YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson552 チームで表現するとき


チームで表現するとき、

「点数を稼ぎに来ている人」、

たとえば、
「自分が目立ちたい」、
「表現欲にかられ、いっぱいいっぱいで
 まわりが見えない」、
そういう人が1人いると、

とたんに調和がなくなるのはなぜだろう?

私にも、なんとも残念な経験がある。

プライバシーに抵触しないよう、
設定・人物などに大幅な改変を加えてお話ししよう。

その夏、

私は、東京から4時間離れた地方の町で、
生まれて初めての「演劇づくり」に挑戦していた。

町の生涯教育の一貫で、
有名な劇作家の4日間の「演劇教室」がひらかれた。

ここでは仮に、「演出太郎さん」としておこう。

演出太郎さんのファンである私は、
かなり高い受講費を捻出し、
東京から泊り込みで参戦していた。

参加者には、
「学生時代演劇部だった」というような経験者もいたが、
下は高校生から、上は60代後半まで、
ほとんどが、「演劇に関心ある素人」だった。

素人が、
演出太郎さんと、劇団員の支援のもと、
6〜9人のチームに分かれて芝居をつくり、
最終日に上演する。

最終日、

うちらのチームに1人、欠員が出ることになり、
急遽、東京から、劇団の女優さんが1人、立候補して、
新幹線で、わざわざこんな山奥まで
駆けつけてくれることになった。

仮名で「和賀光(わがひかる)さん」としておこう。

和賀さんは、20代終わりくらいの、
かなりの美人だった。
私はうれしくて、元気よく、

「おはようございます!」

と挨拶したが、
和賀さんは、ただアゴで会釈をかえしたのみで、
私にはいちべつもくれず、机のうえの台本に、
もう目を落とし、読み始めている。

「挨拶なんて流暢なことやってられない、
 時間がないのよ!」

和賀さんのそぶりは、そう言っているような気がした。
たしかに、午後の芝居の披露まで、もう5時間とない。

 「さすがプロの役者さん!!!
素人相手でも、真剣そのもの!」

と、私は感心した。

「本物の役者さんが代役をやってくれるなら、
 うちのチームは安泰だ!」

と、チーム9人だれもが思ったとき、
最初の違和感が走った。

「私、できない!」

和賀さんが、まるでこの世の終わりかというような
困惑した表情をして言った。

それは、和賀さんの演じる「娘A」が、
恋人にさんざん待たされ、うそをつかれたあげく、
婚約指輪を出されてしまい、
「こんな一生を決める大事なプロポーズを、
 こんなさんざんうそをついたあげくにするなんて!」と
キレるシーンだ。

和賀さんは、
「自分だったら、指輪を見せられた瞬間に、
 嬉しくなって、恋人のことをすべて許せてしまう。
 だから、それ以上、恋人を怒るなんてできない!」
と言い張った。

うちらは、「このシーンにいたるまでに、
どんな背景があり、どんなに娘Aはすでに
カンニン袋が切れる寸前だったか」と説得したが、

和賀さんは、まったく聞く耳を持たない。

素人である私たちは、
「自分たちの台本が未熟なんだな」、
と結局、ひきさがった。

ところが和賀さんの「できない!」はさらに続いた。

恋人の職場に乗り込んでいって怒るシーンでは、
「彼の職場に乗り込むなんて、わたしには絶対ムリ」
だと言う。

うちらは、「たしかに、そう思う人もいる」と
共感しつつも、
「そうでない人もいる」とおもい、
「それは個人差じゃないのか?」とも思い始めた。

うちらは、かわるがわる説得を試みたが、
うちらの意見を完全無視して、そこは、和賀さんが勝手に
「彼の職場にはのりこまない」演技にしてしまった。

私は、「プロって、とんでもないとこに
リアリティーを求めるんだな」
とおどろき、とまどいつつも、

「この人は、こんなに周囲とぶつかっても、
 自分の感覚に忠実に従っている。
 嘘がつけない性分なんだな」
と、共感するところもあった。

本番前の最後の通し稽古のとき、

時間がない中でも、
和賀さんは、私から見れば小さいことで、
「あれはできない」「これはムリ」とこだわり続けた。
私がとうとう「これじゃ、伝えたいことも伝わらない!」
と声をあらげたとき、

