YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson519
      失恋論 2.Infection


先週のコラムには、
まさに「恋の葬式」中のかたからも、
多数おたよりをいただいた。

まず、生の声を
いくつかお届けしたい。


失恋したてなもので
読みながら泣いてしまいました

失恋と言っても完全な横恋慕で
他の人と幸せなおつきあいをしている上
そもそも私は恋愛対象に入っていないであろうその人に
いやな思いをさせない為にも
なにも言わないまま諦めるしかなくて

「勝手に好きになって勝手に失恋しただけ」

「エア恋愛」と呼んでもいいようなもので
友人にも冗談として話して笑ったりしてますが

本当は内臓が全部裏返りそうなくらい辛いです

でも

たしかに前の失恋も
失恋しなかったらこうであっただろうという自分よりも
ずっと深みのある人間になっていると思います
本当に突然変異を起こしたみたいに
(はむなひと)


今年の4月に彼氏と別れました。
半年以上経ったのにどうして忘れられないのか。
いつまでも引きずって情けない。
と自分を責めていました。

早く忘れようと思うあまり、
自分の気持ちにフタをして見ない振りをしていました。
早く次の人を見つけないと、
といわゆる婚活に精を出していました。

でも全て無理矢理にしていたことだったのですね。
ズーニーさんの言葉を読んで、タガが外れてしまいました。
涙が溢れて止まりません。

『2年はかかるんだから、
 無理に立ち直ろうとしなくていいんだよ。
 自分にないものを持つ彼に惹かれた私は、
 それだけ進化を欲してるんだから大丈夫。
 情けなくなんてない。』
そう言ってもらえたような気がしました。

今日は彼のことをたくさん思い出して、
自分がどうなりたいのか考えてみます。
(みけん♀39歳)


ツイッターで書き込みがあったので
「失恋論」一読させていただきました。
「未来に逢える!」の言葉で
号泣しました。

去年失恋し、
ちょっぴり泣いた事ですっきりした気持ちです。
ありがとうございました。
お礼を言いたくてメールさせていただきました。
(e2ko)


私には、自分が本当にこの人に会う為に産まれたのだ
と思えた事があります。

その人を失った時、私は自分の半分を失いました。

今回の話に照らし合わせて、
私が彼のどこに惹かれていたのか考えました。
意外なことに
「私でなければ心が死んでしまう所」だと思い至りました。
きっと、自分以上に自分を強烈に肯定してくれる存在が
欲しかったのだろうと思います。

今自分は、自分を肯定出来るように、
新しい勉強を続けています。
まだ涙は出るけど、彼が私を愛したように、
いつか自分を愛せるようになりたい。
なれる気がしています。
(ちり)


4年前の失恋に、今も時々心が立ち止まってしまいます。

「その人とはもう会えない」ことが今もつらく。
だけど、未来に会える。
未来、自分の中にその人の成分が生き続ける。

素敵ですね。
そうあれる自分であるべく、生きていく希望が湧きました。

とっても衝撃的な内容で、
頭をハンマーで殴られたような発想でした。

あの彼に、この長い喪失感に感謝。
(サチコ)



失恋こそ自分が見える。

自分が何に魅力を感じ、
何を求めていたのか。

失って一番つらいもの、
それこそ、自分が求めてやまない価値だ。

恋は未来から届く手紙。

未知のなんだかわけのわからぬものに、
まるで身投げをするように、
全身全霊で飛び込んで、

そして失い、

なんのために、どこに向かって
歩いていいのかわからなくなる。

でも、その色の無い道を
喪失感に導かれ、
コツコツ、先へ、先へと歩き続けていれば、

いつか出逢う、

あの日、手紙が発信された場所、
見たこともない懐かしい未来で。

先週、そう書いたところ、
読者の男性から、こんなおたよりを
いただいた。


<Infection>

私の高校3年の失恋の後の変化は
ズーニーさんの理論と一致します。

私は彼女の容姿の他に、
「成績が良いところ」「着実に努力できるところ」
「能力がずば抜けているのにステータスを求めないところ」
が好きでした(今になってわかることですが)。

それは私にないものばかりだったのですが、
失恋後、気付けばそれらを身につけていたのだと思います。

失恋した直後、
進学した大学で興味のあった分野の研究に没頭しました。
2年後にはさらに専門性を深めようと、
偏差値50そこそこだった私が
国内トップクラスの研究室に編入することになりました。

