YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson407
   いきやすい関係2――関心リッチと関心プア


今よりもうちょっと
「息のしやすい」「生きやすい」環境を考えたとき、
「親しい人」でもなく、「アカの他人」でもない、
「その間」にいる人たちが、意外に大事なんでは?

そんな提案を先週したら、
国内、海外からも、続々とメールがよせられた。
まず、それを紹介したい。

親しい人=白でも、まったく知らない他人=黒でもない、
その間にいる人々を、ここでは
「グレーゾーンの住人」とする。


<ダブリンより、こんにちは>
こちら(アイルランド・ダブリン市)にいて、
こちらの人と接しているので、
日本にいたときと 同じこと、違うことを日々感じます。

こちらではグレーゾーンが広いです。

例えば、お店の人と話すのも、
同僚と話すのもまず最初の言葉は
How are you doing? から始まり、
これが週の始まりであれば、
相手の週末の様子を聞くのが普通です。

結果として、そんなに仲のよくない同僚であっても、
相手がシングルかどうか、
休暇をどのように過ごしたか等をわかりあっています。

日常的に出歩いたりはしないけれど、
人として好感がもてる、
そういうグレーゾーンにいる人たちがたくさんいます。

日常的に行くスーパーや八百屋で働く人たちとでさえ
温かい会話ができるダブリンにいて
日本での無差別殺人のニュースを見ていると、
孤独になりがちだった日本での日々を思い出します。

この違いは一体どこから、来ているのでしょうね。
(ダブリン在住 M)



<人ごみ砂漠>
先週のグレーゾーンの話、強く心に響きました。
私が就職して東京に来たばかりの頃、
知り合いが少なくて人恋しくなり、
原宿に行ったら余計に寂しくなったことを思い出しました。
「東京砂漠」とはよく言ったもので、
周りにとって私は黒、
居場所のない人ごみの中にいるのは、
とても辛いことでした。
(tamo)



まだ私が会社につとめていたとき、
「ママ」というあだ名で呼ばれていた同僚がいた。
独身女性が多い職場で、
ママは子どもを育てながら働いており、
しかも、そのとき妊婦だった。

その夏、私はショックなことがあり、
体重は落ち、頬はそげ、
そのさまは、
たまたま食事にはいったお店で、
店主に、何も食べてないんじゃないかと心配され、
「ただでいいから」と、
注文してないご飯やおかずまで
ふるまわれるくらいだった。

とにかく会社で一日座っていることさえつらかった。

そんなとき、「ママ」が、ふらふらと席に近寄って、
私に声をかけた。

「今日は暑いね」だったか、「お元気?」だったか、
全然憶えてないほどの、たわいのない言葉だった。
時間にして数十秒、なんのことはないやりとりの後、
ママは自分の席に帰っていった。

次の日の昼下がり、
ママがまた、私の席に近づいてきて、
「きょうはちょっと涼しいね」みたいなことを言い、
帰っていく。

次の日も、また次の日も、その次も‥‥ママはやってきた。

それが私を心配したママの、
1日1回の「声がけ」なんだと気がついた。

私は人から心配されるのが大っ嫌いな人間だ。
心配されるのがイヤでイヤでしょうがない。

なのにどうしてか、この「声がけ」には、
ほっと緊張感がやわらいだ。

これが友だちとか、直近の先輩・後輩とか、
親しい人だったら、私も甘えが出て、
「同情されるのがイヤなの!」
みたいなことを言っただろう。

ママと私には距離があった。

会議で一緒になるものの、
プライベートで遊んだことなど一度もないどころか、
私語もほとんどかわしたことがない。

私なりに一度は親しい友人に
悩みを聞いてもらおうとはしたのだ。
でも親しいからこそ甘えも、エゴも出て、相手を不快にし、
悩みを聞いてもらおうとしては、やんわりかわされた。
以降いっさい人に、そのことを言わなくなった。

