YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson524  おかんのお年玉
      ――― 2.読者からのメール


先週の「おかんのお年玉」は、

書いた後、なぜか、
いてもたってもいられないほど
恥ずかしく、のたうちまわっていた。

だから、とてもたくさんの反響が来て、びっくり!

「親からお金をもらう」

このなんとも言えない
複雑な感情を、
自分で消化できず、
だれにも言えず、

私と同様、疑心暗鬼になったり、悶々としていた人も
多かったんだなあ!

1回ではとても紹介しきれないたくさんのおたより、
きょうは、そのうちのほんの一部のみ、
「ある視点」のみに絞って
紹介したい。

まず、一気にお読みください。


<頑なに受け取りを拒んでいた私>

「おかんのお年玉」読みました。
涙が溢れて仕方がありませんでした。

一人ぐらしを始めて10年が経ちますが、
私も帰省するたびに両親から「お年玉」を貰っていました。

そのうち、父親から
「結婚はしないのか」と言われるようになり、
それがいやで、
ここ数年は、理由をつけては帰省をしていませんでした。

そうしているうち、昨年、父が交通事故で仕事をやめ、
それ以来、両親は驚くほど質素な生活となりました。
私は少しでも家計の足しになればと、
不定期に援助をしてきました。

両親が心配だった私は、今年、数年ぶりに帰省をしました。

そこには、変わらず「お年玉」が用意されていました。

この時ばかりは「自分のために使えばいいのに」と思い、
頑なに受け取りを拒みました。
母は「持っていきなさい」と、
なかば強引に私に渡してきました。
申し訳ないぐらい私の方が
生活には困っていないのに・・・
そこまでする母の心が理解出来ずにいました。

しかし、コラムの
「あぁ! 母は嬉しかったのだ」との言葉に、
それまで胸につかえていたものが取れる思いがしました。

親の愛情、特に母親の愛情というものは、
私の想像も及ばないほど、とてつもなく深く、
広いものだと教えて頂きました。

本当の「親孝行」「感謝」ができる人になろうと
思いました。
(masahiro)


<いずれ孫に世話になるから? いや、違う!>

私も、おばあちゃんから大きなお年玉を
今年もらったんです。

元旦、お屠蘇を飲むときに、
おばあちゃんは、家族全員に2万円ずつも、
お年玉だと言ってくばりました。

うちの旦那さんにまで配って、私はびっくりした。
(私は40代、旦那50代です)

うちのおばあちゃんも年金生活で、

両親は定年後一緒に生活はしてるけど、
両親は浪費家で、あまり家計を助けていない。

おばあちゃんは葬式費用も他人の世話になるといかんから、
と言って、貯めている。

年金生活でつましく生活しているのに、
なんでこんなにみんなにお年玉!?
みんないい大人、オーバー30歳なのに!

おばあちゃん、いいよ、お年玉なんて、
と私はすぐ言ったけど、
いいと、いいと。とおばあちゃんは
まったく介さなかった。
おばあちゃん、だいじょぶかな?
実家の家計、だいじょぶなのかな???

私も経済的に余裕がないから余計に、心配だったんです。

ズーニーさんの文章を読んで、
おばあちゃんもそういうことなのかな、って思えました。
家族がひさしぶりにそろって、
一緒に迎えるお正月がうれしかったのかな、
もちろんうれしいんだろうけど、
それ以上に、おばあちゃんには、
これから足腰不自由になったら世話になるかもしれない、
とか、私がしてやれるのはこれだけじゃ、とか。
いろいろな思いがあるのかもしれない。とも思った・・・

いや、でも、そんなことよりも、
やっぱりお年玉をあげて喜ぶ家族の顔が見たかったのかな、
と思う。
他人の世話になることを嫌う、
芯の強い大正生まれのおばあちゃんだから、
人に分けて与えるものが本当に
たくさんある人なんだと思う。
まったく見返りを求めない、どうぞ使ってください
というお金なんだと思う。
(すみれ)


<なんてせつない無償の愛>

57歳の女性です。
「おかんのお年玉」を読んで涙があふれました。

別れて暮らす老いた親は
どんなに一人前の大人になっても
子供といれるのが嬉しいものなんだ
と改めて思いました。

親ってなんてせつない 無償の愛をもつのでしょう。

老人ホームに暮らす84歳の母は
行くと ぱっと 顔を輝かせます。

仕事と家庭をもつ私は いつもバタバタしていて
ゆっくり 話もきいてあげないなあ と思いました。

認知症がひどいのに
「夕飯のしたくがあるだろうから早く御帰り」と
私のことばかり心配してくれます。

居薬 心に刻みました。
生きていてくれるからこそ
孝行の真似事ができるのですね。
(かよこ)


