YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson597
  くだらないことこそ、ちゃんとやれ。
  − 2.最大の敵



「自己表現」というのは、実は、
人に話せば笑われそうな、ささいなこだわりの、
実行の積み重ねではないか?

と私は思う。

というのも、文章教育において、
もうすっかりいい大人になった人の、
自己表現がうまくいかない原因が、

こどものころや思春期に、
果たされなかった、ちょっとしたこと、

だったりするからだ。
それらは、文章に書ききってみて、本人さえも、
とるに足りない、ささいなことだったとわかる。

しかし、ささいだからこそ、とりたてて正面対決もせず、
小骨のように、表現の喉もとあたりに、つっかえて、
その後の自己表現をさまたげていたと気づく。

でもそういう人も、
書ききって、想いが成仏すると、
いちように、自分と自分の通じがよくなり、
らしさのある表現へと踏み出していっている。

「くだらないことこそ、ちゃんとやれ。」

自分自身、そういい聞かせつつも、
なかなかできない元凶はなんなのだろうか?

先週の原稿を書いた後、
ピアスをあけに行った。

ひさびさに授かったやりたいこと=ピアスをあける

あまりにくだらないことなのだけど、
いざ実行にあたって動いてみると、
新しい発見が2つあった。
ひとつは、

「くだらないことを実行すること=ラク、ではない。」

ということだ。
自分のなかに、しらずしらず、

大義名分を実行すること=たいへん、
くだらないこと=ラク、

という先入観ができてしまっていた。
これは大間違いだった。

ピアスをあけることは、
思っていたより、ずっとずっとめんどうで、
忍耐が問われる行為だった。

まずピアスホールができるまでに4〜6週間もかかる。

その間、かたときも金具をはずすことはできず、
毎日毎日、専用のジェルをつけ、
シャワーで丁寧に洗い流し、
綿棒で水分が残らぬよう丁寧にふきとる、
という地道な消毒をつづけなければならない。

なんといっても、あけたあとの鈍い痛みのなかで、
よぎる、かすかな罪悪感、これはなんだろう?

あけたての穴は、ほんのちょっとでも金具をはずすと、
あっという間にふさがってしまう。

からだは、「穴があいた!」
「異物がはいった」ということで、
けなげにも、必死で、もとのカタチに修復しようと
がんばっている。

にもかかわらず、私は、
「みてくれ」というしょうもない目的、
ただそれだけのために、
自然のチカラにそむこうとしている。

どんなにくだらないことでも、
いざ、からだをはって実行しようとすると、
そこに必ず葛藤が生まれ、
小さくても、困難とか、面倒とか、忍耐とか、
克服していくことが要求されるのだな。

中学のとき、校則やぶってピアスをしていた女の子が、
しきりに思い出されてしかたなかった。

いまなら友だちになれるのに。

そして、2つ目の発見は、
「最大の敵」がみつかったこと。

ピアスをあけるかどうかで、
最後までネックになったのは、

「夏場は避けたほうがいいんじゃないか?」
「いい歳をして大丈夫だろうか?」

先週は猛暑だったので、
「もうちょっと涼しくなってからしよう。」
となんども思い直した。

また、私たちの世代は、
若さの衰えにしたがって、
それまで使ってた化粧品が急にあわなくなったとか、
それまでなかった蕁麻疹がでてきたとかいう、
肌の適応力が落ちてく世代だ。

「もっと適応力のある若いうちにやっときゃよかったな。」

つまりは、炎症をおこすのが恐いということにつきる。

ところが、いざ実行に移すと、この点は、
拍子抜けするほど、追い風だった。

「まずは正しく知ろう!」

と、私は、
ピアスについて専門の知識があり、
かつ、現役でたくさんピアスをあけたり、
炎症を診察したり、治したりしているお医者さんの文章を、
ひととおり、はじからはじまで読んだ。

