力の限界がきていた。

おまけに背筋に
ゾクゾクと悪寒がはしり始めた。

「インフルエンザかもしれない」

目の前が暗くなる。

フリーランスになって14年間、
ただの一度も病気で仕事を休んだことがない。

インフルエンザになったら
仕事を休まなければならない。

「休むわけにはいかない!」

とにかく薬を買いに出よう、
それから温かい鍋でも食べようと
出張先のホテルから、駅の商店街に向かった。

泣き面に蜂、

弱ったときは、
やること、なすこと、裏目に出る。

一人前の小鍋料理のある店が意外に見つからず、
さがしまわることになり、やっと見つけたら、
注文してもこず、
せめて薬だけでも飲もうと、お湯を頼んでも忘れられ、

小一時間待たされ、

待っている間に、
悪寒も、不安も、どんどん大きくなり、

ようやく来た一人前の海鮮鍋は、
具材のほとんどが、カッチカチに凍っていた。

風邪の引きかけで体力の惜しいときに、

あすの準備で一分一秒も惜しいときに、

自分は、チョイスをまちがえて
大幅にロスしてしまった、
と、また落ち込んで、

ホテルに戻ってベッドに横になったら、
もう、起き上がなくなった。

眠れないし、起き上がれない。

電気もつけられない闇の中で
悪いことばかりが頭のなかをめぐった。

いくつかかけもちしている大学の授業が、
ちょうど佳境のシーズンで、

前後には、
自分がいないとどうにもならない発表会やイベントが
ぎっしり並んでいる。

ちょうどその日は、地方の大学で
3日間の表現実技の集中講義の初日だった。

初めての学生たちと
信頼関係をつくり、一日かけて、
表現の面白さをつかんだところなのに、

26時間半、
まるでトライアスロンのような集中講義で、
ここから2日間が山場なのに。

穴をあければ、
学生たちが、一生ものの「書く力」をつけるかどうかの
大切な機会を逃してしまう。

それに、信頼が命綱のフリーランス、
たった一度でも病気で穴をあけたらおしまいだ。

いままで体調管理し、
コツコツ1つ1つの成果を積み上げて
築いてきた信頼がパァ、だ。

それ以前に、仕事に厳しい自分は、
一度でも休んだら、自分のことを許さないだろう。

フラフラで授業に行けたとしても、
ワークショップは、知力と体力と集中力を駆使する。
この体ではとてももたないだろう。

それに、もどったら大学の発表会がピーク、

盛り上げてクライマックスに
むかわなければならないというのに、
私が体調を崩したら、ガタガタになってしまう。

学生の、活きる表現力も、活かせなくなってしまう。

よりによって、この週末は、
家族を「直島」に連れて行くことになっている。

何日もかけて、大枚を払って、
めったにない家族旅行に、私が主催してがんばってきた。

私が行かないと成立しない旅行。
だからといって、体調が悪いなか無理に行っても
迷惑をかけるだけだろう。

おいうちをかけるように悪寒はおおきくなり、
それは、この20年来、感じたことのない悪寒だった。

「もうだめだ。」

なにもかも、ここで倒れたらすべておしまい‥‥、
そうおもったときに、

「いやだーーーー!!!」

と心が叫んだ。

「ぜーーったい! 集中講義はやる!」

「それもハンパじゃなく、完璧にやり遂げる!!!」

「大学の発表会のほうも、例年以上にやる!
 これまでの、その先の表現を引き出してみせる!」

「それから、直島には絶対行くーーー!!!」

そのとき、
自分の中で、はっきり
「スイッチ」が入った。

電気さえ、つけに起きられなかった体が
むくっと起きあがれた。

まず体を温めようと、
ホテルに電気毛布を借りようと電話した。
しばらく探してくれて結局なかった。

でも、もう、そのことで
へこんだり、泣き面に蜂などと弱ったりしない
自分がいた。

明らかに自分の何かが変わっていた。

じゃあ明日、行きがけにカイロを買って温めればいいと、
代替案がさっと出てくる。

「絶対やりきる!」

ということだけが自分の中で
もうどうしようもなくはっきり決まってしまった。
何かがうまく行かなくても、
ではどうすればいいか、何ができるか、
それだけをまっすぐ考えられる。

何を想ったのか、この余裕のないときに、

わざわざパソコンの動画で、
そのときファンだった、
若くてかっこいい俳優さんの顔を見た。

あとづけだけど、
いつの日も人間は、好きな異性の顔を見たら、
「ここでくたばるものか」と
パワーが出るんだと知った。

不思議に仕事の準備ができた。少し眠れた。
悪寒は静まった。

結果、

集中講義は、
学生たちは一人の脱落もないどころか、
途中参加した学生まで最後までがんばって、
人数が初日より増える形で大成功だった。

学生たちが、一生忘れられない表現をした。

もどって、大学の発表会でも、
学生のプレゼンは過去最高だった。

そして、家族と行った「直島」で、
波と島と太陽の輝きの中で、
アートのチカラに触れ、
家族も私も、命が息づく経験をした。

あの「スイッチ」は、なんだったのか?

ふだんは押そうと思っても押せない。
見たくても見えない。

自分のキャパなりに、
「もうだめだ」というところまで追いつめられて、
はじめて出てくる、

スイッチ。

ちょうどそのころ、
「風邪」について、お医者さんが話していた
こんな話が、しみた。

「風邪を治す薬は無い。

 のどの痛みなら、
 炎症を鎮めたり痛みを和らげる薬はある。

 熱が出たなら、熱を下げる薬はある。

 だけど、根本のところで風邪そのものを
 治す薬は無い。」

最終的に風邪を治すものは、
とどのつまりは、「自分」であり、
その人のもつ免疫だと聞いた。

たくさんの学生たちの、人生の結晶のような
文章表現や、プレゼンに触れている私には、
たいへん腑に落ちる話だった。

最後は「自分」。

学生たちの中には、
難しい病気と付き合っていかねばならない人、
いじめを乗り越えた人、
DVから抜け出せた人、
想像もつかないような人生の土壇場を
克服した人がいる。

その人たちの経験を煎じ詰めると、
それが一見、科学的に他者の手によって救うことが
できそうな病気であっても、
窮地から自分を救った者は、自分。

誰も助けてくれない。
たとえ助けようとする人がまわりにいたとしても、
自分がやる気にならないと、
手を貸したくとも他人は無力だ。

本人が意志を持てば、手を貸す人も手段も現れる。

まだ、どっかだれかに頼れると思っている限り、
まだ、目をそらしたり逃げたりしている限り、

決して押せないスイッチを、
私が真っ直ぐ押せたのは、

毎週毎週、140名の学生に、表現を通じて、
本人の意志がいかに大切かを、
たたきこまれていた最中だったからかもしれない。

もうだめだという状況で、スイッチが入り、
一気に流れが変わった経験、あなたはありますか?

どんなスイッチでしたか?

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2014-03-26-WED
YAMADA
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