YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson394
 人を説得する力――2 聞けない人


説得について、読者からこんなメールをいただいた。


今日、夜11時頃にバスに乗ったのですが、
私のすぐあとにサラリーマンの人が入ってきました。
すると、後ろから大きな声で怒鳴りながら、
おじさんが追いかけてきたのです。
「おまえ、逃げんじゃねえよ! いい加減にしろよ!」
バスのタラップをあがって、
サラリーマンの腕を掴もうとします。
どうも道でぶつかったか何かの拍子に
サラリーマンが 軽く悪態をついたことに
腹を立てているようでした。
突然のことに、私は驚きながら、
どうすればおじさんを「説得」できるか、
ぐるぐる頭をめぐらせました。
「暴力はやめてください」
「周りの人にも迷惑ですから」
そんな言葉が頭に浮かびましたが‥‥
(みなみ)



さて、このあと読者のみなみさんはどうなったのか?
それはあとでお知らせするとして、

今日はまず、「説得の手順」から押さえていこう。

小論文の世界では、「手順」は次のようになる。
「机上の小論文と、現実とはちがうよ!」
と思う人もいるだろう。ほんとにそうだ、現実は厳しい。
だからこそ、たとえ理想論であっても、
「まっとうな説得のキホンを知っておく」のも
悪くないと思う。
基本あっての応用だから。

小論文は、「読み手を説得する」
という独特のゴールに向かった文章だ。
歴史もあれば、ノウハウも積みあがっている。
知っておいてソンはない。

小論文的「説得の手順」
相手の言い分を聞き取る・読み解く (読解)
相手の言い分を自分の言葉で短く要約する (要約)
自分の意見がはっきりするまで考える (考える)
根拠を筋道立てて説明しながら意見を述べる(論述)


最近、私が衝撃を受けているのが、
1の聞き取り・読解に大きなつまずきを抱えた人、つまり、
「聞けない人」の存在だ。

プライバシーに抵触しないよう仮名で改変を加えて話そう。

「鈴木さんが、どうもスタッフと折り合いが悪いらしい。」
部長職にある友人からアドバイスを求められた。

鈴木さん40歳女性は、1年前
職場で少人数のチームのリーダーになったが、
どうもチームの人間がついてこず、
「孤立」しているそうだ。

鈴木さんは、以前は、あまり人と接しない仕事だった。
だが、いきなりチームメンバーや外部スタッフと、
話したり、交渉したり、まとめたり、
しなければならなくなった。

とくに外部スタッフの評判が悪いらしく、
長年スタッフだった人も、
鈴木さんがリーダーになってから相次いでやめている。

私は、どんな恐い人かと思ってお会いすると、
人のよい、かわいらしい感じの人だった。

「この人がなんで‥‥?」

私は、もめているというスタッフと鈴木さんの話し合いに
同席させてもらった。
すぐ気がついたことがある。

「鈴木さんはなぜ、一定時間、だまって、
 相手の言っていることを聞かないんだろう?」

スタッフが話し始めると、すぐ、鈴木さんが口を挟むのだ。
極端にやるとこんな感じだ。

スタッフが本来、こう言おうとするとする。

「このまえのAという仕事の指示、
 あれはわかりにくかったんですが、
 ああいうわかりにくさは、まだいいと思うんですね。
 Aそのものが難しいんですから。
 でも、問題は、Bという仕事の指示のように、
 本来カンタンなものを、
 あんなにわかりにくくしなくても‥‥」

と、少なくともここまではだまって聞かないと、
スタッフの言い分は聞き取れない、
ところが、鈴木さんが、恐ろしい「息の短さ」で
口をはさむのだ。

「このまえのAという仕事の指示、
 あれはわかりにくかったんですが‥‥」

とスタッフが言いかけると、鈴木さんがすぐ、

「でも、他のスタッフには伝わっています。
 他のスタッフでは、別に問題も起きていません。
 あのくらいの指示はわかっていただかないと‥‥」

と口をはさむ。スタッフがあわてて、

「いやいや、いいんです。Aについての指示に、
 文句を言おうとしてるんじゃない。
 Aそのものが難しいんですから、
 必然性のある難しさで、それよりもB‥‥」

といいかけると、鈴木さんがすぐ口をはさんで、

「Aが難しいですって? 
 Aはうちでやっている仕事の中でもやさしい部類です。
 そのくらいで難しいといっていちゃあ‥‥」

という。スタッフはまたあわてて、

「いや、そうじゃなくて、
 Aが難しいか難しくないかどうでもいい。
 じゃなくて、‥‥。えーっと、‥‥、そのー、
 えっと、いったい今、何を聞かれてたんでしたっけ?」

