YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson551
  現代人はなぜ忙しいのか?――2.あきらめる



私たちの忙しさの元凶は、
死を遠ざけたこと、

結果、命のサイズ以上を背負うことになり、

サイズからはみだした
仕事・責任・目標をやりきるために、
一生、効率に追われるはめになった。

そう書いた先週のコラムに、
読者はどう反応したか?

まず、お読みください。


<すべてのことに時がある>

心が昂ぶったままに書いています。
私はいま大学を卒業し働き始めて5年目です。
少し変わった職場に勤めており、
忙しいときは毎日終電で、
そうでない時は毎日定時で、
周辺状況に振り回されることも多く、
しかし、非常に充実しています。
今の職場に、一生勤めるつもりでいます。

今回、「あきらめること」が書かれておりました。

私は今日、私の中の大きなものを、
あきらめることを決意しました。
それはピアノです。

私は4歳から現在に至るまで23年間、
ピアノを弾いてきました。
音大などには進学しませんでしたが、
コンクールで賞を取ったりと、本格的に弾いてきました。

私が音大に進学しなかったのには、
経済的な理由もあります。
私はピアニストになりたく、
ピアノの教師には興味がなかったので、
ピアニストになれないのならば音大に行く必要はない
と思いました。

教師をせずにピアニストになれるような人は、
10年に1人もいません。
そして、芸術にはお金がかかるのが現実です。
湯水のようにお金を使えれば、
私にも素晴らしいピアニストになる実力は
あると思いましたが、
お金をなるべく使わずにピアニストになれる程の実力は、
ないと思いました。

普通の大学に通い、働いてからも、私は
ピアノを弾きつづけてきました。

しかし、苦悩が募りました。

私は、自分のアイデンティティを、
ピアノに依存してきたようです。

“私のピアノが素晴らしいものであることを、
 わかってほしい”

その為に、働いてからもコンクールを受け続けて来ました。
ただの趣味だと思ってほしくなかったのです。
しかし、趣味でピアノを弾く人のためのコンクールでは、
私のピアノは正当派すぎてウケが悪く、
音大生に混じれば、ピアノの腕以前に、
もはや自分が異物であることを感じるのです。

そして、それらを蹴散らすほどには
私のピアノに魅力はない、ということも。
ピアノが好きだからではなく、
認めてほしいから弾いている、ということも。

5年目にして、私はようやく悟りました。
もはや、私のピアノに居場所はない、ということを。

この5年間、何度、ピアノをやめれば楽になる、
と泣いたかわかりません。

けれど、ピアノをやめるなんて恐ろしくてできなかった。
結婚して子どもを生めば、否応なく、
ピアノを弾く時間はなくなる。
その時まで踏ん張ってみよう、と奮起してきました。
やめるのは簡単で、続ける方が苦しくて難しいことなら、
続ける方に価値があると思ったのです。
そして、続けるからには「趣味のピアノ」なんて言えない。

私が悟るきっかけになったのは、上司の一言です。
ピアノコンクールに対して
「人生が変わるかもしれないものね」
とおっしゃいました。

その時、
「いや、例えそこで優勝したって、人生は変わらないし、
 変えるつもりもない」
と思いました。
それなら、何のために、傷ついて、苦しんで、
泣きながら、ピアノにすがっているのでしょう。
もう、私の人生において、
ピアノは趣味でしかなくなったのです。
これでコンクールに出るのは終わりにしようと思いました。
そして今日、終わりました。

これからも私はピアノを弾くでしょうし、
そう簡単に、腕を落とすつもりもありません。
けれども、これからは“趣味のピアノ”と言うつもりです。
まだ胸は痛むけれども、未来のために、そう言います。

ズーニーさんは、
「あきらめることは敗北ではない」
と書かれていますね。

そして、
「自分の夢のサイズを、
 自分の命のサイズにピタリと合わせて修正することだ」
とも。

今回私があきらめようと思ったのは、
もはやピアノでは、
私の人生の夢は叶わないとわかったからです。
ピアノに心血を注いでも、そこに夢はなく、
私が欲しいものを手に入れるためには、
今から方向転換しないと間に合わない、と思ったからです。
ズーニーさんがおっしゃることと、
多分根っこは同じことだと思いました。