また、国内外の様々な文化や価値観を学び、
様々な社会人と触れあい、
ステータスを求めることの意義を失っていったのです。

私は高校生のとき、彼女に「感染」したのだと思います。
自分が持っていない、
けれども欲しい何かを持っている彼女に。

そして私は失恋の後、時間をかけて
彼女を「モノにした」のだと思います。
それは喜びであると同時に、虚しさでもあるのですが、
今の自分があるのは間違いなく
あの失恋のおかげだと思うのです。
(tomatomaton)



「感染」

ときいて、想いだすことがある。

ケンカ別れした友人Mのことだ。

女性どくとくかもしれないが、
とくに思春期などに、
女の子が、女の子に、
「この人が好き! 友だちになりたい!」
と思うとき、

まるで「恋」のような感覚になることがある。

私もそうだった。
あくまで女同士の友情の範疇だが、
恋愛のように、マインドを持っていかれていた。

Mは芸術家だった。

当時、私は、岡山にいて、
芸術のゲの字もしらず田舎で生まれ育ち、
そもそも、アーティスト、というものを
見たこともなかった。

Mは別世界から羽衣をまとって降りてきた天女のように
キラキラ光っていた。

私が、テレビやCDで知るだけの、
あこがれの女優・ミュージシャン・モデルの中にも、
Mの友人・知人はたくさんいた。

Mの作品が大好きだった。

芸術という創作をしながら生きているMは、
同じ日本語でありながら、
まるでちがう言語を使っていた。

新鮮だった。服装も、髪型も、化粧も、
アーティスト独特の手並みで、
独創的に、美しく仕上げられていた。

男女の恋愛でさえ、
どちらか片方の想いが強すぎるとうまくいかない。
ましてや、友達同士ならいっそう、
うまくいくはずもない。

好きすぎて、きしみ、
クリスマスの夜に大喧嘩して別れた。

やけくそで小さいケーキを買って、
独り、テレビの前でほおばってみるものの、
みぞおちのところに、
ズドーンと穴が開いて、虚しくて、哀しくて、
泣けもしなかった。

当時の2人の関係を象徴するシーンがある。

スターであるMにサインをしてもらおうと、
ファンの人が待っていたときのことだ。

私は、ファンの人を和ませようと、
軽いボケというか、冗談のつもりで、
「私がサインしましょうか?」と言った。

当然、明るくツッコミを返してくれるものと
思っていた。ところがそのファンの人は、

手帳とペンをひったくるようにひっこめ、
「だれがあなたなんかに!」と私をにらんだ。

わたしとMは、なぜここまでちがうのだろう?

同じ年代で、同じ女性で、
しょっちゅう一緒に行動しているというのに。

今年、

鏡を見ていて、だれかに似てる、と思って
はっとした。
Mと同じ髪型になってきているのだ、
私は、いつのまにか。

まねをしたのではない。
Mのようになろうとした覚えもまるでない。
なにしろMと別れたのは十数年前のことだ。

以降、十数年、
私は、そのときどきで、私がいいとおもう髪形をし、
あくまで自分らしい生き方を貫いてきた。

それが気づくとたまたま、Mと同じ髪型だ。

「ズーニーさん、サイン、いいですか?」

そういえば、気がつくといま、私は、
サインを求められる立場にいる。

サインを求める側と、求められる側、
消費する側と、表現する側、
サラリーマンと、アーティスト、
こちら側が、あちら側に行くことなど、
Mに金魚の糞のようにひっついていた私には、
想像すらできないことだった。

でも気がついてみると、いま、私は、
本は書く側、講演はする側、
表現する立場になっている。

もしも、失恋ならぬ、失友情をしなかったら、
私は、あちら側に行っていただろうか?と思う。

Mはとにかく華やかで、どこにいっても光が当たるので、
一緒にいる人は、自ずと影の役に
甘んじるようになっていく。

あのまま一緒にいたら、きっと私は、
「私は、芸術家を支えるサポーターがいいの!」と、
劣等感を善意にすりかえ、支えることに執心し、
一生、自ら表現する側に立つことなど、
考えもなかったんじゃないだろうか。

あの日、はじめてMにあった日、
そこだけ発光しているようだった。
髪型も、服装も、Mの存在も、作品も、
わけのわからない輝きに満ち、
私は、ビリビリくる直感に倒れそうなほどだった。

感染したのだ。

あのときの未来に私はいる。

未来の自分、つまり、
いまの自分が呼んでいたのかもしれない。
「そのわけのわからない直感に、
 身投げするようにして、こっちに来い!
 表現する側に来い! こっちだ!」と、

失って一番つらいもの、
実は、それを失ってはいない。

喪失感に導かれ、手探りしながら
いつか、再び、手にする。

あの日、手紙が出された、
懐かしく見たことも無い未来で。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2010-12-08-WED
YAMADA
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