なんと、夏場かどうかは、まったく関係ない。
それならハワイの人はピアスができない。
とのことだった。

科学的な頭ではない私は、
飲み込むのに時間がかかったが、

要は、問題は、
ピアスの素材・サイズと、アフターケアにあるようだ。

私は、最初は純金と思いこんでいたが、
今、さらに金属アレルギーを起こしづらい医療用金属、
体に長時間ボルトを埋め込むときなどに使う金属で
できたピアスまである。

炎症をぜったい避けたかった私は、
少々高くても、ダサくても、
医学的にみて体によい素材にしようと決めた。

ところが病院にいってみると、
アレルギー対応金属でできたピアスにも、
パールや、ラインストン、色とりどりの石やデザインが
豊富に用意され、選ぶのにとまどうほどだった。

時代は移り、技術は進歩している。

病院の看護師さんというのだろうか、
ピアスをあけてくれる若いお姉さんに、

「いい歳をして、肌ヂカラも衰えてきてますが、
 大丈夫でしょうか?」

とたずねると、

「うちにはもっともっと上の年齢のかたも
 たくさんこられます。
 先日も、80代の女性が、
 社交ダンスをはじめたから、
 イヤリングでは落ちるから、
 とピアスをあけていかれましたよ」

とごく自然に答えてくれた。

ふたをあけてみると、そこに敵はいなかった。

病院の看護師さんも、
医学の専門的な技術も、
これからどんどん暑くなる季節も、
ピアスを創る人たちの技術も、

なにひとつ阻害しないどころか、むしろ、
どーぞ、どーぞといわんばかりだ。

「最大の敵は自分だ。」

私は、あらためて痛感した。

くだらないことをちゃんとやろうとしているとき、
いちばん抵抗し、いちばん自分を疎外しているのは自分だ。

なにより、自分が、自分にくだらない、
と却下してしまっている。

それは、いざ実行するとなると、
思ったよりずっと、めんどうなことたちを避けるため。

なんとなく恐い、ため。

強制力がなく、尻を叩いてくれる人がいないため。

失敗したときに、くだらないことだからこそ、
「イタイ」感じになるため。

責任がすべて自分にふりかかってくるため。

自分のなかに、まだまだ、こんな小姑がいたことを
知れただけでも、今回はよかった。

でも、私は小姑に負けなかった。

ピアスホールは、まったく順調にできつつある。

秋に、お気に入りのピアスがつけられるとおもうと、
わくわくしている。

最後に、
日常のちいさな自己表現を、
ちゃんとちゃんと、だいじにしている読者からの、
元気が出るおたよりを紹介して
きょうは終わりたい。


<ひょうたんを作り続ける夫>

「自分が自分のみかたである」、
いい言葉ですね。
うちの家族は
誰も喜ぶわけでもない「ひょうたん」を作り続ける夫、
お笑いライブが生きがいの長女、
なんだか知らない「歌い手さん」の握手会に
胸をときめかす次女、
私から見れば、それほどのものか?
と思うものに、みんな「命がけ」です。

はたして、私は自分の味方だろうか?

8月は、1年ぶりにたくさんのオフの時間を作りました。
自分の声に耳を傾ける夏にしたいと思います。
(潔子)


<田舎からライブに通ってます>

私は、かれこれ20代前半から10年ほど
ライブやコンサートに通っています。
田舎に住んでいるものですから
自分が行きたいと思うライブやコンサートは
地元ではまずありません。

大体、東京や大阪へ半日ほどかけて出向きます。
チケット代だけでなく交通費・宿泊費もプラスになります。

三十路を過ぎてくらいからでしょうか、
ふと「私なんでこんなにお金かけて、
疲れるのも分かっているのにわざわざ行くんだろ」
って頭を過ることが増えました。

くだらないって思ってしまうこともあります。

何度もライブへ行くうちに、
ライブ中に音楽から伝わってくるものが
ぶわっとイメージとなって湧くこともありましたし、
涙がとまらないこともありました。
気付きもありましたし、
自分で気付いていなかった自分を知ることもありました。