私がここ最近思っていたのは、
「全てのことには時がある」
という言葉です。

聖書にも書かれている言葉ですが、
頑張るのにも、あきらめるのにも、時があります。

私のピアノへの執着が、あと10年早く訪れていたら、
私はピアニストになれたかもしれません。
私は、“頑張る時”を間違えました。

“あきらめる時”は、間違いたくありません。

この5年間の痛みと苦しみは、
私に孤独と自分の限界、諦観を教えました。

それは、何かに格好悪く執着した人にしかわからない
ものだと思います。

だから後悔はしていませんが、
短い人生の、しかも若い時を無駄にしたといえば、
そうなるのでしょう。これからの時間は、
自分の未来を描ける場所で、頑張りたいと思います。

ピアノをあの時あきらめて良かったと、
いつか言えるように。

ピアノよりも、もっと素敵でもっと輝くものを、
いつか手に出来るように。
ピアノを愛していると、笑顔で言えるように、
今あきらめるのが、きっと正解です。
(りぃ)



「それは、何かに格好悪く執着した人にしかわからない」
のところを読んで、ぐっと涙がこみあげてきた。

わたしも夢にしがみついたことがある。
かっこわるく、醜く、何年も、苦しんで、いびつになって。
それでも必死で追い続けた。

限界を越えても追い、そして、失った。

反射的に思い出したラジオCMがある。

「寿命」という、
サントリーウイスキー響30年のコマーシャルで、
最優秀賞をとったやつだ。
かいつまんでいうと、それはこんな話だ。

神様が人間に与えた寿命は、
もともと30年だった。

「犬」は、
40年の寿命を与えられたが、
「そんなに長く飼い主に仕えるのはいやだ」と、
半分の20年にしてもらった。

「ロバ」は、
50年もらったが、
「そんなに長く重荷を背負うのはいやだ」と
半分の25年にしてもらった。

「猿」は、
60年もらったが、
「そんなに老いては陽気にふるまえない」と
半分の30年にしてもらった。

人間だけが、余分に寿命をほしがり、

犬・ロバ・猿がいらないと言った
20+25+30年をもらい、
もとの30年に足して、寿命は100歳を越えた。

だけど、
犬・ロバ・猿からもらった「命」には、
犬・ロバ・猿が引き受けるはずだった「仕事」も
含まれていた。

だから人間は、
もともとの寿命だった30歳を過ぎるあたりから、
さまざまな苦労を背負うようになる。

30を過ぎるあたりから、人は、

犬のように家を守り、
ロバのように働き、
猿のように明るくふるまう、

長い長い人生‥‥、

(以上は、出典の広告の文章から、山田がかいつまんだり、
 表現を変えたりして再現した。)


「延命のツケ」ということを、
私はいま、思う。

すべてのことには寿命がある。

定められた寿命を越えて、
執着したり、しがみついたとき、
それにともなう重荷も深いと。

それでも、それがわかっていても、

「一日でも、1分でも、1秒でも、長く‥‥」

と願う、この気持ちはなんだろう?

「あきらめる」ということは、
そうとうな勇気と、知力と、体力がいる。

ヘンな表現だが、
私は、あきらめると決めた昨年秋以来、
「あきらめる」ということに、
ずっと継続して、あきらめないで粘り強く
取り組みつづけているような気がする。

あきらめる。

わずかな知力、
わずかな体力、
限られた命を生かすために、
わたしたちは、「あきらめる」ことと、
どう向かい合えばいいのだろう?

ヒントになる読者メールをいくつか紹介して
きょうは、終わりたい。


<死を招き入れる>

私は現在40代後半の男性です。
13の時心臓を手術し、
成功はしましたが体は弱く、
高校・大学の時どんな将来が有り得るのか悩みました。

自分の人生は長くて60年。
働けるとしたら50までだろう。

アフター5を楽しむ体力なんか無いから、
働くとしたら本当にしたい事、心が喜ぶ事をしたい!

と考えたのを覚えています。
そう考えられた当時の自分に今感謝しています。

簡単に出来なくて練習する事も
嫌々ながらだと体力まで消耗します。
体力的に考えて、納得した事しか出来ない、と諦めた時
今の仕事と生活が開けたんだと思います。
(40代後半・男性)


<サイズ>

先週のコラムの「命」の部分を「サイズ」に代えてみたら
すとんすとんすととーんと、
身体のまわりに鎧のようにくっついていた
最近の悩みがあっさりと落ちたような気がしました。