<記念日でもないのにケーキを!>

「おかんのお年玉」を読ませていただき、
思わず泣いてしまいました。

>子や孫と会えたことが、
>私と会えたことが、珍しく私が連泊したことが、
>私と一緒にいられたことが、
>ただ、それだけで、母には、たまらなく嬉しかったのだ。

この気持ち、私にもよく分かります。

私は現在、東京で一人暮らしをしています。
家族を恋しく思うこともたくさんあります。

そのため、たまに帰省する時には
家族に会えることが本当に嬉しくて嬉しくて、
特別にお祝いすることもないのに
有名店のケーキやお菓子を買って行ったりしています。

「ああ、私も家族と一緒にいられることの嬉しさを
 こうやって表現していたんだな」
ということに気づかされました。

社会には自分を否定するものが多くて、
自分の存在意義を見失ってしまったりもしますが
そんな自分を無条件に肯定して、
存在することを許してくれるものが家族なんだと思います。

だから私は、家族がいてくれることが、
家族と過ごせることがただ嬉しくて、その表現として
彼らに贈り物をしていたんです。
(ナツ)


<自分が親になって>

親というのは、
お金をこどものために使いたいもんなんです。
それは、経済的に援助がいらない状況であっても
こどもの方が自分より稼いでいるとわかっていても
自分のお金をこどものために使いたいもんなんだなって
思います。

自分が親になって、ほんとうにそう思います。
見返りも何もいらないです。
自分の子がそこにいてくれるだけで感謝なんです。
そこにいるだけでなにかしてあげたい、なにかしたい
ただそれだけなんだと思います。
(のり)


<うそをついてでも、お金をもらうまいと>

私は今大学生で、
故郷から離れて一人暮らしをしています。

両親からは毎月仕送りを受けているので、
お年玉をもらうことはなくなりましたが、
祖母は帰省のたびに、
結構な額のおこづかいをくれています。

年に3回も帰省できればいい方なのですが、
それでも毎回毎回もらっていると、
「まるで、おこづかいをもらいにきているみたいだ」
という思いが、私の中でむくむくと膨らんでいきました。

そこである帰省の前、
いつもは予定が決まると
母と祖母の両方に「いついつ帰るよ。」と
連絡を入れていたのですが
(祖母は実家から少し離れたところに
 一人暮らしをしているため)、

その時は母にだけ、連絡を入れました。

いつも事前に連絡を入れるから
祖母はおこづかいを用意するんだ、と考えたからです。

そして実家に帰ってから、
「急に帰ってくることになって。今から行くね。」と
うその混ざった連絡を直前に入れて、
祖母の家に向かいました。

祖母宅に着くと、祖母が何やら探し物をしています。
ちゃぶ台の上には、数枚のお札。
「ごめんね、今これだけしかなくて。少ないけど。」
そう言って祖母は、私にそのお札を握らせました。

私はそのお金をなにも言えずに受け取って
大して長居もできないまま、実家に帰りました。
軽くでもうそをついたこと、
その結果余計にあわてさせてしまったこと、
そのことに申し訳なく思いながら、同時に
なぜ、そこまでしておこづかいを渡したいのか
わからない! と
少々憤慨している自分もいたのです。

早く自立したいという気持ちや、
すでにバイトで自身の生活費を稼いでいる友人の姿を見て
いつまでも親などからお金をもらっているのは
恥ずかしいと思う気持ちが強かったせいかもしれません。
「いい大人が」と誰かに言われる気がして
(実際は誰もそんなことは言わないのですが)
そんな漠然とした不安の種を、
無くしてしまいたかったんだと思います。

この時、私は祖母の気持ちなんて、
ちっとも考えていませんでした。
祖母に会いたいだけ、なんて孝行な孫のふりをして、
自分の体裁ばかり考えていたんです。

どうして祖母は、いつもおこづかいをくれるのか。
しかも、家じゅうひっ繰り返してまで。

コラムを読んで目からうろこが落ちました。

私ができることは、
「ありがとう」と素直に言って、
またなるべく頻繁に会いにゆくこと。
帰省の回数を増やすことは難しいかもしれないけれど、
日数を増やしたり、頻繁に電話をしてみたり、
工夫してみようと思います。
(おにおん)


