YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson615
  友は恋よりうつろいやすく



私たちには、どうも、
「恋は壊れやすいけど、友だちは一生」
という先入観があるようだ。

でも、ほんとにそうか?

「こっちは好きでも、
 同じように好いてはもらえない友情」
について先週書いたら、
編集者さんが、
こんな衝撃的な言葉を教えてくれた!


<友情は季節に咲く花>

片思いの友情‥‥、

たまたま読んでいた松浦理英子さんのインタビューで
深沢七郎さんの言葉の

「友情は季節に咲く花のようなものだと思っています。
 季節が終われば花は枯れる。
 そこを立ち去って次の花に出会うだけだ」

とおっしゃっていたのが心に残っていました。

MSN産経ニュース2012年10月9日付より抜粋引用)

時間や気候や、またタイミングが合えば
おなじ花が開くかもしれないですしね。
(編集者Sさんからのメール)



「友情は季節に咲く花」

厳しくもあるが、
友情は永遠という固定観念の縛りから、
私たちを解放してくれるような、力ある言葉だ。

この言葉から、蘇る光景がある。

たとえば、
1次会から2次会へ、
仲間たちとゾロゾロ歩いていくようなとき、
あるいは、帰りに駅まで歩くとき、

私と友人は、
気づけばいつも、並んで歩いていた。

友人は、
どんなに離れて後ろを歩いていても、
「ズーニーさん! ズーニーさん!」
と私をめがけ、子犬のように駆け寄ってきて、

道すがら、おしゃべりがとっても楽しく、
目的地まであっという間だった。

ある日、

いつものように後ろから
小走りで駆け寄ってきた友人が、

私の横を、スッ! と通り過ぎた。

友人は別の人の名を呼んでいた。

「Aさん! Aさん!」

その日をさかいに、
気がつくと、いつもの友人の姿は
私の横に無く、

私の目線の先に、
友人とAさん二つの背中が楽しそうに並んでいるのが
いつもの景色になった。

あれは、まさに、
友人のなかでひとつの季節が終わり、
次の花に移っていく瞬間だったのだなあと。

当時、つらかった光景が、
季節の花にたとえると、なぜか安らぐ。
美しい想い出にさえ思えてくるからふしぎだ。

「恋は儚いが、友情は一生」

そう思っている人は多い。
でも、もしかしたら、
「友」は、恋以上に好いた・惚れたの世界ではないか?

男女の恋は、
どんなに熱くとも、必ずいつかは冷める。

でも、よくしたもので、

結婚や婚約などの制度があり、

子孫をつくる、
家庭を築く、
という共通目標が与えられ、

共同作業をするうちに
「絆」が生まれていく。

いっぽう友情は、

いくら仲良くなったからといって、
結婚など次のステップがあるわけでもないし、

冷めてきたからといって、
別れを切り出すわけでもない。

「つきあいが長いのだし、もうそろそろ、
 結婚か、さもなくば別れて、」と
選択を迫られるわけでもない。

季節の終わりがうやむやで、

なんとなく疎遠になってるか、
しらぬまに家族的な絆が生まれているか。

でも、恋と同じように1つの季節の終わりはある。

いや、指輪の、婚約の、言わない分、
恋よりもろく、無防備に、

いつくるかもしれない季節の終わりに
さらされているんじゃないだろうか。

私と友人との間に「絆」はある。
いまも、これからも。

ただ、
夕方からごはんして、2次会にいって、
その間6、7時間と、えんえんしゃべりまくっているのに、
まだ足りず、終電をのがしたり、
さっきまで逢っていたのに、
帰ってまたメールしたり、
互いの家に泊まったり、
そういう季節は過ぎたのだ。

私は、なかなか花が咲かない分、
ひとたび咲くと長い。
あのとき、私の花は終わっていなかった。
だからあのとき、認めたくなかったけど、

「ひとつの季節の花が終わったのだ。」

そう認めると、
逆に、花が咲いてくれたこと、
咲いていた時期を、
ありがたく、愛おしく感じてくる。

4月に咲いた桜は、5月にないのが自然の摂理。

それを想えば、
相手を恨んだり、
自分のどこがいけないかと
裁いたり、修正したり、
魅力的になるの、振り向かせるの、
皮相な努力をせずにすむ。

それよりも、「わが道を行く」ことだ。

私自身は、友情は、
あるとき偶然、海路が重なりあう2艘の舟
のようなものだと思う。

小学校、中学校、高校と、
みんないっしょに大きな船で同じ海路を進んでいて、
なんとなくこのままずっと一緒にいけるとおもって育つ。

けれども、「こう生きよう!」と想ったときから、

人は、暗い海に一艘、自分の舟を出さねばならない。

成長も後退も、
なにしろ地球は丸いのだから、
海路は自分で決めなければならない。
自分では進歩したと思っても、
そこになにがしかの後退はつきまとうし、
落ちぶれたとおもっても、自分のなにかは進んでいる。

どんなに好きな友だちでも、
自分の進路をあけわたして、
くっついていくわけにはいかない。

私も、会社という巨大な船を降り、
暗い海に一艘、自分の舟を出し漕いできた。

孤独だ、孤独だ、と思って進んでいると、
あるとき、ふっと横に一艘、
自分と同じ海路を進んでいる舟がいる。

「いやあ、私もやりたいことがあって、
 こっちの海を目指してまして‥‥」

そうして気持ちが通じ合って、しばし、一緒に進むも、
目指す方向が別れ、

「たのしかった! ありがとう! またいつか!」

と手を振って、
また一人、舟を漕ぐ。

そんなふうにして孤独だ、孤独だと思って、
でもあきらめずに自分の道を進んでいくと、

必ずある日、ほんとうに嬉しい、
生きててよかったと思うような出会いがあるものだ。

なんで自分みたいなものに
こんな素敵な友だちが、と思うが、

考えてみれば自然なことだ。

先が見えないながらも、
自分はこっちの海の方が面白そうだ、素敵だ、と思って、
別れや痛みもうけおいながら、
必死でこっちの海を目指してきたのだから、
その海路に、
自分と気持ちの通じる、素敵な人たちがいるのは
当然のことで。

でもしばし舟を並べて進めても、
何艘といっぺんに通じ合えても、
またそれぞれに自分の海路を目指さねばならない。

地球は丸いので、
いつかまた、自然に海路が重なる日がくるのか
こないのか、それはわからない。

でもだからこそ、
いま自然に海路が重なるこの季節と、
そこに咲いた花を、
せいいっぱい楽しもうと私は思う。

あなたの花は永遠ですか?
それとも限りがあるから美しいですか?

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2012-12-05-WED
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