ダンスをしていて人前に出ることもあり、
平均よりも大きな自分の身体に
コンプレックスがありました。

まわりからは、それがいいと褒められることもあったけど
どこか自分では納得いっていなくて、
痩せたいけれど痩せないことから
自己嫌悪にも発展して、
気分の波で落ちているときには自己嫌悪にも拍車がかかって
怒りに近い感情にもなっていました。
というか今日がそうでした。

でも、自分の身体のサイズを自分で認めてみたら、
それにあわせた生き方をすればいいだけだ。
と急に身体が軽くなりました。

他の誰の基準でもない、自分の体のサイズを認識して、
それにあった見せ方をすればいい。

これでいいんだ〜!と、ぱ〜っとあかるくなりました。
(のん☆)


<引き算の潔さ>

捨てたり、あきらめたりすることは
タブーな雰囲気があります。
専門職は上級資格が次々と設定される。
頑張る。また次。

ゲームセットのない攻撃ゲームのようだ。

足し算から降りました。
お金も名誉も必要ですけれど、
そんなにはいらない。

ただ、棺おけに入る前に後悔しないよう、
やりたいことはやっておきたいです。

それは、学問と言う分類と名づけを覚えるのではなく、
創作かもしれません。
杉浦さんの作品は、厳しい潔さの中に
ほっとさせるものがありますね。

なにかはしたい
(サトウ)


<伸びたのは体の時間>

「現代人はなぜ忙しいのか」について、
死を遠ざけたからという結論に辿り着いたところ、
共感しました。

数年前、上司に
「昔は30代になれば、部下を何十人ももってな、
 家族ももってな、、、(いろいろ)
 、、、仕事をしていたもんだ」
と半ば説教を含んだ言葉を聞いたときからでしょうか?

自分は追いついていないというちょっとした焦りの一方で、
そういう時間で物事考えていないんだけどなあと思う、
なんとなくの違和感。

この違和感を少しづつ掘り下げてみると、
「自分にとっての時間とは、
 一体どんな意味があるだろうか?」
という問いが出てきて、自分自身も無意識の内に
死を遠ざけていたことを自覚しました。

終わりが見えないから、
時間がどれだけあるかなんてわからない
と考えていた事に。

本当の意味で、死に向き合い、
死を自分自身の事として考えたのは、
30代前半に母親が亡くなるまでの数年と、
亡くなったその時でしょうか。
初めて時間をはかり、終わりの時間を意識できた。

ここでいう時間とは、人生の時間です。

江戸時代の人生50年という時間から、
明治、大正、昭和、そして戦後の、急激な医療の発達で、
客観的には生きる時間が、50+30=80になったような錯覚。

でも人生の長さとは、単純な足し算ではないと、感じる。

医療技術の進歩によって伸ばすことが出来たのは、
体の寿命、すなわち「体の時間」だけのような気がします。

人生をいかに生きるか、何を選択して生きるか、
と考える「こころの時間」は、あまり伸びていないのか、
時間軸が狂ってしまったのか、間延びしたのか、
そんな気がしています。

まもなく、30代も終わりに近づいています。
自分の20、30代を振り返れば、
忙しさの中に埋もれてしまう時間と、
それとは裏返しの
どこかうまく時間を捕まえることが出来ない、
間延びした感覚がありました。

忙しく感じてしまうことも、間延びした感覚を持つことも、
死を遠ざけたことに起因すると思います。

死を遠ざけたということでいえば、
先祖の墓の場所も、昔に比べれば、
生活圏から離れていると思います。
空間的にも死を遠ざけたといえばいいのでしょうか?

僕は今、東京から、生活と仕事の場を
静岡の田舎に移しています。

以前、東京では、
自分の許容量を超える情報に日々追われ、
結果的に情報をインプットして、
いつのまにか考えるプロセスを飛ばして、
アウトプットする、
壊れたコンピュータのような感覚でいたことに
気づきました。

必要かどうかわからないまま、インプットする。

移動してこんなにも違うのかと思ったのは、
自然とインプット情報が減ったら、
自分の頭の中に余裕が生まれ、
想像力が湧き出てくる感覚になってきました。

深く考え、新しい事、自分に必要な事を考える。
そうなると、乱れ飛ぶ余計な、不要な情報は、無視し、
遮断しても、良い生活は出来るのですよね。

というわけで、僕は、「現代人はなぜ忙しいのか」の中で、
ズーニーさんが言っていることと同じようなことを、
「体の時間とこころの時間」という命題で、
最近ずっと考えています。
(鈴木)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2011-08-03-WED
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