YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson534
    命が傷ついている



これを書くには勇気が要る。

被災地や支援にあたっている人にとっては、
あまりにひ弱な内容であるし、

私に何がしかの期待をしてくださっている人には、
がっかりだろう。

でも表現というものは、

正しいか、まちがっているかではない。
強いか、弱いかでもない。
かっこいいか、かっこわるいかでもない。

かっこ悪くても、しょぼくても、
ありのままの自分を認め、理解し、
言葉にして解放することだ。

だから、2011年3月28日の、
自分の等身大の想いを書いてみたい。

震災から数日後、
「自分はどうも傷ついてるんじゃないか」
と想いはじめた。

そんなバカなと何度も打ち消した。

東京で、実害のなかった自分が、
いったい何に傷つくというんだ。

でもちょっと優しくされると泣きそうになる。

白いごはんに、
手を合わせてありがとうと言いたくなる。
お風呂にはいると湯が内臓にしみるようで、
もうしわけありませんとあやまりたくなる。

「傷ついているのは命」

体ではなく、心でもなく、ましてや権利でも、
人格でもなく、
命が傷ついている。

ほんの1ミリの引っかき傷かもしれない。
でも、二度目の大きなゆれが来た後の、
「なにすんのよ! ひどいじゃないの!!!」
と地面に向かって怒り出したいような、
胸の高まりを覚えている。

地震は、私の、
かつて何者も踏み込んだことのない領域に踏み込み、
だれも脅かすはずがないと思っていたものを揺すった。

それにしても、おかしい。
ちよっとしたことにめげそうになり、
気をとりなおして「がんばろう」と思っては、また涙ぐみ、

地震から1週間するころには、
震災関連のテレビを体が拒否するようになっていた。
(その後いったん見るのを止め、
 いまは再び見られるまでに全快しています。ご安心を)

ちょうど、そのタイミングで、
もと医師をしていた生徒さんが、
香山リカさんのコラム(『北海道新聞』寄稿
「私たちができること」)を送ってくれて、

自分がどうやら、
テレビの大量情報により、
かなりリアルな「疑似体験」をしてしまっており、
心に傷を負ったらしいことに気がついた。

たかがテレビとあなどることなかれ、
場合によっては、被災地にいる人にも匹敵するような
大きな心のダメージを受けることもあるのだと、
香山さんは言う。

私は、地震当日から丸3日間、
ひとりでほぼ24時間テレビを観ていた。
それがかなり響いたらしい。

ひとり暮らし、
必要な情報は自分で得るしかないと、
テレビ・ネット・ツイッターに釘付けだった。

それに、言葉の産婆として、
一般の人が自分の想いを表現するのを、
引き出し、受け入れ、理解するのを生業としてきた私は、
無意識に、被災者ひとり一人の、魂の叫びのような言葉を、
全部受けとめようとがんばってしまっていた。

香山さんのコラムに、あてはまる節が多く、
まる1日、テレビもメールもツイッターも仕事も、
全部やめて休んだ。

その1日は、現実とは関係のない小説を、
声に出して読んだりした。
なぜか「小説」でなくてはだめだった。
音読すると、泣くところではないのに、
涙がぽろぽろ流れた。
まるで傷を真水が洗うようだった。

翌朝はびっくりするほど体が軽くなっていた。

やっとヘたれている自分のことを
友だちにメールで言えた。

友だちは、「頑張れ」とは言わなかった。
かわりに、
「大切に大切に、心いたわってあげてください。
 みどりさん(*山田の本名)の心が、
 みどりさんのものであることは、
 私にとっても、本当に嬉しいことです。」
と書いて、よしもとばななさんの日記を引用してくれた。
2011年3月12日の「ばなな日記」には、
こうあった。


「TVを見ると悲しいニュースが多く、
 ツイッターにもデマ的なものや
 煽り的なものも混じっている。
 でも、おおむね、日本人はすばらしいという
 気持ちになって、
 やはりこの国の人たちの魂レベルはすごいと思う。
 特にやることないからERを観たりして、
 ただのお泊まり会みたいに楽しく夜を過ごした。
 ずっとTVを観ていても気持ちが沈むばかりで、
 ERを観ていたら(あんなにたいへんな番組なのに!)
 かえって気持ちが落ち着いた。