という具合で、話の途中で、さいさん口を挟まれ、
スタッフのほうも、いちいち答えているうちに、
どんどん話がずれて、わからなくなっていく、
そんな感じだった。

鈴木さんはなぜ一定量、話をまとめて聞かないのか?

鈴木さんがスタッフに意地悪をしているのではない。
意地悪などすれば、やめられて困るのは鈴木さんだ、
動機がない。それに鈴木さんは悪い人ではない、
いい人だと私には思えるのだ。

やりとりを聞き取っていくうち、まことに失礼ながら、
鈴木さんは、国語で言う「読解力」に大きなつまずきが
あるのではないか、と思った。

「読解力のある人は、論理の息が長い」

だから、すぐわかるのだ。
長く複雑な文章を、聞き取ったり、
読み取ったりできる人は、
1文、2文に反応するのでなく、
全体の構成や、全体として筆者が言わんとするところを
読み取れる。だから一定量、まとめて相手の話を聞く。

でもそれには力が要る。

最初の1文はマクラで、
次の2文と3文は最後の主張のための「伏線」であり、
4文と5文は6文の具体例であり‥‥というように、
文章構造を、建物のように頭の中に組み立てる力だ。

読解力がある人は、人の話も構造的に読む・聞くし、
自分が話す、書くときも、
伏線や接続詞などを用いて構造的に表現する。

だから、論理の息が長い。

逆に、建物のように構造を理解する力がないと、
短文、短文に反応してしまう、というか、
それしかできない。

鈴木さんの論理の息の短さも、
構造的に読む・聞く、トレーニング不足からではないか。
つまり、

「聞かない」のではなく、「聞けない」のだ。

私は、失礼にならないように、
「もう少し、スタッフの言い分を、一定時間、
 だまって、まとめて、聞いてもいいのではないか」
と言った。

鈴木さんは、がまんできない、といった表情で、
それでも、一定時間だまって聞いていたが、
そのあとで、スタッフに返す言葉が、的をはずしていた。

話の全体を通して、
スタッフが言わんとすることがつかめていない。
ただ自分が反応したい部分だけに
反応しているようだった。

鈴木さんの読解力は、なぜこんなに幼いのだろう?

「もうちょっと相手の言うことを聞こうよ、鈴木さん」
打ち合わせのあとに、私が声をかけると、
以外な言葉が鈴木さんから返ってきた。

「なんで私が、あんな人たちの言うことを聞かないと、
 いけないんですか?」

私はぎょっ、として、
「いや、その<言うことを聞く>ではなくて。
 ほら、小論文でも、資料として与えられた文章を
 正確に読解してないと、反論も、
 賛成もしようがないでしょ。
 おなじように相手の言っていることがわからないと、
 相手を説得するなんてムリだって‥‥」
というと、鈴木さんは、

「あんな人たちの言ってることなんて
 わかんないですよぉ‥‥」

と言って泣き出してしまった。
メンバーとも、スタッフとも、折り合いが悪いらしく、
目を合わせて、話をするもの苦痛で、胃が痛いのだという。

「いや、その<わかる>でなくて、
 小論文で言う、読解や要約のところ、
 をちゃんとやろうよ、
 そのあと、反論したっていいんだから‥‥」

というようなかみあわない会話を、
どうしてかみ合わないんだろう?
とおもってつづけていて、
「はっ」とした。
鈴木さんは、まちがったことを言っていない、

この人にとって、相手の言うことを聞く、ということは、
文字通りの、相手の言うことを聞く、ということなんだ。

どういうことかというと、
「人の話を聞く」にも、さまざまな段階がある。

一通り相手に言いたいだけ言わせる、
自分は半分聞き流している、というのも「聞く」だ。

一歩進んで、相手の「一番言いたいこと」ぐらいは、
正確に聞き取れた、という段階、これも同じく「聞く」だ。

さらに、相手の言い分を、根拠や動機まで理解して、
自分の言葉で短く、適確に「要約」できる。
相手に「あなたの言いたいことはこういうことですか?」
と確認して、「そう、その通りです!」と驚かれるような
正確な要約ができる、これも、「聞く」だ。

