YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson416 最後の旅

俳優の緒形拳さんが亡くなった。
そして、峰岸徹さんも。
この二人に共通することは、

あまりに「唐突な死」だったことだ。

元気な印象しかない。

闘病のイメージも、
弱っていかれる印象もまるでなく、

俳優として第一線で活躍している姿だけがあって、
一転。まったく唐突に死が知らされた。

その間がない。

どうしてないかといったら‥‥、
そう考えて、はっ、とした。
私たちは、

「死を宣告されてもなお、選ばなければならない」

自分が死に至る病であることを、
まわりの人に知らせるか、知らせないか?

自分で選ばなければいけないのだ。

自分だって、死ぬと言われたら、
つらくて、受けとめられないかもしれないのに、
まわりの人にどうするかなんて
考える余裕なんかないかもしれないのに、
それでもいやおうなしに選択しなければならない。

なんて大変なんだろう。

自分が死ぬと分かった瞬間から、
つらくてたまらない中で、
次々と‥‥、人生を締めくくるための重要な選択を、
それでも次々と‥‥、していかなければならない。

そっとしておいてほしいときに、
弱って決断力なんかないときに、
じっくり考えさせてほしいときに、
でも時間の猶予も与えられず、

次々と自分で決めていくしかないなんて、
しかもどの道をとるかで次の選択肢も大きく変わる、
なんて過酷なんだろう。

記憶に残るスターの死に、
大きく2つの道がある。

ひとつは、
自分が死に至る病であることを
ひろく世の中にカムアウトして、
ありのままの闘病の姿も伝え、
その姿を通して、
なにか自分の伝えたいものを
残していく道だ。

もうひとつが、
緒形拳さんのように、
家族にも堅く口止めして、
病気のことはいっさい言わず、
それまで自分がしていた仕事生活と、
極力変わらない形での仕事生活を
最期まで続けようとする道だ。

どちらもあまりに切実な尊厳ある選択、
比較などまったくできようもないが、
それでも選ばねばならない。しかも、
どちらの道を選んだかで、死に至るまで、
目にする風景はずいぶんと違ってしまう。

ふと、自分はどちらの道を選ぶだろうか?
と思った。

そう思ったとき、
それまで、あまりに立派過ぎて、
自分とはかけ離れた、と思っていたスターの死が、
「仕事を持つ者」として、
なにか地続きのものがあるように、
生まれてはじめて思えてきた。

松田優作さんのときは、偉大すぎて
想像さえ及ばなかったのだけど、

いま、フリーランスになってみて、
私も、自分の死のことは
まわりに言わないのではないか、
そう直感が走った。

まず浮かんだのが、
毎年、小論文の講演で訪れる
名古屋や宮崎の高校生のことだ。

私がもしも余命いくらかだとして、
それを公表したとして、
まず、クライアントは気をつかって
「ズーニーさんに好きなことをさせてあげよう」と、
講演の依頼を遠慮するだろう。

緒形拳さんが亡くなったとき、
俳優の人たちが口々に、
「役者は病気のことを言ったら仕事がこなくなるから」
と言っていた。意外な気がした。
有名な仕事に困らない役者さんたちばかりだったから、
「そんなことはないだろう」と。
でも、考えてみたら、そうだ。
いくら有名な人でも、クライアントの多くは、
遠慮をするということと、リスクがとれるかということから
仕事を頼むのに二の足を踏むだろう。

小論文の講演にくる高校生はどうか、
と考えた。
もし、私が病気だとしたら、
優しい高校生たちは、そのことのほうが気になったり
私を気づかったりして、
入試の小論文のことに集中しづらくなるだろう。
受験勉強で大変なときなのに。

大学の学生たちはどうだろう?
公表したら、私を気づかって、
なにかはりつめたものがただよい、
リラックスした状態では講義に取り組めなくなってしまう。

そして、いま全国で展開している、
表現力のワークショップは?

参加者は、おそらく、私を気づかうのだろう。
それまで、私が産婆として、
参加者の言葉の出産に立ち会ってきたのに、
私のほうが、まず心配されたり、サポートされたり‥‥。

そんな状態で参加者は、
自分の表現に夢中になれるだろうか?

編集者さんはどうだろう?

雑誌の取材は、
その日から病気をテーマにしたものに変わるのだろうか?
本の依頼は、
やっぱり私の病気のドキュメンタリーのようなテーマに
変わるんだろうか。

病気を公表する、
という道を選択したとたん。
自分がよっぽどしっかりしていないと、
まわりが自分を観るときの
「メインテーマ」が変わる。

それまでの「表現教育」や「コミュニケーション」から、
「病気」や「死」というメイン・テーマに変わる。

はたしてそれは、
自分が最後に書きたいテーマだろうか?

自分の死を想ったとき、
次々とそんなことが浮かんだ。

自分は思った以上に
仕事を大事にしているとわかった。

ひょうしぬけするくらい、
自身が注目されることにとんじゃくがなく、
ただただ教育現場で、余念なく、
生徒と、引き出し引き出されあっている時間が
表現に夢中になっている瞬間が、
かけがえなく大事なんだと気づかされた。

私は私の生き様を伝えたいというよりは、
もっと、「考える力」や「表現力」の根本にある真実、
のようなものを極め、伝えていきたいんだなあ、
とも気づいた。

「現役」ということに、「生涯現役」ということに
自分が強くこだわっていることも。

そして、いま宣告されたとしたら
迷いなく、この教室を書き続ける。

日ごろ、死は、縁起でもなく、考えるのもおっくうだ。

でもそれをあえて、なぜ、考えるかというと、
自分の深層にあり、自分でも気づかなかった
大切なものが見えてくるからだ。

周囲に知らせるか、知らせないか、
この2つのどちらを選ぶかと考えるだけでも、
大切なものが見え、
その大切なものの中でも
例えば仕事なら仕事で、
自分がどの部分を大事に感じているのか、
どこは、はずせないかが見えてきた。

自分は「目標達成」みたいなことに
かなり気をとられていたつもりだったが、
死の側から照らしてみると、
目的達成の瞬間にほとんど執着はなく、
大切なものは、意外なまでに日常。
しかも働く日常の「何気ない風景」にあった。

そこは、いまの自分がぜったい手離しちゃいかんものだ。

「人は最後に旅立たねばならない」

これも最近、いまさらのように気づかされた。
私は安易に、自分の家で大切な人に囲まれて死ねたら
などと思っていたが。

死んだら家を出なければならない。

その家で生まれてから一度も家を出たことのない人も、
その家で、嫁を迎え、子が生まれ、孫が生まれ
一度も旅をしたことがない人も、
自宅で家族と一緒に死を迎えた人も。
死んだら、三途の川を渡るためのあの世の銭や、
思い出の品を袋につめて持たされ、杖など渡されて、
独り、家を出発しなければならないのだ。まさに、

「最後の旅」。

私たちは、ゴールで旅立つことがわかっているから、
たとえどんなに長くいた場所でも、
自分が生まれ育った家でさえも、
「ずっとここにいられない」と
どこかで想っているのかもしれない。

だから、死から照らしたとき、
輝く栄光の瞬間より、
ただ「ここにいる」と思える瞬間を、
かけがえなく、愛しく想うのかもしれない。

「最後の旅」、

そのときに、自分が愛しく心につめて持って行きたいのは、
どんな風景だろうか?
それを守るため日々どんな選択をしているだろうか?

人は最期まで選ばなければならない。

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2008-10-15-WED
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