 きれいなもの、好きな番組、面白いもの、音楽、
 好きな人たちの声、そんなものに触れないと、
 おかしくなってしまう。
 逃避じゃなくて、不謹慎でもない。
 植物に水をやるように、心や神経も栄養がほしいんだ。
 自分の、たったひとつの大切な心や神経を弱らせる方が、
 不謹慎だと今は感じる。」



いまは強くはなれない自分が、
いましなければならないことのベクトルが見えた気がした。

文章教室の生徒さんが、
食事やお茶や、散策に連れ出してくださり、
最優先で出かけて行った。

表現を通して、心の通じた生徒さんたちと、
歩き、語り、ごはんを食べ、
すると夜は、まるで夏休みに水泳から帰った
こどものように、
すいこまれるように眠った。
目覚めると心が栄養を取り戻す。
まさに命に水をやる時間だった。

ふしぎなことに、
それまで繰り返されると嫌でしかたのなかった、
某広告機構のCM、

それがはじまると音を消して、
身を堅くし、ただ通り過ぎるのを待つだけだったCMが、

心身の元気をとりもどしてから見ると、
まったく気にならない。
自分でも気づかずしばらく平気で観ていて、やっと、
「あっ、一時はこれが観られなかったんだ、
 追い詰められていたんだな」と気づくほどだった。

こんな私がいうのもなんだけど、
あなたも、もし、傷ついているのなら、
大切に、丁寧に、あなたの心に水をあげてほしい。

心や神経に水がしみこむような、
あなたの好きなもの・好きな時間はなんだろうか?

私は、しばし、これが浮かばなかった。

自分には好きなものなどないのかと、
不安にもなった。

でも、数時間考えたのちに、
やっとひとつだけ、自分は「美容」が好きだった
と思い出した。

震災以降、なぜか罪悪感を抱き、
滞っていた肌の手入れを再開した。

たったそれだけのことだけど、
肌が水を取り戻すと、
心も水を取り戻していく。

自分は人よりエンジンがかかるのが遅く、
短距離走は苦手だけれど、
持久力は人一倍あるということを思い出した。

いま強くなれなくても、未来に強くなれる!

最後に、私に香山リカさんのコラムを教えてくれた、
もと医師である女性の書いた詩を引用して、
きょうは終わりたい。

私は傷ついたとき、ずいぶん、この詩に助けられた。

この詩にでてくる「あなた」とはあなたのこと、
そして「ぼく」とは、あなたの「体」のこと。

これは、「あなたの体」が、「あなた」に贈る手紙だ。

「からだ」から届くあなたへのメッセージに、
じっくり耳を澄ませてみよう。


きみとぼく

Y.Y


昔はあまり話さなくても、ぼくら仲良しだったね。
いつからか、少し遠くなった気がしてた。

生まれてはじめて瞳にうつった景色、
さみしくて流した涙、
運動会の前の晩のドキドキ、
ぼくはみんなおぼえてる。

きみは、
長いこと何かを抱えて、
抱えきれなくて、
ずいぶん自分をいじめていたね。
苦しかったけど、しかたないなって思ってたよ。
つらい気持がその傷に、溶けていったのがわかったから。

きみがつらいと、ぼくもつらい。
誰かがささいなことだといっても、
きみの痛みを、ぼくは知ってる。

この前、久しぶりにこっちを向いてくれたね。
調子悪かったけど、うれしかったよ。

ぼくに気づいたきみは、
ずいぶん大切にしてくれるようになった。
まあときどき食べすぎたり飲みすぎたり、
むちゃもするけど。
でも、ホントのきみに戻ってきたみたい。
ちょっと、小さい頃のきみを見てるみたい。

きみと暮らす時間が、もう少しはありそうだ。
今、それが何よりうれしい。

一緒に生きていこう。
つらいときは、きみとぼくが一番うれしくなることを、
がんばって探そう。
ちっぽけなぼくらが、この世界にいる意味を、
この鼓動が止まるときまで、考えていこう。
そして、たくさんのきみとぼくが、幸せになれるように。

ぼくは、きみの体。
ずっと、一緒にいたよ。

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2011-03-30-WED
YAMADA
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