YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson539 おかんの昼ごはん


連休、
ふるさとに帰ってみると、

おかんが「老いて」いた。

一緒に、夕飯のしたくをしながら、
あぜんとした。

おかんは自分から始めようとしない。

私にやらせようと、
指示ばかりしている。

「きゅうりを切って」とか、
「うなぎを温めて」とか、

私が言われたことをやっていると、
そばにひっついてばかりいる。

じっと見ていたり、
無駄話したり、
私の切り方に注文をつけたり、
いっしょに切ろうとしたり。

分担というか、分業が、いっこうにはかどらない。

「おかあちゃん、卵を焼いたら?」

私は、分業をうながした。
どう考えたって、
手分けしたほうが早い。

おかんは、そろそろと、ボウルをもってきて、
私のほうへ向けて言った。

「ほんなら、ここへ、
 卵をわって、いれてェ。」

わたしは、苛立つような、哀しいような、
泣きたいような気分になって、つい声をあらげた。

「おかあちゃん、自分でしてェ!」

以前、台所のリーダーとして、段取りよく、
だれよりテキパキ立ち働いたおかんは、
どこへいったろう。

そうかと思うと、おかんは、
ふいに、やってることをほっちらかして、
他のことをやり始めたりする。

「老いる」とはこういうことか‥‥。

一見サボっているように見える。

人にやらせよう・やってもらおうとする。

人がやっていることにアレコレ言う。

途中で、他のことをやりだす。

一度こうと思ったら融通がきかない。

自分は下手だ、ダメだと愚痴を言う。

だけど、サボってるわけではない。
性格が悪くなったのでも、
人格が変わったのでもなく、

「脳の体力・持久力」が衰えたのだ。

だから知的体力として安易なほうに行く。

考えたら、
自分から何かはじめること。

自律してやっていくこと。

集中力を持続させ1つをやり通すこと。

人に文句を言ったり、自己否定したりせず、
黙ってやること。

発想をしなやかに、
路線変更にも臨機応変に対応できること。

どれもこれも、知的体力が要ることばかりだ。

筋力が衰えた老人には、
山に登れ、とか、縄跳びで二重跳びをしろ、
と同じくらい、キツイことなのだと思う。

「老い」はどこで鳴っている?

そう考えて、はっとした。

ここ最近、あきらかに自分は
集中力が落ちている。
なにかを始める、起動にも、
以前以上に気力と時間が要るようになった。

「老い」はもう、自分の中でも確実に鳴り始めている。

「人生は短い。
 いちばん大事なものはなんですか?」

先日、カズオ・イシグロという作家が来日し、
テレビで、そう問いかけていた。

私は5年前、この作家の
『わたしを離さないで』という小説を読んだ。

私は、人生が自分が思うより、
ずっとずっと短く、はかないことをこの本で知らされた。

読み終わったとき感動して、本を抱きしめてしまった。

抱きしめたのは、
この作品ではない。
主人公にとってのいちばん大事なものでもない。

「短く、はかない人生で、
 なにをいちばん大事にするか?」

という、その、私にとっての「いちばん」を、
作品から呼び覚まされ、気づかされ、
言葉にならない「私にとってのいちばん」を、
読後にじっと、大切に、胸にかき抱いたのだ。

ゴールデンウイークに帰省したのは、
その「いちばん」のためだった。

だけど、その短い人生さえ、
完全なカタチであるわけではないと、
おかんを見て思い知らされた。

次々、大事なものを奪われていく。

鮮明な記憶力を失い、細やかな視力を失い、
軽やかな体力を失い、持続する集中力を失い、
しなやかな思考力を失い、澄んだ聴力を失い‥‥、

ゴールデンウイークには、
父母と「シャクナゲ」の花を見にいったが、
ただ家族で花を見ること、それが唯一の娯楽で、

もうそんな遠くへはいけないし、
おいしいものを食べさせようにも、父も、母も、
もう、そんなに多くは食べられない。

その記憶が鮮明なうちに、
その集中力が持続するうちに、
父母とやりたかったことを
私はやってこられただろうか?