そんな矢先の「ママの声がけ」だった。

ママの声がけはそれからも続いた。
1日1回、数十秒のあたりさわりのない話、それだけ。

おたがい気心が知れてきても
このスタンスは変わらなかった。
「だから今度一緒にご飯を食べに行こう」と
どちらも誘うでもない。

ママは私に踏み込まない。

「何があったの?」と干渉したり、
「なんでも相談にのるわよ」と親切ごかして、
ずかずか私の傷心に踏み込んできたりはしない。

私もママに、もたれかからない。

「ママ聞いてくれますか」と
ドッと重い打ちあけ話をしたり、
相談にのってくれ、そばにいてくれ、くれくれと
もたれかかることをいっさいしない。

でも、1日1回のこの時間だけ、ぬくもりがあった。

私はしだいに元気になり、
取り立ててママに御礼を言うでもなく、
ママもそのまま産休にはいり、
あくまでも、どこまでも、さりげなく、
1日1回の声がけは終わった。

「関心を払う」の「払う」とは、よく言ったものである。

「払う」には、「お財布の中に500円しかないのに、
それでも電車賃340円払わなければならない」
というように、
限られた自分の「持ち分」から身銭をきるような
ニュアンスがある。

読者の成田さんは言う。


<関心を払わない女の子たち>
先日、京都に旅行に行ったとき、
修学旅行の中高生グループがたくさんいたのですが、
私たちがバスに乗ろうとしたとき、
乗り口をふさぐように4人の女の子が立っていて、
一瞬満員バスかと思ったんです。
でも、よく見たら前の方はあいているので、乗りました。
無理矢理。
だって彼女たちはよけるそぶりすらありませんでしたから。
その後、バスの運転手さんや、引率をしている方が、
再三「よけてください」って言っているのに、
微動だにしないのです。
もっと怖いのが、彼女たちがまったく話をしないこと。
なんで一緒にいるんだろう?というくらい、
しーんとしていました。

同じバスに乗っている、
そんな関係というのもグレーだと思うんですが、
私たちは風景? 石ころ???
(成田)



「子どもの親密圏の変容」について書かれた
岩波ブックレット(『「個性」を煽られる子どもたち』
土井 隆義)によると、

こどもが仲良し関係をはる範囲=「親密圏」は、
昔のように大勢でつれだって子どもが遊んでいる時代から、
年々狭く、どんどん小さくなっている。
いまやこどもたちは、
ほんの数人のごく限られた友だちとだけ
親密圏を結んで、遊んでいる。

でもだからこそ、
その小さなグループ内で浮いて、見放されたらオシマイ。
「ほかに行き場がない」、
「この世の終わり」と感じるため、
グループ内の人間関係に、とても気をつかって生きている。

グループ内で、「浮くまい」「嫌われまい」とするあまり、
グループ内の人間関係に、ある種クタクタになるくらい、
神経をすりへらし、神経をつかいきっているので、
親密圏の外の人間など、かまってられない、というより、
眼中にないほど、ヨユウがないと言うのだ。

1人の人間がもつ「親密圏」が昔にくらべて
小さくなってきているというのは納得だ。

母の時代のように、大家族で育ち、
戦後の厳しい時代をご近所と助け合いながら生き抜き、
大勢いる親戚の子どもを預かったり世話したりして
生きてきた人たちと、自分を比べても、
確実に、人を受容するキャパシティは落ちていると思う。

「受容」以前に他人に対して「関心」が払えない。

母の時代、1人あたりのもつ他人への関心を
100人とすると、
いまの時代、5〜60を通りこして、2〜30も通りこして、
せいぜい5〜6人なんじゃないかと私は思う。
バスの女の子のようにゼロの人も少なくないのでは。

すると、だれからも関心を払ってもらえない
「関心プア」が出てくる。

1人あたり5〜6人に関心を払えば、
関心はみんなにいきわたるか、というとそうではない。
関心は集中する。

例えば、おじさんばかりの職場に、
たった1人はいった新人のように、
周囲から関心をもたれすぎ、干渉されすぎて、
「ほっといてくれ」といいたくなるような、
「関心リッチ」の人も出てくる。

