YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson657
  希望を言葉でつくる


書く教育に携わり、
自分も書く生活を続けてきて、
あらためてすごいと思うのは、

「人間は言葉で希望をつくる。」

ということだ。
そして、

希望を書くには「創造力」が要る。

「未来」はだれにもわからない。

「過去」なら調べて書ける。
記憶で、記録で、書くことはできる。

「現在」は、
目で見て、手で触れることで、
あるいは自分の感情を吐露したって、
いまを書くことはできる。

しかし、未来だけは、
触ることも、教わることも、調べることもできない。

これだけは、どうしても
「創ら」なければならない。

先日、神戸、
表現力のワークショップで、

「すべてを失った」と言っても、
決して言い過ぎではない、一人の女性に会った。

かりに、希未(のぞみ)さんとし、
プライバシーに抵触しないよう改変を加えて話そう。

希未さんは夫から、
人格や尊厳にかかわるハラスメントを受けていた。

希未さんはそのために、
がんばってきた仕事も辞めなければならなかった。

家庭に入り、主婦業に専念するも、
日常のちょっとしたことで
急激に、理不尽に、気難しくなる夫。
希未さんは自由を奪われ、生き方を制限され、
神経をすりへらしていった。

やっと外部に相談しようと思い立ったころには、
もう状況はとても深刻になっていて、

「この生活を続けていけば、
 人間としての尊厳までも損なわれる」

と言われたそうだ。

「こどものために、このままではいけない」

と希未さんは行動に出た。

希未さんは詳細を語らなかったし、
夫のことも決して悪くは言わなかった。
ただ、

「自分がいままでの人生を通して積み上げ、
 自分の手で築いてきたものを
 すべて失わなければならなかった。」

とだけ言った。
私が察するに、

その夫からのがれるために、
住んでいた土地や、
関わっている人々とのネットワークや、
夫から制限された自由の中でも、それでも工夫して、
希未さんがコツコツと働きかけて培ってきたものを、
いっさいがっさい、手放さなければならなかったのだろう。

全てを捨てる。

連続性を失うことは、アイデンティティを失うこと。

自分を知る人もない、

過去から連綿とつづけてきた仕事もない、

自分を必要とし働きかけ合うコミュニティもない、
これからどうして生きるのかもわからない。
そんな自分を、希未さんは、

旅人だと言った。

事実は人の予想を超えていて、
希未さんを長年苦しめてきた夫は、
少し前に亡くなってしまったそうだ。

「夫から逃れ、子を守る」という
希未さんを縛っていた唯一の目的、
その糸がプツンと切れた。

希未さんは、地面に再び落とされた。

解放というのか、荒野というのか。

とにかく、
自分の連続性を証明するもののない社会で、
こどもの手を引いて、
希未さんは、ひとり、
これから地に足をつけて歩かなければならない。

ここで、夫への愚痴が出たっていい。
私が希未さんなら、夫を恨むだろう、
自分の人生を返せ戻せと、
理不尽な自分の運命を呪うだろう。

ところが希未さんは愚痴のひとつも
言わなかった。それどころか、
ここで出てきた言葉に、
私は、胸を射抜かれた。

「すべてを失ったからこそ、得たものがある。」

「私は旅人。
 仕事もない、人生で築き上げてきたものも、人間関係も、
 なんにもない、これからどうするかもわからない、

 だからこそ、

 どこに住もうかとか、
 マグカップ一つにしてもどんなのを使うかとか、

 これからは、自分が心から想う、
 ほんとうに好きなことをやって生きていこう!」

自分の連続性を証明してくれる仕事や人間関係や
しがらみがないからこそ、
どこに住むのも、どう生きるのも自由。

「これからも旅人として生きる!」

晴れ晴れと希未さんは言った。

希未さんは、東日本大震災の津波で、
すべてを失った人に想いを馳せていた。
多くを語らなかったけれど、
きっと今の希未さんなら、
すべてを失った人に、
希望を言葉で表現できるだろう。

震災を乗り越えた街だからだろうか。

この日7人の表現は、
7様の自分の人生を表現しながら、
全員が、無自覚に、最後に「希望」を表現していた。

3人のこどもを育てながら働くお母さんは、
「若い人に働くってたのしいよ」と希望を照らし、

両親がともに聴覚障害者、
両親も職場で差別を受け、自分もいじめを受け、
「弱者に対してあまりよい感情がなかった」
という女性は、それでも認知症の高齢者という
弱者を支える仕事についた。

昨日までできてきたことがどんどんできなくなる、
認知症の人々を支える虚しさを表現したあと、

「だからこそ、職場のチームで、
 言葉でコミュニケーションをとりあい
 支え合わなければならない」と。

彼女は、職場で絶望に出会い、
だからこそ、仲間と伝え合い協力し合うことに
心底、希望を見い出した。

7人のこの日の表現をそのまま1冊の本にしたら、
7つの短編集になり、「希望」とタイトルがつく、
そんな表現だった。

「希望」をつくるとき、人はいつも対極にいる。

光を語るときは暗く濃い闇にいるし、
愛を語るときは孤独や枯渇に身を置いている。
充実を描くときは、虚しさのなかにいる。

人間は希望の真逆の状態で、
いや、真逆の闇を経験するからこそ創造力が呼び起され、
手で触れることも、だれに教わったこともない。
「希望」を言葉で描き出すことができる。

私たちはみんな希望をつむぐ創造力を持っている。

創造性とは、もしかしたら、
「希望」をつくるために人間に備わっているんじゃないか、
生まれながらにして「考える力」をもっているのも、
「希望」をつむぐためじゃないか。
生徒さんの表現に、そんなことを日々教えられている。

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2013-10-23-WED
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