YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson607
      人の品  − 4.品プロジェクト



その日は、朝から、
ひっちゃか、めっちゃか、だった。

くたくたの体をひきずって、
やっとのことで部屋に帰り、どっか、と腰を降ろすと
もう、とっぷり日も暮れている。

ふと見ると、机の上に返信用封筒があった。

取引先が、「急いで書類を送り返して」と、
ていねいに速達の切手をはって
届けてくれていたものだ。

「きょうは、もう疲れてくたくただ、
 明日にしよう」と思ったとたん、
心に母の声がした。

「ちゃんとしてあげにゃあ、いけん!」

今年、母と富士山を見に旅したとき、

あわてた私は、
温泉旅館の部屋のキーを、
バッグに入れたまま、
帰りの急行列車に乗ってしまった。

旅館に電話すると、
さすがにあきれられ、
でもスペアキーはあるので、
宅急便で送り返してくれればいい、
ということになった。

私は「明日にしよう」と決めこんだ。

「まず母」、
だったのだ、そのときの私は。

母と旅するのは、
もう何年ぶりかわからないくらい久々なのだ。

高齢で心臓病があり、父の介護まである母が、
意を決して新幹線に乗り、
たった一人で上京してくれたのだ。

あす早朝、母は田舎へ帰ってしまうのだ。

ひと目、スカイツリーも見せたいし、
疲れたろうから少し横になって、
母を休ませる必要もある。

「旅館のキーなど後回し」、
そんな私の性根を見透かした母は、

「ちゃんとしてあげにゃあ、いけん!」

人さまのことは、
きちんとして差し上げないとだめだ!
とキッパリ言った。

母は、「まず、人さま」だ。

人さまの旅館の、大切な鍵を持ち出してしまった、
不自由されてるのではないか、
心配されているのではないか、
人さまにご迷惑をかけたまま、
「旅どころではない」というのが母の性分だ。

正直、母がなぜここまで「人さま」なのか?

世間体を気にしているだけじゃないかと、
かつては批判視さえしていた。

しかし今年、母と一緒に旅して、
はじめてわかったことがある。

母の根本に、人に対する尊重がある。

母だけではない、
故郷の人々の根本に「利他」の心があり、
それが、ともすれば都会の人には、
「人目を気にする」と誤解される。

でも母たちの心には、ただただ、かけねのない、
「人さま」に対する尊重がある。
それは、「まず自分」である私も揺らぐほどに。

旅先で母は、ひごろお世話になっている
まわりの人々へのお土産をまず、買いそろえた。

父や自分自身の分の土産は、
まわりの人の分が買い終わるまで手をだそうとしない。

旅館の人々が、
特別な気配りをしてくれたときは、
母は気持ちよく「心づけ」を差し出した。

旅の恥はかきすて、という言葉があるが、
母にとってはそうではない。
旅先で逢う人、逢う人、丁寧に接し
二度とは逢わない人々へ、真心のいきとどいた応対をした。

母の生まれ育った田舎の農家では、
お茶一杯飲むにも、葉を摘んで、干して、煎って、
ひとつひとつに、人の手間と想いがこもっている。
そのようにして成り立ったものを食べ、育った
人を尊ぶのは、ごく自然のように思える。

「ちゃんとしてあげにゃあ、いけん!」

いま、私の机にある返信封筒も、
速達のハンコを押し、切手を貼った人があり、
その人のご都合がある。
速達にしたからには、急いでおられるのだろう。

「ええい! 品プロジェクトだ!」

私は疲れた体に鞭打って立ち上がり、
投函しに行った。

「品プロジェクト」とは、
私が勝手に言ってるだけなのだが、

こんかいの返信封筒の件のように、
だれも見ているわけではない、
日常のちょっとしたシーンでどうふるまうか?
自分の品性が小さく試されているとき、
気合いを入れるための言葉だ。

読者のお母さまが、
留守宅のテーブルの上に、
お金を封筒に入れて置いていかれたことを想い、
私も、品という、あてもはてしもない
ひとりプロジェクト、日々精進だ。

返信封筒をただのモノと見るか?
そこに人の想いを見るか?

他者の想いを見ることができたとき、
そのふるまいに自ずと品が宿る。

今年の旅で、母の背中に学んだことだ。

きょうも、読者の素敵なおたよりを
紹介して終わりたい。


<他者を>

品のある人は、
自らの品を守ることだけでなく、
相手の品をも守ることを知っているのではないだろうか。
(うろこ雲)


<進むために>

不確かな未来に向け一歩ずつ進もうと奮闘中だが、
周囲の人の協力なしではまったく進めない。
人に頼みたくない、できることなら自分でやりたい、という
幼稚な自分がいる。

品のある人ならば、背筋をぴんと伸ばし、
堂々と協力を仰ぐと思う。

品の無い自分は卑屈になったり、
逆に尊大になったりと自己中心的で嫌な奴だ。

本物の品格を身につけたい。
(48歳で動物病院の開業を目指す品のない男)


<助けが必要な父が与えてくれたもの>

つい先ごろ亡くなった父は、
晩年、家族に対しても、
お世話になっている周りの方たちにも
茶目っ気たっぷりに冗談を言っては笑い、
周囲の手助けに対しては、
心からの感謝の言葉を惜しみませんでした。

