YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson401
    進路発見に必要なチカラ

チャンスを逃さず、
自分らしい進路を切りひらくために、
ふだんから、
どんな「基礎力」を磨いておればいいのだろう?

ふしぎなことに、
大学1年生のほうが、3年生、4年生より
うまく就職の企画を立てられるという現実がある。
なぜなのか、ずっと不思議だった。

「現実を知らないからこそできるんですよ」

と授業アシスタントの院生に、こともなげに言われ、
そうか、
と私はちょっとクラクラした。

「現実を知った後では遅い、できないことがある」

だから進路のことは1年生から考えた方がいいのだ、と
改めて開眼があった。

どういうことかというと、

私は、全国さまざまな大学で、
進路発見・自己表現のワークショップを
立てているのだが、はじめは、
1年生に就活のことを考えさせていいのかさえ迷った。

なにしろ1年生は受験を克服して大学に入ったばかり、
受験疲れもあるだろうし、
「就活」なんて、まだ、まったくピンとこないだろうと。

ところが実際やってみると
1年生が就活の話を食いついて聞く。
就職の企画を立てるのも、
それをプレゼンテーションするのも、
意外にしっかり、嬉嬉としてやってのけるのだ。

1年生がそれだけできるんなら、
3、4年生はさぞできるだろうと、
期待したらそうでもない。
もちろん個人差はあり、
できる3、4年生はほんとにすごいのだが、
迷いが迷いを呼ぶ人もどっと増えて。
相対的に見たら1年生のほうができるくらいなのだ。

授業アシスタントの院生いわく、

1年生はまだ現実を知らないから
堂々と夢の図面を描けるし、人にも語れる。
これが現実を見たら‥‥、
つまり、実際に就活に出て、
面接官にプライドをくじかれたり、
現実の情報がたくさん入りはじめたら、もう
迷って迷って、
自分の未来なんて楽しく描けなくなる、と。

「絶対価値」と「現実認識」。

自分を生かす表現に欠かせないものは
この2本柱だな、と私は思う。

「絶対価値」とは、
人がなんといおうと自分はこれがやりたい
という、自分の氷山の根本にある価値を、
意識化して、ブレないチカラだ。

逆に、「現実認識」とは、
自分を取り巻く現実が、
どんなに厳しくひどいものだろうと、
感知し、認め、理解して受け入れるチカラだ。

どちらが欠けても自分らしい表現はできない。

だからこそ、大学生であれば、
1年生などまだゆとりのある時期に、
自分の理想を、楽しく設計しておくことが望ましい。

主観的に「楽しい」と思う行為は、
自分の絶対価値につながっていると私は思うからだ。

「絵に描いたモチ」と人は笑うけれど、
まだモチを食べたことがない人間のほうが、
理想を思い描く力は強い。
よっぽど高いモチベーションで、
よっぽどおいしそうに、迷いなく自分だけのモチを描ける。

理想は現実の就活で傷つけられてしまうが、
それでも、自分のスタートラインであった理想を
自覚している子は強い。立ち戻るところがある。

逆に、まず現実に踏まれ、傷つけられしたあとに、
そこから理想を思い描こうとしても、
自信を失って、なかなかうまく描けないこともある。

自分の理想を、自分でも意識化できず、
理想に立ち戻りたくても、立ち戻れない人は、
無自覚に自分の願望をはりつけて現実を見たり、
それに添わない現実をうらんだり、
現実にのっとられたりしやすい。

「絶対価値」は、自分の氷山の底と「交信」
することで意識化されるし、
「現実認識」は、自分をとりまく現実と
「交信」することで正しく広くなっていく。

この2つの「交信」がまっとうにできていて、
理想と現実も絶えず「交信」してせめぎあっていることが、
いざ、理想と現実を通じ合わせるチャンスがきたとき、
逃さずつかむ「基礎力」になると私は思う。

やりたいことについて何も知らない、情報に疎い、
というとき、人は落ち込む、でも、

「現実を知った後では遅い、できないこともある。」

何にも知らない今だからこそ、描ける夢、
わきおこるイメージは、いつか自分が立ち戻れるところ、
自分のスタートラインだ。
今のうちに楽しく育て、
はっきり言葉にしておこう、と私は思う。

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2008-06-18-WED
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