そういう「関心リッチ」には想像しにくいだろうが、
だれからもまったく関心をもたれないというのは
想像以上にツライことだ。

私も社会に入りあぐねていたとき、
だれからも1日中、
「そこにおるか」とも言ってもらえない、
どころか、だれ1人私にいちべつもくれない、
という「関心プア」の時期がある。

私も読者のtamoさんと同様、人恋しくてたまらなくて
人ごみに行き、大勢人がいるところで
関心に干されるほうが、
よけいつらいと思い知った。

私の場合、「関心に干される」ことが続くと、
ほとんど「腹がすいたとき」と同じような変化をした。

最初はなんとなく元気がなくなり、
それ通り越すと、しだいにそわそわ
ものほしそうな行動に出る。
知らず知らずオーバーアクションをして、
無意識に周囲の気を引こうとしていたり、
喫茶店などで、わざと自分が読んでいる本を
机の上にタイトルが目立つようにおいて、
だれかチラッとでもこっちを見ないかなと思ったり。

それでもだれからも関心をもたれないと、
ほんとに透明人間になったように、どうでもよくなり、
1人焼肉に行っても平気になり、傍若無人にふるまいだす。

それも通り越すと、次第にイライラし、飢餓状態のように
凶暴になってくる。

そういうときに、愛情をくれるのでもなく、
好意をくれるのでもなく、
ほどよい隣人程度の「関心を払ってくれる」存在がいると、
いくぶん「しのぎよい」のではないかと思う。

人から「愛情」をもらおうとすれば大変だ。
他人に「愛情」を与えるほうも大変だ。
以前、たった1回話しただけの人から、
翌日、親でも親友でも引くような、
めちゃめちゃディープな相談メールが送られてきて
びっくりしてしまったが、
自分の「関心プア」な時期を思うと、
この人を責められない。
寂しいのだ。だから、ちょっと親切にしてくれた人に
無意識にどっともたれかかってしまう。

でも、1人の人から1の愛をもらえなくとも、
まわりの人から0.1ずつくらいの「関心」を払ってもらい、
それを5人、10人と寄せ集めれば、多少の腹持ちはする。
払うほうだって、払いやすい。

好きで大切な人たちとの親密圏=白ゾーンのまわりを、
ほどよく関心を払いあう隣人たち、
関心は払うが、干渉・介入はせず、依存・要求もしない
グレーゾーンがふんわりとりまいているのが、
呼吸しやすい環境かなと、現時点で私は思う。

最後にこの読者のメールを紹介して、今日は終わりたい。


<私にとってのグレーゾーンの住人>
私は過剰な人付き合いはあまり得意ではありません。
かつて、顔を広く、人脈を広げる、などと言って、
がんばっていた頃もありますが、
そうやってがんばっていたときに知り合った方と、
今もお付き合いをしているかというとそうではありません。

今は、自分にとってのキーパーソンと、
しっかり心がつながっていれば、
そんなにがんばらなくたって、
必要な時に必要な人とすぐさまアクセスできると
思っています。

私は心を患った経験があり、
何とか早くそこを脱出したくて、
心理学の本などを読み漁った時期があります。
ある精神科医の著書の中に、
白黒つけたがることや勝ちか負けの分類が
ダメだということ、
人間関係を3層に分けて考えてお付き合いをしていこう
と書かれていて、それが今でも時々、
自分を救ってくれます。

第1層が配偶者・恋人・親・親友など最も頼りになる存在、
第2層が友人や親戚など
ある程度の距離を持って付き合っている人、
第3層が私的なことは持ち込まない、
仕事などにおける人間関係

グレーゾーンの人というのは、
第2層の中でも距離感のある方、
それと第3層の人のことかなと思いました。

全ての人と同じように
仲良くしなければならないのではなく、
それぞれにおいてふさわしい密度での
人間関係を作る必要があるということです。
どれか一つが著しく欠ければ、
全体がまずくなってしまったり、
一つの問題をクリアすれば、全体が良くなることもある。

特に若い世代には、
そういうことを知らない人が多いように思います。
とにかくガムシャラさんだった私も
そうだったんだろうと思います。
(優子)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2008-08-06-WED
YAMADA
戻る