いよいよ私が帰る日。

おかんが、「モンカフェ」の入れ方を
教えてくれという。

「モンカフェ」は、
コーヒーカップに、紙のパックをセットすれば、
手軽にドリップコーヒーが入れられる。

これまでウチでは、何度となく
これでコーヒーを入れてきたし、
おかんも何度も入れてきたはずだ。

「それが、こないだ、何回やっても
 うまくできんかったんよ」
とおかんは言う。

歳のせいで、記憶力がうすれ、
まちがったセットのしかたをしてるんだろうと思い、

私は、母と私と、「モンカフェ」を1個づつもち、
目の前でカップにセットして見せながら、
母にもやってみるようにうながした。

母の記憶はまちがってなかった。

紙パックの向きも、セットの方向も、
母はまちがっていなかった。

でも、できない。

2つあるパックの両端のツメを折って、
カップの両端にひっかける、

私ならすぐできる動作が、母には微細過ぎてできない。

カップの淵をねらって、
紙パックのツメではさもうとしても、
スルリ、スルリと、はずれてしまう。

お笑いの、ボケた老人のふりする
コントを見ているようだ。

たぶん、老眼で、眼も、私が見ている世界とはずっと
ぼやっとしているんだろう。
カップのふちも、ダブって見えるんだろう。

カップの淵、数ミリの、わずかな調節を指先でするのは、
腕の筋肉、指先の筋肉の、
細かなコントロールを要することなのだろう。

なんどやっても、パックがすりぬけていく。

そんなおかんを目の前に、
わたしに、もう、怒る気持ちはなかった。

「おかあちゃん、ゆっくり」、

「これからは、ひとつのことを、
 時間をかけて、ゆっくりやろう。」

早く、多く、ができなくてもいい。
若いときの自分とくらべちゃいかん。
知力も体力も、若いときとは衰えている。
やれることは限られている。
これからは、ひとつのことを、時間をかけて
ゆっくり、丁寧にやりとおそう。

どこかで自分に言い聞かせていた。

娘の私が東京に立つ前の、お昼ごはんは、
おかんと、おとん、ふたりだけで、
私の手をわずらわせずにつくりたいという。

スライスしたタマネギの上に、
冷凍のかつおのたたきが、まだ少し凍った状態で、
切って並べてあった。

レタスを敷いたお皿に、ゆで卵、シャウエッセン、
フルーツトマト、プチトマトが並んでいた。

それにゼンマイの汁がそえてある。

刻んだだけ、切っただけ、ゆでただけ、と
人は言うだろうか。

たしかに、過去をふりかえれば、
だいせんおこわや、おはぎ、ポテトサラダ、
料理上手の母の手の込んだ料理を思い出し、少し哀しい。

しかし、少し未来を思えば、
父と母の手料理を3人でかこんだこの食卓が、
いつか宝石のような思い出になる。

できるのを待っている間、
ずっと、母と父の、もめる声がしていた。

脳梗塞の父と、めっきり要領がわるくなった母、
いったいどんな段取りで、どんな想いで、どうやって、
この「お昼ごはん」ができたのだろう。

ありがとう。

「行ってきます!」と別れて歩きはじめた私を、
はじめて、名残り惜しんで、母が追ってきた。

いつもは、別れが辛くても、平気なふりをする母が、
バレバレでも、そっけないふりだけは、必ずしていた母が。

これも老化で、自分がおさえられんようになったんかなあ。

母と別れ、駅に向かって歩きだすと、
一歩ごとに、心と思考がつながって、
ひとつの言葉になり、涙になってにじんで出てきた。
それは、

「2011年、5月5日、きょう、
 私の青春は終わった。」

という言葉だった。

まだ青春だったのかと、多くの人は笑うと思う。

私は、日が暮れて、みんなが家に帰っていっても、
それでもまだ、たった一人、いつまでも遊んでいたい、
そんなこどものままだった。

震災の少し前、
私は、ここ数年、ずっと追い続けていた夢を失った。

そして震災。

帰省。
おどろくほど料理ができなくなった母、
モンカフェ、おとんとおかんのつくってくれたお昼ごはん。

「消春」と呼ぶのか、「終春」と言うのか、
「青春の終わりの瞬間」というのがあるとしたら、
それは私にとって、

はじめて「死」と「老い」を、
本当に自分が受け入れた瞬間である。

「消春」と自覚したとき、
つきあげてきた言葉がある。

「あなたには書く力がある。」

良い文章を書く人間が世に多数いても、
私のように、文章教育をもって、一人の人間に、
「あなたには書く力がある」と
本気で伝えようしている人間は、
数少ないんじゃないか。

それが私にできるひとつである。
これからの人生、
時間をかけてゆっくり丁寧にやっていくひとつである。

春は終わった。

駅に向かう道も、電車の風景も、人々も、
それまでとは全く違って見えた。

みな切ない光を放っていた。

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2011-05-11-WED
YAMADA
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