YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson587  仕事の選択 13


私が、「教育」の分野で、
ずっと意欲をもって
仕事をしつづけていられる理由の1つに、

「越権行為をしない。」

ことがあげられる。
文章表現教育なら、文章表現教育の、
「持ち場」をきちんとわきまえ、

自分の領分において、使命をまっとうする。

自分の持ち場をこえて、
生徒さんに介入することを
私は、厳しく自分に禁じ、つつしんできた。

世の中には、
越権行為を美談のように語る人もいる。

たとえば、
「彼は、いち教員でありながら、
 もう、教員のワクにおさまらない
 すばらしい仕事をしている」
というふうにだ。

「持ち場を越えて働きかけること、
 それは、いいことなんだろうか?」

私には、越権行為を厳しくいましめる
分岐点となった経験がある。

プライバシーに差し障るので、
人物や、設定などに、大きな改変を加えて、
お伝えしよう。

20年近く前、私は、
いわゆる「カルト」と言われる宗教にはまった人を、
脱会させた経験がある。

かりに、大学時代の後輩、「真理子(まりこ)」
としておこう。

私は宗教をもたないが、
友人には、敬虔なカトリックもいれば、僧侶もいる。
宗教を信仰すること自体は尊重している。

ただ、真理子が信じる宗教は、
反社会的な教義がふくまれており、
それで、しばしば、職場の人たちとぶつかっていた。

ついには、真理子が、
部長の書いた企画書に対し、
「おまえの考えはまちがっている」と
くってかかるまでになっていた。

上司を「おまえ」よばわりすることも問題だが、
それ以上に、真理子が上司を非難する理由が、
わたしには、逆立ちしても理解できないものだった。

真理子は、縛りのきつい宗教に、2つも入っていた。

失恋で8年つきあった彼を結婚寸前で失ったこと、
足を怪我してライフワークのダンスができなくなったこと、
転職に失敗して前より条件の悪い職場にきてしまったこと、

いわば、真理子の
「幸せ」と、「自己表現」と、「自立」にかかわる
ダメージが3つ、たてつづけに押し寄せ、

真理子は、自分のモノサシを信じられなくなり、
自分の外の、なにか強烈なモノサシを求め、はまり、
自分で考えることを、そっくり、あけわたしてしまった。

真理子は、教義と、職場の価値観が、くいちがい、
2つの宗教も、それぞれ違って、矛盾するので、
せめぎあって、苦しいと、
私に助けを求めてきた。

ここからは、絶対に
まねをしないでほしいのだが、

不遜にも、私は、真理子を脱会させようと思い、
真理子が誰にも言うなというので、
たった一人で説得にあたった。

いま思い返せば、
なんと思いあがった、なんとまちがった判断だろう。

でも、約20年前の私は、
自分の過信や驕りに気づくことができなかった。
ちょうど、小論文の編集者として
「考える力・書く力」の教育に自信が出て、
いわばノリノリのころだった。

脱会は、思っていたよりずっと早く訪れた。

真理子はまず、2つめにはいったほうをやめ、
次に、もう1つにも退会届けを出した。
ぜんぶで3か月もかからなかった。

私がやったことは、「問い」をつくって、
真理子に質問をすること。

これを2、3日に一度、淡々と、でも根気よく続けた。
たとえば、

「高校のころは、自分の将来について、
 どんなふうに思っていましたか?」

というふうに、10代のころの自分の想いを
引き出したり、取り戻したりする質問をしたり、

例の、部長の企画書を、
いっしょに線を引きながら読み、
真理子と部長の考えが食い違うところをピックアップし、
「問い」の形にし、
あとは、真理子自身に、図書館やデータベースで
それに関する資料を集め、調べてきてもらった。

集めた資料をつきあわせながら、
どちらの考えが、より説得力があるか、
お客さんや、同僚に通じるか、と問い、
真理子自身に答えてもらった。

真理子は、
自分の言い分が職場ではなぜ通らないか
よくわかったと、
みるみる表情がかわっていった。
部長にはもうしわけないことをしたと言った。

また真理子は、今の自分は、
高校のときに思い描いていた自分とは、
ま反対にいっていると、
あの頃の自分に申し訳ない、とも言った。

脱会して安心だと思ったのもつかのま、
ほどなくして真理子は、会社に行かなくなり、
やがて電話にも出なくなり、訪ねて行っても応答せず、
まったく音信不通になった。

理由はこうだ。

度重なる不幸に、自分のモノサシを信じられなくなり、
手放してしまった真理子は、
外の2つのモノサシに支えられるようにして立っていた。

私がやったことは、
支えである2つのモノサシを、性急に引きはがすこと。

真理子は外なる支えを失い、
それに代わる内なる支えは育っておらず、
立っていられなくなったのだ。

マンションのドアのむこうで、
生きているのかさえ、確認できない、日が続き、

とうとう、真理子の両親と妹、
真理子の職場の上司や同僚、
そして、友人代表である私の立ち会いのもと、
管理人さんに鍵をあけてもらい、
部屋に入るまでになった。

私たちが侵入するとき、
万一、真理子が追いつめられて、
ベランダから飛び降りようとしてはいけないので、
隣りの部屋の人に協力してもらい、
隣りのベランダから、
1人が真理子のベランダに入って待機した。