<お金で伝えることに抵抗があったけれど>

昨年意見を投稿させて頂いた
高校生のドレミです。

今回の話を聴いていて思い出したのは、
今話題になっている「タイガーマスク運動」のことでした。

コラムの前半部分で、ズーニーさんがご両親に対して
「悲しくてやり切れない」様な気持ちを書かれているのを
読んで、

僕は、自分もどこかで感じたことのある
複雑な感情を思い出しました。

それが「タイガーマスク運動」のニュースを見た時の
感情でした。

マスメディア等はこれを良いこととして扱っています。
けれど、僕はそれを純粋に良いこととして
見れませんでした。

それは多分、善意の伝え方は
「お金」によってしか伝えられないのか、
という疑問が僕の心にあったからだと思います。

善意を行動に移すには、
やはり金を使うしかないのだろうか。

そんな時にコラムを読みました。
僕の佇む暗闇に一筋の光が見えたようでした。

働いたことも無い僕の様な子供からすれば、
お金の尊さなど想像すらできません。

「かね」と呼ばれる汚いイメージが
先行していたかもしれません。

けれど、コラムを読んでいて、
お金というものの尊さをすこし
分かれたような気がしました。

お金がどれ程尊いもので、
自分が稼いだお金を使って感謝の気持ちを表すことが、
どれ程の表現手段であるかを
すこし分かれたような気がしました。

そうやってもう一度「タイガーマスク運動」について
考えてみると、全く違う感情が芽生えました。

誰の心の中にも
「困ってる人を助けたい」という気持ちがあり、
どう行動すればよいのか分からず、

そこに、「タイガーマスク運動」という表現手段を
マスメディアを通じて知ることが出来た。

「タイガーマスク運動」は、
人々に「光」を感じさせたのだと思います。

独りよがりで偉そうな文章になってしまいましたが、
今の純粋な僕の気持ちです。
(ドレミ)



「愛」を表現する手段はいくらでもある。

でも、誤解を恐れずに言うと、
これからは、ますます、
目に見える2つの手段に収束し、
それがものを言う時代になると、私は思う。
すなわち、

「お金」と「言葉」だ。

戦中世代の親に育てられた私の世代は、
まだ、「お金」や「言葉」に置き換えられていない、
親の「愛」を知っている。

たとえば、服。

日本がみんな貧しく、モノがない時代。
とくに、田舎では、
かわいい子供服が出回っていなかったし、
生地を探すのも一苦労だ。

そんななか、母は、私に着せる服を手作りした。

値段が手頃、かつ、子どもが歓ぶ生地を
探しまわって調達し、
採寸し、新聞紙で型紙をおこし、
ていねいに仮縫いをして、身体にあわせてつくった。

その過程を私は知っている。

夜おそくまで、カタカタ、カタカタ、
母がミシンを踏む音がした。
夜中に起きても、まだ、ミシンの音がした。

だから、朝起きて、できあがった服をみたときには、もう、
四の五の言われなくても、ただそれだけで、
親の「愛」で胸がいっぱいだだった。

いま、服は買ってくる。

「金」を払う行為は一瞬だ。

財布から札を取り出し、
あっ、という間に、モノと換える。

だから金には、「安易」というイメージがつきまとう。
それでいて、人を「支配」する。

だから、金=安易に人を支配=汚い、
というイメージがつく。

でも、実はそうではない。

そのお金は、
親が会社で、心身を削り、
いやな人にも頭を下げ、
来る日も来る日も、働き続けた、その積み重ねの上澄みが、
年金というカタチでコツコツプールされ、
いま、支払われているのだ。

でも、こどもは、その努力の過程を見ることができない。

金に込められた努力の過程を想像できなければ、
「愛」を実感できないシステムになっている。

それを補うのが「言葉」というカタチなんだろうけど、

父母の世代のみならず、
自己表現が下手な我々日本人のことだ。
「愛」を表すのがとにかく不器用で、
ぶっきらぼうで、

黙って、ぎこちなく「お金」を差し出す、

これが精一杯、かつ、唯一の、
愛するものへの表現手段、という、
じいさん、ばあさんも少なくないんじゃないだろうか。

私たちは、「お金」の声を、聴かなくではいけない。

お金に込めるイメージは、
とにかく人によって、恐ろしく違う。

働いたことがあるかどうかによっても、違うし、
働いたことがある人でも、
戦後の苦労して苦労して、額に汗して
やっとわずかな金を手にする時代に働いた人と、
金回りが良い時代、「こんなにもらって申し訳ない」と
思いながら働いた人では、違う。

だから、

最初は嘘をついてでも、
おばあさんからお金をもらうまいとした大学生や、

タイガーマスク運動に、最初は、
「善意を表現するのには、お金しかないのか」と
疑念をもった高校生が、

まだ働いたことがないという、
自分の経験の限界を越えて、

父母・祖父母の世代が、いったん「お金」というカタチに
「結晶」させたものを、「解凍」して
理解しようとしたこと、

世代ごとに違う、
「お金」に込められた言語を「翻訳」して
わかろうとしたこと、

そこにある愛を理解しようとしていること、

おとなたちのぎこちない愛情表現を、
ブロックして塞ぐことなく、
受け取ろうとしていることは、

ほんとに希望のあることだと思う。

彼らや彼女らなら、きっと、
お金というぎこちないカタチに詰められた「愛」を、
もっと多様な、もっと自分たちらしいやり方で、
表現して、解放していってくれると思う!

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2011-01-19-WED
YAMADA
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