にもかかわらず、
最近「私なんでこんなにお金かけて」と思う自分もいます。

加齢のせいかなって思ってました。

更には音楽や音楽の送り手に対して、
人の数だけ賛否や意見がありますが、
私はついつい色んなところで
自分の好きな音楽や音楽の送り手に対しての
他人の賛否や意見を目にしては
勝手に落ち込むことがありました。

こっちも正しいし、向こうも正しいからです。

正しい言葉には力がありますね。
正面から受け取って、勝手に落ち込んでしまいます。

でもズーニーさんの今回のお話を拝読して
その音楽をいい!って思った自分、
ライブに行くって決めた自分、
ライブで楽しんだ自分、
好きな音楽を大切にする自分を
ちゃんとみてやろうって思えました。

私は私の味方でいてやろうって決めました。
(のの)


<モチベーションをつくるもの>

20代の後半で、専門学校の教員になりました。
しかーし。
30代半ばで、ピアスを開け、
髪を明るい色にしてみたり、
悪いこともしております。

切っ掛けは、
出産で長いことお休みする職員がいて、
忙しいのか、めでたいのか。
分からないくらい忙しくて。

「ピアスくらい開けようじゃないの」と開けて、
「髪くらい染めてみようじゃないの」と染めてみました。

本当にくだらないことは大事。
モチベーションはそんなものでできている。
(なお)


<記念の自己表現>

ピアス。
私も同じ気持ちで今まできました。
そして、40も過ぎてピアスを開けたい衝動に駆られます。
誰にも言わなかったことだけど、
そんなこと思う人がいたことに
ちょっと笑ってしまいました。

今年、一生つきあわなくてはいけない持病を
持つことになりました。

その、記念にピアスを開けてみようかな。ふふ。
(よーぶー)


<疎外は日常のひだひだに>

「どんなささいなことでも、
 自分が心から、それをやりたいとおもったら、
 くだらないことだと自分で却下してはいけない。
 それは自分で自分を疎外することになる。」

手帳に書きとめました。

たいそうくだらないことだけれど、
さっそく美容皮膚科に電話をかけて予約をとりました。

夫やこどものため、仕事相手のため、と思いつめて、
平日は夜中3時の授乳のあと
洗濯しながらPCに向かって仕事をして、
休日はこども達と動物園や水族館へでかけて‥‥、
というのを続けていた時期があります。

ある日おきあがれなくなって、
夫に病院に連れて行ってもらったら、先生に叱られました。

たぶんあのときのわたしは、
生物としての自分を、自分で疎外していた、
と思い至ります。

自分の疎外は、ある日とつぜん始まるわけではなく、
日常のひだひだにひそんでいるのかもしれませんね。

こどもを保育園にあずけている母親が
美容のことを考えるなんて、
ずうずうしいような気がするけれど、
うきうきします。

なににも貢献しないことを自分に赦すこと、
はじめてみようと思います。
(ちえ)


<小さな実行>

今日、どこでご飯食べる? とか
週末、どこへ行く? とか、
小さい、くだらない、
不正解のない事柄について
自分の意見を言わない生活を長年続けていた結果、

私が決めなくてはならない状況になったとき
なにも浮かばないし、うかんでも口にできないんです。

少しのわずらわしさ、根拠のないためらい、
ひょっとして反対されるかも、
こんなことくだらないかも、
なんでそんな事にこだわってるの、と思われるかな、とか、
そんな小さな小さなことが
いろんなことの足を引っ張るのです。

今回のお話を読んで、そういうことか、と

このメールだって、「書いても送信しないかも」と
いや、たいした意見でもないし、と打ち消して
いちども送ったことがなかったんです。
1本のメールを送る、という、ちいさい、
くだらないことですが、
今日は送信したいと思います。