鍵はすぐ、あいた。

しかし、「ガシャーン!」と、
太くて重いチェーンにはばまれた。

警備会社を呼び、
チェーンを切断するまで、相当時間がかかり、

私もそうだが、ご家族も、会社の人たちも、
なかの真理子の気持ちを思うと、
いきたここちがしなかった。

その間、例の部長が、扉のまえで、
一心に手を合わせていた。

その背中が、おおきく温かく、
なぜかとても美しかったのを覚えている。

チェーンが切れ、どよめきがし、
まっさきに入ろうとした私は、
同僚のかたに、制止された。

「妹さんだけ!」

真理子のプライドを考え、
まずはもっとも近しい家族、
それも、なかのよい妹さんを入れよう、
それで、よければ、
次にご両親にはいっていただこう、

どんなに様子がよかったとしても、
われわれ他人は、きょうは、
なかにはいるべきでない。遠慮しよう。
というのが、職場の人の優しい判断だった。

妹さん、ついで、ご両親がなかにはいり、
真理子がおもいのほか元気という事実だけを確認し、
私と会社の人は、顔をみることなく
その日は帰った。

あとから聞いた話では、
真理子は、おいつめられていたというよりかは、
出る機会を逸して、出るに出られなかったらしい。
会社に来なかった間に、
元気に外出している真理子が複数目撃されていた。

その後は、
「心療内科」と、「家族」と、「職場」の3者が連携し、

心療内科では、「医療」のプロが、
真理子の心身回復にあたり、

「家族」は切っても切れない絆で
真理子の心の支えになり、

「職場」の人たちは、
福利厚生で休職中の真理子を支えたり、
復帰後の、配属を考え、手配した。

3者それぞれのプロの連携で、
真理子は、3か月でとても元気に復帰した。
その後結婚もして、今も元気に勤めている。

「良心」とは、自分を後ろから見つめる、
もう一つの目だ、と言った人がいる。

私は、その目に責められ、
それから2年、どうにも立ち直れなかった。
それは、

「おまえの思い上がりのせいで、
 一人の人間を死なせてしまいかねなかった。」

という思いだ。そして、

「おまえのやったことはまちがっていた。
 専門家のやるべきことは、
 やはり、専門家にまかせるべきだ。」

という思いだ。

私がやったことは、
「医療」や「脱マインドコントロールの専門家」
の領域への、越権行為であった。

その領域のプロが、
なにげなくさらりとやりこなしているようなこと、
一見して素人にもできそうだと思いがちだが、
とんでもない。

それは、驚くほどの努力の積み重ねと
経験とスキルに支えられており、
部外者が軽々しくまねのできるものではない。

あれから約20年、

文章表現教育の現場で私は、
「なにをすべきか、なにができるか」を考えるのと、
同じだけの努力を払い、
「なにはできないか、なにはやってはいけないか」、
を考え続けた。

それは口でいうほど簡単ではなく、
しかし、考え続けてつかんだ、絶妙な感覚が、
いまや、重苦しい生徒さんの文章表現に出会っても、
私が消耗することなく、
生徒さんを導き続けられる秘訣になっている。

「教育」にしても、「医療」にしても、「福祉」にしても、
プロフェッショナルというものは、
自分の持ち場を越えた仕事をつつしむものだと
私は考える。

なぜなら、自己の持ち場で限界まで努力し、
自分の裁量の限界をわきまえているからだ。

そして、自分のスキルのない分野に対しても、
自分が自分の持ち場のプロフェッショナルであるために
したように、気の遠くなる努力と
経験の積み重ねがあることを、
知って、尊重できるからだ。

「教育」の仕事は、好きで自分に合っているが、
どんなに素晴らしい仕事でも、
「教育」の仕事を拡大解釈すべきでないし、
他の持ち場に手を出すべきではないと、私は思う。

いま、真理子と同様のケースが起こったら、
私は、まず、まちがいなく、
「家族」と「医療」に連絡し、
それぞれの専門領域を侵すことなく
チームを組んで連携するだろう。
「教育」の出番がとうぶんなくとも、
それで、ふがいないとか思ったり、
自信を無くすことなどまったくない。

20年前、
私は、教育の仕事を拡大解釈し、
持ち場を過信し、
人を変えようとして、変えられなくて、苦しんだ。

いま、
教育への幻想も吹き飛び、
自分が、ある領域にはまったく無力であることを知り、
自分の力の限界も知り、

生徒さんの文章表現には働きかけても、
生徒さんの人生や価値観には介入しない。

不思議なことに、
持ち場をまっとうすればするほど、
生徒さんからは、
「転職が成功した。」
「家族とうまく意思疎通ができるようになった。」
「人生変わった。」
と言われるようになった。

むかしの自分であれば、
そのことに舞い上がったかもしれないが、
いまや、ただ、不思議に響くだけである。

自分は「持ち場」をまっとうしてきただけだし、
これからも「持ち場」をまっとうするだけ。

プロとはそういうものだと私は考える。

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2012-05-16-WED
YAMADA
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