YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson456 私がそれをやろう


「人をふるいたたせる言葉」とは、
どんな言葉だろう?

限界にぶちあたって打ちひしがれている人を、
元気にしようとして、
あれこれ言ったって、
ちっとも、しみないどころか、

かえって相手を追いつめたり、
不快にしたり、
そういうことがありがちだ。

だけれども、ほんとうにめったにないことだけれど、
一発で、打ちひしがれた人の心に、
息吹をふきこむような、そんな言葉に出くわすことがある。

最近、ある夫婦から学ばされることがあった。

プライバシーに抵触しないよう
改変を加えてお話したい。

過日、私の友人夫婦の、
「奥さん(以下、良美さんと呼ぶ)」が、
ご近所のおばあさんのお世話をしはじめた。

ご近所のおばあさんは、おじいさんと2人暮らしなのだが、
おじいさんが怪我で3ヶ月入院することに
なってしまったのだ。

おばあさんは、もともとかなりの高齢で、
病気がちだった。
寝込んだときはおじいさんが看病をしていたそうだ。

この老夫婦には身寄りがない。
近所の人たちが見かねて、
だれか世話をしなければ、ということになり、

良美さんが主婦であることや、
他の人たちは、フルタイムで働いていたり、
他に介護すべき人がいたり、
家に小さい子どもがいて育児が大変だったりで、
結局、良美さんがお世話をすることになった。

良美さん自身、生来の優しい人間で、
困った人に、自然に手を差し伸べるたちなので、
みずから進んで、ということもあったと思う。

しかし、はじまってみると予想外に大変だった。

最初は、家も近所であるおばあさんの、
必要最小限の身のまわりのお世話をするつもりだった。
おじいさんが帰ってくるまでの
3ヶ月の期限付きだし、できるだろうと。

ところが、おばあさんもやはり
入院しているおじいさんのことが
気になってしかたがないようで、しだいに
「入院しているおじいさんに下着を買っていってくれ」
「入院しているおじいさんにくだものを差し入れてくれ」
とたのまれるようになり、

病院に行けば行ったで、
やはりおじいさんのほうも、
身のまわりの世話が足りていない。
あれこれご不自由している様子を見せられる。
見ないふりをして帰るわけにもいかない。
結局、病院でおじいさんのお世話もするようになり、

おじいさんとおばあさんを行ったり来たりの
看病生活がはじまった。

「自分の親とか、せめて親戚であったら‥‥」

と良美さんは言う。
看病は、自分の親でさえ大変なものだ。

良美さんの場合、「ご近所」といっても、
この老夫婦とは、会話さえ交わしたことがなかった。
都会の「ご近所」というものは、長く近くに住んでいても、
そんな感じでつきあいが全然ないことも多いのだ。

親や親戚で気心が知れていれば、
まだ愛情でのり切れる面もあろうが、
老夫婦との間にはエピソードひとつない。
まだよく知らない他人なのだ。

なかなか、こちらの親切が相手の気にいらなかったり。
おもわぬ気難しい一面を見せられたりで、
家族の看病のようにはいかない。

それでも、優しく、忍耐強い良美さんは、がんばった。

そのがんばりで、
「この人は信頼できる」とおもったのか、
おじいさんも、おばあさんも、どっと
良美さんを頼ってくるようになった。

「あれが食べたい」「これしてくれ」
「これを買ってきてくれ」
自分の身の上話から、ままにならない体調の愚痴まで
良美さんに聞かせるようになった。

半日、おじいいさんとおばあさんの看病をして帰ると、
なんともいえない重い、どす暗い、沈んだ気持ちになる
と良美さんは言う。

お年寄りのうっぷんのようなものを、
もろにうけとめ過ぎるのだろう。
看護師のようなプロであれば、ある程度引いた立場で
病気の人と接する訓練もあるだろうが、
良美さんにはその訓練がない。

よく知らない相手であるがゆえの、
人間関係のとりにくさと、
ご高齢で体調も悪い老夫婦の心のうさを
一身に受けとめる気の重さ。

フルタイムでないとはいえ、
良美さんにもパートの仕事があるし、
手は離れたとはいえ3人の子どもがいる。
食事の世話や家事もなかなか大変なのだ。

それまで、そうとうに忍耐強く、
だれにも愚痴ひとついわず、
黙々とがんばってきた良美さんも、
しだいに心身ともに追い詰められ、めいっていった。

それでも辛抱強くがんばっていたが、
ある日、とうとう限界が来た。

生来優しい良美さんのことだ。
老夫婦のためにがんばろうとしてがんばれなかった自分にも
そうとうに失望し、そうとうに自分を
責めていたにちがいない。

そのどうにもならない想いを、
良美さんは旦那さんに打ち明けた。

このようなとき、どんなふうに妻を元気づけたら
いいのだろう?