くだらない、小さな決断が人生を作っていくのだよな、と
思いましたので。
(まろん)


<小さいことだからこそ>

私の両親は、
小さい時から厳しく、
割と高圧的でした。
高校の進路も、
大学進学も、
親の希望の範囲内での選択でした。

親の意向で、
婚約破棄に至り、
結婚も失敗しました。

今でも、
着る服、履く靴、
持つカバンに至るまで
口を出して来ます。

でも、

小さいことだからこそ、
そこから自分で決めることが
大切なことやったんですね。

小さなことで、
やりたいことをないがしろにしてきたから、
大きな事も
ないがしろにされてきたんですね。

まずは、
小さなことから、
自分の気持ちをたいせつに。
頑張ろうと思います。
(なおこ)


<人の記憶に残るもの>

山に登ったり、川を下ったり、
地元の伝統的なお祭りに積極的に参加したり。
「何を成すか」という人生の命題とはかけ離れたところに、
いかにエフォートを突っ込めるか。
それが自己表現であり、
そういう部分が、結局人に覚えられていくのだと、
強く感じました。

医療系大学で教えていますが、
ともすると国家試験の予備校みたいになってしまう現状、
勉強だけでなく自分らしさを表現することの大切さを
伝えて行ければと思いました。
(勝)


<いつでも理不尽が顔を出せる冒険者でありたい>

年だから、とか、社会的役割があるからとか、
せっかく積み上げたものによって
縛られるのはつまらない。

いつも理不尽が顔を出せる自由度を持っていたい。

ズーニーさんのお母さんの
長旅・一人旅をしてでも、
富士山が見える温泉に行きたい。
いいですねえ。

ズーニーさんのリスク覚悟の決断があったからこそ、
お母様の大輪のような笑顔があったのだと思います。

輝く瞬間は、いつも挑戦・冒険のたまもの。
二人の冒険者に、拍手です。
(人、それぞれ)


<人生最大のこだわりどころ>

昨年6月、「おかんの昼ごはん」の4回目の
冒頭の読者メールに
取り上げてもらった者です。

私が最後に見た母はうどんをすすっていた後ろ姿。

ズーニーさんにメールを送ったころ
私は母を喪った哀しみより
あの後ろ姿を受け止めきれず、のたうちまわっていた。
でもズーニーさんにメールを書いたことで
不思議なくらい静かな気持ちになれた。
3年かかってもできなかったのに、すぐに。
どんなに楽になれたか。

今もあの後ろ姿を思い出すときがある。
そのたびに哀しい。
でも引き裂かれるような、
えぐられるようなものではないんです。
楽になれた。

今回の「くだらないことこそちゃんとやれ」
揺さぶられました。

「その1ミリが、
 決定的に何か大事なものを損なう気がした。」

わかる。
私はいつだってその1ミリを大事にしてこなかった。
自分への1ミリの裏切りは
必ず大きなしっぺ返しがきた。
そしてその最大のものは
母のいのちを短くしたこと。

お母様に美しい富士山を見せてあげられて
本当によかったですね。
それはズーニーさんのこれからの一生を支えていくはず。
最大のこだわりどころでしたよ、間違いなく。
(まゆママ)


<わくわく>

やりたい! なんとしてもやりたい! という気持ち、
私は「わくわく」と呼んでいます。
必ず、絵が浮かんで、毎日どうやったら実現するか、
誰を巻き込むのか、もやーっと考えて
見えてきたら誰かに相談したりして、実現にむかいます。

くだらなくて、とっても小さなことだけど、
自分の思いに正直に向き合って出来たこと。
生まれた物。そして誰かに伝わったこと。
実は一番、それらが今の自分を
作っているような気がします。

ちなみに私は、アラサーになって
生まれて初めて茶髪にしました。
(さんご)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2012-07-25-WED
YAMADA
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