YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson662
  「やりたいことがみつからない」ときの
  就職活動


やりたいことがみつからないまま、
就活しなきゃならないとき、
どうブレイク・スルーしたらいいんだろう?

ここ数年、
たくさんの大学のキャリア支援センターの要請で、
就活の表現力ワークショップをやってきて、
よい手ごたえを感じているので、
現場で改めて気づかされることを、
これまで言ってきたことも交えてお伝えしよう。

「やりたいことがみつからない。」

このまま社会とつながる道を模索するのはツライ。

私も人生で2度、デカイのがあった。

大学を出て会社に勤めるまでも、
30代後半で独立するときも、
「やりたいことがみつからない」、
それゆえ「自分が何者か?」までがグラグラする、
だから自分とも、社会とも、仕事とも、つながれず、
必要以上に落ち込む日々を過ごした。

でもいま教える立場で現場に出てみると、

「やりたいことがみつからない人、
 いっぱいいるなあ!」

とあらためて驚く。

就活を目前にした3年生にも、
何をやっていいか、まったくわからない、
という人も多くいるし、

すでに何十社と受けつづけ落ち続けて、なお、
「やりたいことがみつからない」という人は
たくさんいる。

それどころか、就活する段になって、
「自分の大学選びはまちがっていたかもしれない」
「自分がくるべきは、この学部じゃなかった」
と、進路選択そのものが根底から揺らぐ人にも、
私は多数、出逢ってきた。
でも、そういう人も、

「考える作業を丁寧に積み重ねれば、
 就活で通用する文章が書ける!」

私の就活のワークショップでは、
キャリアセンターの職員や、教授を呼んで、
学生全員が読み上げるエントリーシートを
聞いてもらうことがある。

たかだか3〜4時間のワークショップでも、
参加した学生全員が、
自分にうそをつかず、正直で実感のある想いで、
かつ、社会に説得力をもって、
「将来自分がやりたい仕事」を
文章で伝えられることがある。

それは、長年学生たちを見てきた職員でさえも、
「だれが昔からやりたいことが明確だった学生か」、
「どれがこの場で一から考えを積み上げた文章か」、
まったく見分けがつかないほどだ。

その3〜4時間のなかで
やりたいことが見つかってしまう人も、多数いる。

そんな学生の表現を目の当たりにしているいま、
もし、タイムマシンで
やりたいことを見つけあぐねている日の自分に会って、
1つメッセージを伝えられるとしたら、

「1つプランを持って、ひらいていなさい。」

と言うだろう。
やりたいことがみつからなくても、
「将来働く自分について」の、
正直で、自己ベストの「プラン」を
構築することはできる。

それは、自分を偽ったり、ねつ造したりとは、
全然ちがう。

たしかに、マー君にとっての野球、
レディ・ガガにとっての音楽
のような、天職のようなものが、
学生のときから決まっている人は、光っている。

でも、
「自分の中に、好きな、やりたいことが必ずある」
「自分はその才能を持っている」
という信じ込みが、行き過ぎれば、

「好きなことしかやりたくない。」

という「閉じた」状態を生みやすい。

「職能」というものは、他者貢献・社会貢献の面、
「人に喜ばれてなんぼ」の面も大きい。

いかに、「私はアイドルになりたい」
「センターしかやりたくない」
という人がいても、
それを見て、おもしろいと思う人や社会が、
まったくないのなら、それは仕事にならない。

綾瀬はるかさんの原石のような人がいたとして、
いかに本人が「裏方をやりたい」と
思い込んでいたとしても、
まわりの人から、「きれいだから表に出たら?」
「脇役より主役がいいのでは?」
と言われて、やってみて、
予想以上に歓ぶ人々や、湧き立つ社会があったら、
仕事につながる。

つまり、「職能」については、
意外に当の本人がわかっておらず、
その仕事を役に立てたり、楽しんだり享受する側の
人や社会のほうから、
見出されたり、他薦されたり、導かれたりして
見つかる面も大きい。

まだ自分で気づいていない
職能の可能性に対して、
「ひらいている」ことは大切だ。

だから私自身は、
やりたいことは、社会に出てみつけたっていい、
と思っている。

しかし、だからといって就活で、

「私には、やりたいことが見つかりません。
 見つからないので、何も考えて来てません。
 なんでもいいから、なんでもやりますから
 採用してください。」

では、社会のほうだって、
どう手を引いたらいいかわからない。
第一そんな人、信頼できないし、印象に残らない。

やりたいことが見つからないなりにも、
自分の興味のありか、気になる仕事、
業界をめぐる社会状況を、調べ、考え、構築して、

「働く自分についての、現時点での自己ベストの
 プランぐらいは1つあります。」

というほうが、社会だって、それをとっかかりに
コミュニケーションがとれるというものだ。

まずは、気になる仕事・会社・業界を
正直に洗い出し、紙に書きつくし、
自分の想いや考えに忠実に取捨選択していけば、
現時点で、もっとも気になる仕事は割り出せる。

その仕事について調べたり、
OB訪問など、仕事の現場に行って見聞きしたり
そこで発見したこと、わかったことを、
実感ある、正直な言葉で要約すれば、
自分なりの「仕事理解」が書ける。