次第に身体の自由が利かなくなってきても
自分のことは自分でしようとする父の姿は、
気高くさえありました。

人の手助けが必要になってからの期間に
父が与えてくれたものの大きさ、尊さを、
今、私はしみじみと味わっています。

もしかしたら自分に執着し過ぎなかったから、
周囲の援助を素直に受け容れ、
感謝の気持ちをすんなりと表すことができたのかな、
とも思います。
(心)


<品を保つには>

いつの頃からか、
「一方的な自分語り」や、「言い訳」、「愚痴」に対して
「品がない」と思うようになり、
極力しないように気を付けています。

必死になって自分をアピールしても、
結局相手には何も伝わらない。
自分の失敗も、欠点も、正当化しようとしても、
言葉を重ねて改善されるわけではない。

それなら、黙っているほうがよっぽど潔い。

自分に戒めを持ってからは、
向こうから求められる時だけ、自分のことを話し、
必要だと感じた時にだけ、
自分の思いや意見を伝えるようにしています。

しかし、そう心がけてみて初めて気づいたのですが、
人間というのは想像した以上に、
他人に興味を持っていない。

コミュニケーションの場で、
「あなたはどう思う?」と向こうから聞いてくれる人は、
意外に少ないものです。
聞き役に回っていると、
何事もなくおしゃべりの場は過ぎていってしまう。

私としては、せっかくのコミュニケーションの場を、
愚痴や自分語りばかりで終わらせるのではなく、
もっと建設的で、双方向なものに変えていきたいのですが、
なかなか、うまくいきません。

決して悪口を言わない人、弱音を吐かない人も、
みんなの中でこんな思いをしているのかも‥‥と思います。

「品」を保つということは、
孤独を受け入れることなのかもしれないですね。
(Kajitomo)


<倒れ方も選ぶ>

堕ちるか堕ちないか、という点において
過去にひとつ思い当たることがあります。

10年くらい前に
仕事と看病のストレスから体を壊し、
休職しました。

もう限界だ、
そう思ったとき、ふと、
スキーの山の斜面が心に浮かびました。

転んだとき、
谷側に倒れるとますます滑り落ちる、
山側に倒れればそれ以上落ちることはない。

わたしは山側に倒れるんだ、そう思いました。

そうして、しばらく外界からの雑音を
シャットアウトしました。
そのとき自分を取り巻いていた問題についても
考えることをやめました。

お笑い番組を見て、
映画のビデオを年間200本観ました。
一人がまったく不安になりませんでした。

“品”とは
自分が人として大事にしていること、
矜持というより、
もっと無意識レベルのイメージなのですが、
それを忘れないことではないでしょうか?

つまり、自分で決めた自分のルールを破らないこと。
自分で決めたルールですから、破っても人にはわからない、
しかし、それを真摯に守り通すこと。
(JUSUTIN)


<手を離したらおわり>

「そこには理不尽なまでに理由はない」
と先週のコラムにあり、

私はよくアフリカのサバンナに住む動物達が食い、
食われするドキュメンタリーを見ます。
そこに、「理不尽な」命のありかたをみることがあります。

アメリカに来た最初の2ヶ月間、
私は英語の力が足りなかったので、
英語のクラスを取らなければなりませんでした。

このクラスをクリアしなければ、
大学に入ることすらできない。

切羽詰った状況が先生にも見えたのか、
授業も終わりに近づくころに
こんなことをおっしゃりました。

「あなた達はこれから、
 各々の大学のコースへ移っていくと思います。
 英語が母国語でないあなた達にとっては、
 大きなチャレンジですね。
 だから、hang on という言葉を贈ります。
 洪水に流されて、何とか木の幹にしがみついている
 と思ってください。手を離したら流されてしまいます。
 hang on!! あなたが手を離さない限り、
 助けがきてくれるでしょう。」

どれだけしがみついても助けが来ないかもしれない。
そして力の限界がおとずれ濁流に飲み込まれる。

あまりの恐怖のために
しがみつくことを放棄するかもしれない。

でもびくびくとその時のことを心配して
生きるのではなくて、
些細なことに注意を払って、
しがみつける自分を創っていく。

「どうでもいい」とか「あきらめ」というのは
得たいの知れないものへの恐怖かもしれません。
得たいの知れないものを凝視し、
恐怖をひとつひとつとりはらって、
自分の強みに変えていく。
私にとっては、現在進行形の地道な作業です。

理不尽な命であるからこそ、
最後の最後まで助かることを疑わず(放棄せず)に闘う、
そんな姿勢を野生の動物達にみています。
(いずみ)


<きらめき>

ダイヤモンドの品を
ジルコニアが持たないのはなぜか?

それは、圧力に耐えた時間が違うからではないでしょうか。

長い年月、重い圧力に耐えてきたものを、
磨いて初めてダイヤモンドの中に
もともとの炭素には含まれていない「品」が生まれる。

ズーニーさんが言う品というものは、
さざれ石のように何かをすり減らしながらも、
長い年月大きな圧力に耐え、
それでも潰れないように頑張って守ってきたものの
「煌めき」なのだと思います。
(アメ)

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2012-10-10-WED
YAMADA
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