うしろで見ていた演出太郎さんが、
「和賀、とにかくやってみな」
と声をかけた。

「はい!」

その瞬間、

まるで、くるっ! と手のひらを返すように、

あんなにさんざん、うちらに
「できない」と言い張っていたのに、
和賀さんは、彼の職場に乗り込む演技を、すぐさま、
1ミリの躊躇も、ためらいもなく、すんなりやりとげた。

もしもそのとき、
たったひと言でも、
和賀さんが、演出太郎さんに、

「いえ、演出太郎先生、
 お言葉をかえすようで恐縮ですが、
 私は自分の感覚として、どうしても、
 彼の職場に乗り込む演技などできません!」
と言い返したなら、

私は、和賀光という人間を「信用」したと思う。

「あれだけうちらにたてついたんなら、
 それがあなたの正直な想いなら、
 せめて一言くらい、演出太郎さんに言い返しなよ!」

そのあとも、和賀さんの自己主張は続き、
私の声は、まったくとどかず、
ついに演出太郎さんの知るところとなり、
結局、和賀さんは注意され、
またもや、演出太郎さんの「つるの一声」で、
ころっ、と、一言も文句を言わなくなり、協力的になり、
芝居は、ことなきを得た。

私はなぜか、ダメージを受けており、
数日間、悶々と立ち直れなかった。

「くやしい」

この悔しさはなんなのか?

演劇教室に、たまたま1人、大学教授が参加していて、
落ち込む私に、こう言ってくれた。

「ズーニーさん、さぞ不快だったでしょう。

 うちの大学にも、
 グループディスカッションで他人から得た情報を
 さも自分で考えたように
 プレゼンする学生(ただ乗り)や、
 教員の前でだけ、張り切る学生もいますよ。

 それを教員に通報する学生もいますし、
 喧嘩をはじめる学生もいたりして
 リーダー役の学生の反応も多様です。

 でもそれがチームが一つになる大事な通過点です。

 そういう状況を、部分的にしか知らず、
 クラスをマネジメントしたり、評価する教員もいる。
 大学といえども、チームでのものづくりは、
 現実社会の縮図だと感じています。」

その言葉を聞きながら、
あの女優さんは、
プロとして素人がつくりたい芝居を支援しにきた
のではなく、
「点を取りに」来ていたのかな、と気づいた。

あの日、時間がない中で、メンバーたちが
短い「お昼ごはん」に行って帰ってきてみると、

和賀さんが、恋人役の男子学生にメシも食わせず、
受験勉強のように2人で机にかじりつき、
台本にびっしり書き込みをしながら、
必死で打ち合わせをしていた。

「演劇のガリ勉」

と私は思った。
演出太郎に認められるためか、
それとも、演技欲にとりつかれたのか、
和賀さんは、自分がガツガツ点をとり、
舞台で立つことしか見えなかったんだろう。

後から考えると、和賀さんがこだわり、主張したのは、
すべて自分の演技にかかわるところのみだった。
たとえば、和賀さんの主張で、恋人は、
娘Aに婚約指輪を見せられなくなってしまい、
急遽、お掃除のおばちゃんに見せるはめになった。
そのほうが不自然な展開だが、和賀さんは、
自分の演技に関係しないところには、
驚くほど無頓着だった。

チームで表現するとき、

「点数を稼ぎに来ている人」がいると
とたんに調和がなくなるのはなぜか?

なぜなら、その人にとって、
他のすべての人間が

「手段化」してしまうからだ。

和賀さんが、自分よりずっと目上の素人さんにむかって、
なぜ、あんな横柄な口のきき方をするのか?
なぜ、うちらの声はとどかないのか?
わたしはずっと不思議だった、でもわかった。

演技欲にかられ、イッパイイッパイになっていた
彼女にとって、
うちらは「手段」、もっといえば「道具」、いや

「雑音」だったかもしれない。

「志(こころざし)を表現せず、野心もないと、
 野心のある人の自己実現の道具になるのを
 避けるのは難しい。」

と、ある友人に言われた。

チームで表現するとき、

自分も、自分の質をあげるのにいっぱいいっぱいで、
周りが見えなくなり、気づかずに、
まわりの人間を手段化してしまう、ということが
ないように気をつけたい。

そのために、「聴く力」だけは常に持っていたい。

まわりの人への尊重感が無くなったとき、
たぶんそれが、他を自己実現の手段化したサインだ。

直近を見るのでなく、その先を見る。

つまり、「自分が質をあげたいから」ではなく、
「質を上げて、そのことによってどうしたいから」か?

「志」を表現していきたい。

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2011-08-10-WED
YAMADA
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