さらに、その「業界をめぐる社会背景」や、
お客さんの現状を、文献等で調べ、
自分なりの理解を要約する。

そのうえで、
いままで生きてきた自分は、
その仕事につながるどんな長所があるか、
どんなきっかけからどう考えて、
その仕事が気になりだしたか
と正直に考えていけば、
仕事につながる「自己理解」を文章化できる。

そこから、

「自分」と「仕事」と「社会」のつながりを良く考えて、
将来、その仕事に就いたとしたら、
人や社会をどう良くしていくか、何をやりたいか、
という「ビジョン」を文章化すれば、

働く自分についての企画になる。

「企画」と呼ぶのに気が引ける人は、
「作業仮説」と呼んでも、「たたき台」と呼んでもいい。

仮説を出発点に、現実の中で、
新しい発見があったり、考えたりしたたびに、
どんどんブラッシュアップして、
より、「やりたいこと」に
近づいていったらいいのではと思う。

「これだ!」という運命的な出会いがない状態で、
コツコツと、自己や、仕事や、社会ついて、
自分の想いを洗い出したり、組み立てたりすることは
非力に思えるかもしれない。

でも、やりたいことがみつからないから、
「とりあえずだれかの言いなりになっておくか」、
「マニュアルを仕込んでおく」
というのとは、納得感も、出口も全然ちがう。

項目ごとに、正直な小さな想いを文章化しているので、
表現できた小さな解放感があるし、
やがて大きな正直な想いを組み立てるパーツにもなる。

ワークショップの3〜4時間で、
この作業をやっているうちに、どうして
本当にやりたいことが見つかってしまう学生がいるか、
というと、

「自分」と「仕事」と「社会」という3つの要素を、
関係づけて文章にしようとすると、
どうしても、一段深い自分の想いへと
思考を掘り下げなければならないからだ。

やってみるとすぐわかるのだけれど、リクツだけの
「つじつま合わせ」で、
3つの要素をつなげようとすると、
どんどんそらぞらしくなって、
まさに、「自分と仕事と社会がつながらない」
状態になってしまう。

以前、このコラムで紹介した、私の姪の亜希子も、
大学受験のため「志望理由書」を書くときに、

将来やりたい社会福祉士という「仕事」と、

児童相談所を訪問した体験をきっかけに、
その仕事を目指すようになった「自分」と、

高齢化が進む「社会」とが、
いっこうにつながらなくて苦しんでいた。

そこで、きっかけとなった体験、
児童相談所を訪問したときの自分の想いに立ち止まって、
「なぜ、あのとき私は社会福祉士になろうと思ったのか」
なぜ、なぜと掘り下げてゆき、
自分の根底に、児童相談所での気づき、

「人には一人一人、それぞれちがった
 歩いてきた道のりがある。」

という想いが言葉になる。
その瞬間に、

「だから私は、お年寄りが、
 それまでの80年なりの
 歩いてきた道のりにふさわしい老後、
 そして人生の最期を迎えられるように
 サポートしたくて、社会福祉士になろうと思ったんだ」

という「仕事理解」が生まれ、

「お年寄りが、それまで歩いてきた道のりと関係のない
 老人ホームで最期を迎える社会背景に、
 自分はひっかかってきたのだ。」

という「社会背景」への問題意識が言葉化でき、

「だからこそ、自分は、これまで、
 小規模の地域にこだわって福祉の勉強会に
 参加していた」

という「自己理解」が確認でき、

「将来は、人が住み慣れた街、家で
 おなじみさんたちの顔に囲まれて、
 老後や人生の最期をむかえられるような
 福祉のあり方を」

という将来の「ビジョン」が文章になり、

自分と仕事と社会と、将来が
一貫した文章としてつながった。

そして、このときの文章に表した想いが、
いま、リアルな世界でも、
亜希子と、仕事と社会をつないでいる。

自分の底の底のほうにある原点のような想い、

「この仕事いいな」と気になったことも、
「社会のこういう点がなんだか引っかかる」
ということも、
自己に対する理解も、
底にある想いから、無意識に発生している。

だから、その想いまで掘り下げ、
意識化して、言葉にできれば、つながりが出てくる。

みんな、なにかしら、社会や仕事に対して
想っていることがある。
何も感じてない人などいはしない。

これも現場に出ての発見だった。

ただ、自分でその想いに気づくかどうか。

就活用にと、あまりに大きな立派なものを
探している人は、
なかなか自分の中にずっとあった
ささやかな想いに気づけないかもしれない。

自分の中の原点のようなささやかな想い、
その想いに気づくと、就活生は強い。
そこから内定が出た人を私は数多く見てきた。

「やりたいことが見つからない。」

そんなとき、1つ仮説をつくってから、
悩んでみるのはどうだろうか。

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2013-11-27-WED
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