YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson399 わかりやすさ注意報


わかりやすく伝えようとしたら、反感を買った、
なんて経験はないだろうか?

ひと時代前は、武器でさえあった
「わかりやすく伝えられること」が、
最近、かえって反感を買う場合さえあるのを肌で感じる。

「わかりやすくする必要はない、けど、ひらいていろ」

というのが、最近、
自分に言い聞かせていることだ。
とくに、十代、二十代の若い人に
ものを伝えるには。

「わかりやすいのってキライ!」

わかりやすいものに鼻白む若い人が、
このところ、自分のまわりに目立って増えてきた。
本にしても、映画にしても。

授業でも、あいかわらず、わかりやすいのは人気だが、
それでも、あんまりわかりやすいと
文句を言われることさえある。

「わかりやすく説明してあげよう」
などと思うと、どうしても、
「こどもにでもわかるように」
ということをイメージしやすい。

そこに、レベルダウンが忍び寄る。

言わんとすること=主題にたどりつくまでに、
手段として、
説明を具体化したり、
既存の典型にはめこむ、パターン化をしたり、
しているうちに、
主題までが、ちっちゃくなった、
パターン化されてしまった、
ということがおこりやすい。

また、「こどもにでもわかるように」
と思うと、つい、一から丁寧に説明しようとしやすい。
いきおい、説明の手続きが増える。

面倒なことがキライな若者には、
主題にたどりつくまでの工程が長く、
まだるっこしくなるほど、イラッ、とくる。

いまの若い人には、
案外、抽象的なことを、いきなり、ずけっ、
ぶつけたほうが伝わることがある。

「一発サビ出し文化」と言われる世代には、
まだるっこしい前置きをいっさい省いて
本題にいきなりはいっても、
充分ついてこられるばかりか、
そのほうが歓迎されるし。

小さいころからたくさんの情報を浴び、
取捨選択して、次から次へと面白いものを
取り込んできた世代には、
抽象論は充分通じる、というのが実感だ。

以前、ここに、
「もっと抽象度の高いところで人は選ぶ」
というコラムを書いた。
最終的に、行きたい会社を決めた若者が、
その決め手を「会社の美意識にひかれた」
と表現した。

実際の面接では、
そんな抽象的な表現は通じないから、
もっと具体的なもっともらしいことに置き換えて
面接官に説明したと言うが。

若い人に伝えるときには、
この具体的な置き換えというのはそんなに必要なくて、
「会社の美意識」というまま、そのまんまぶつけたほうが、
ピンとくるように思う。

そういう今の若い世代にものを伝えるときは、
「わかりやすくしてあげよう」よりも、
「ひらいていよう」と意識するほうが
うまくいくような気がする。

専門家が、専門家どうしにしか通じない言葉で話していて、
その方面の知識がないものにはさっぱりわからない、
という表現は閉じている。

ある会社の人が、その会社の人間にしかわからない文脈で
なあなあ、やあやあで伝え合っていて、
それをそのまんま、会社の外に持ち出すとしたら、
やっぱりその表現も、とても閉じている。

「こどもにもわかるように」とイメージすることと
「自分の常識圏の外に対して表現をひらこう」
と思うことは、
ずいぶん違うと思う。

「ひらく」というのは、橋をかけるような行為だ。

複雑なものをパターン化して伝えるのでなく、
抽象を具体化して伝えるのでもなく、
全体を部分化するのでもなく、

複雑なものを複雑なままに、
抽象的な話を抽象のままに、
全体像を全体のままに、
レベルや、純度を下げないで、
自分の文脈や常識の外にいる、多様な人たちに、
いかにわかってもらうかだ。

若い人は、本題のレベルについてこられないのではなく、
大人の振りかざす常識や文脈の「外」を生きていて、
ちょっとした入りづらさだけで、本題に入ってこられない、
そういうケースも多いのではないだろうか。

「わかりやすくするのではない、ひらこう」

それが十代と接することの多い、目下の私の課題だ。

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2008-06-04-WED
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