普段から、つらい苦しいとよく言う妻ならいざ知らず、
めったに「つらい」を口にしない妻が言うのだから、
そうとうに追い詰められているはずだ。

こういうとき、

「悪い夫」は、たぶん、まともに話を聞かない。

妻の話を聞かず、
「自分だって会社でつらいんだ」
「俺だって仕事がいま大変な時期なんだ」
「だから、おまえもがんばれ」
と、励ますフリして逃げるだろう。

「普通の夫」は、たぶん、黙って話を聞く。

妻の気が済むまで
じっくり、とことん、黙って話を聞いて受け止める。
これだって、忙しい旦那さんにはなかなか難しいことだし。
黙って聞いて受け止めてくれただけで、
妻は癒される部分もある。
だけど、現実に戻って、
これでは1ミリも問題解決はしない。
だから、普通の夫は、話を聞いたあと、
「ああしてはどうか?」「こうしてはどうか?」
と妻にいろいろアドバイスをするだろう。

「良い夫」は?

はて、良い夫はこの場合、どうするだろう?
どうするのがこの場合、いい夫なのだろう?

自分だったら、どうするか?
町内の人に呼びかけて、変わってもらうとか
当番制度にしてしまうとか、
お金を払って、プロの人に来ていただくとか、
何か状況に訴えたり、働きかけたりするだろうと思った。
たしかにそうすれば、妻は物理的にラクになるだろう。
しかし、妻の心には消えない挫折感が残る。

良美さんの旦那さんは、上のどれでもなかった。

旦那さんは、良美さんの話をじっくり聞いたあと
こう言ったのだ。

「おばあさんの想っていることを、
 できるかぎりやらせてあげようよ。」

そして言った。

「僕がやるから。」

良美さんは耳を疑った。

旦那さんは、もちろん
フルタイムの会社員として山のように仕事がある。
残業だって多く、休日に休むことだってままならない。
「町内のだれがお世話を」、と考えたときに、
忙しさの筆頭に挙げられて、免除されそうな人だ。

よもや「僕がそれをやろう」と言うなどと、
良美さんはよぎりもしなかった。

「僕がそれをやろう」

旦那さんはさらに続けて言った。
「さすがに平日の昼間は動けないから
 良美に助けてもらわないといけないけど、
 土日は動けるようにする。
 平日でも夜にできることはする。
 おばあさんがお風呂に入りたいといったら、
 都内のそういう設備のあるところを
 僕がインターネットで探すし、僕が車で連れて行くから。
 おばあさんが食べたい料理があるんなら、
 材料を買ってきて僕がつくる。
 あと40日ほどのことだ。
 おばあさんがやりたいと想っていることを
 できるだけ実現させてあげようよ」

その言葉どおり、
旦那さんは土日をあけるために
仕事を持ち帰って深夜遅くまでやり、
土日をあけ、忙しい仕事の合間を縫っては、
おばあさんのやりたいことを次々と実現していったそうだ。

良美さんも、一時は絶望的な気持ちになっていたが、
そのことで盛り返し、夫婦でお世話をやり遂げた。
いまは晴れやかに、というかむしろ、
嬉しそうに当時を語る。

「おばあさんの想っていることをやらせてあげようよ」

そう言った旦那さんは、
もともと自分も入院生活・闘病生活が長かったと聞く。

その間、やりたいと思ってもできなかったことや、
食べたいと思っていても食べられなかったものが
たくさんあったんだろう、と思う。

例えば「焼きナス」のようなものが
ふと、入院中に食べたくなるようなことがある。
ナスをただ焼いてかつおとお醤油をかけただけの
簡単な料理だ。元気なら自分でもいくらでもつくれる。
でも、病気を長くしていると、
ただでさえ迷惑をかけているまわりの人に、
これ以上迷惑をかけられなくて、かけたくなくて、
遠慮して「つくってきてくれ」とは言えない。
すると、よけいに食べたくなる。
病気のようなときほど、
人が笑うようなささいな願いも重大で、
でも、そんなほんのささいな願いすら
自力では叶えられなくて、
それだけにむしょうに叶えたくて、やるせなくて‥‥
というような想いを、たぶん、闘病が長い人は
いやというほど味わっているはずだ。

だから、「おばあさんの願いを叶えてあげようよ」
「おばあさんのやりたいと想うことをやらせてあげようよ」
というのは、ほんとうに素直に
旦那さんの口から出てきた言葉だと思う。
それだけに良美さんの心を打った。

愛するものを守るとはどういうことか、
私は、この夫婦から教えられたような気がする。

「私がそれをやろう」

私自身、仕事で一度、母の看病でつらいときに一度、
やはり、この言葉を言ってくれた人に救われたことがある。

「あなたが困っているからかわいそうだから
 だから私がやってあげる」というのとは違う。
似て否なるものだ。

ゆきくれて、絶望している人に同情せず、悲痛にならず、

「あら、ちょっとその仕事おもしろそうじゃない」
「やってみたいな、私にやらせてもらえない?」
そんな感じで嬉々として、
だれもが大変だと知っている仕事を、引き取り引き受け
自ら進んで手を挙げる。

そんなたった一言が、
他の全員を変えるくらいのパワーがある。

「私がそれをやろう」

言おうとしても、なかなか言えない言葉だ。
言った後に責任とリスクがどっと降りかかる。
だから勇気が要る言葉だ。

でもそれだけに、
本当に愛するものを守りたいとき、
壁にぶつかって周囲の何もかもが行き詰まり
だれもがもうダメだとあきらめかけたとき、
闇と停滞を突き破る閃光のように
周囲をふるいたたせる力がある。

「私がそれをやろう」

いつかそのときが来たら、
逃さず言える自分でありたい。

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2009-08-19-WED
YAMADA
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