相手の言い分を聞いた後、賛同するか、反対するか、
これは本来自由なのだ。
賛同すると言っても、
結論には同意するが、根拠に納得が行かない、
というような、部分的、条件つき賛成もある。

賛同がゆきすぎれば、
相手の言っていることを全面的に受け入れる。
相手の意見に「染まる」、「同化する」といった、
文字通りの「言うことを聞く」ということになる。

「聞く」には、このような様々な段階がある。
みんなそんなこと、わかっているし、
鈴木さんだって、頭ではわかっている。

でも実質において、
鈴木さんには「聞く」、にさまざまな段階がなく、
「聞き取る」から「受け入れる」までが
混乱して、一緒くたになってしまうように感じた。

だから、同化の意味で「わかろうとして聞く」。

はなから通じ合えそうなら耳を貸すが、
わかりあえそうにない人の話はとても苦痛になり、
はなから聞く耳さえ持てないという状況に
陥ってしまっている。
これでは、スタッフから見ると話は「門前払い」。
鈴木さんの、聞き取る力もふり幅が広がっていかない。

「聞けない人」。

説得以前に、このような人がいることに衝撃をうけた。
自分のつとめた会社の上司や同僚、ふりかえっても、
ひととおり、「聞き取り」まではしてくれた。
「要約」の達人も多くいた。
ただ、聞き取ってくれても、
そのあとで反論されることもあったが、
少なくとも、「聞いて」くれはした。

「職場の人が好きになれないんです‥‥」

と鈴木さんは泣きながらいった。
もっと言えばキライなんです、と。
キライな人の話は、聞くのも嫌なんだろう。
そういう気持ちってあるなあ、と、
小論文の仕事をしはじめたときのことを思い出した。

小論文の資料として提示される文章は、
ときに、読むのも嫌になるような腹立たしいものさえある。

出題者はそういう文章で、あえて、受験者を挑発して、
意見を引き出したり、思考力をみたいのだろう。

私は、嫌な意見は、最初は読むのも苦痛だったが、
仕事だから、抵抗のある意見、あきらかにむかつく意見も、
何回も読解しては、ていねいに要約しなければならない。

でもそうしているうちに、
ずいぶん活字に対する抵抗力ができた。

不思議なことに、ムカつく文章でも、
適確な要約ができて、相手の言い分が整理できると、
「めちゃくちゃ考えがヘンなモンスター」というものは
そんなにいないものだなあとわかる。

逆に、嫌な相手の言い分の聞き取りを
おろそかにしてしまうと、
自分の中にあるものを投影してしまうので、
実際には居もしないモンスターを空想で作り出してしまう。
最終的に苦しむのは自分だ。

どんなにむかつく人の意見でも、要約して、
その人の言い分が整理されたときに、
「めちゃくちゃヘンな人でもないんだなあ。
 こういう問題に対する自分の考えも引き出してもらって、
 説得材料までみつかった!」と、
すっきり説得のスタートラインに立てたような
爽快感さえある。

さて、冒頭の読者メール、みなみさんはそのあと
どうなったか、みなみさんのメールを紹介してみたい。


今日、夜11時頃にバスに乗ったのですが、
私のすぐあとにサラリーマンの人が入ってきました。
すると、後ろから大きな声で怒鳴りながら、
おじさんが追いかけてきたのです。
「おまえ、逃げんじゃねえよ! いい加減にしろよ!」
バスのタラップをあがって、
サラリーマンの腕を掴もうとします。
どうも道でぶつかったか何かの拍子に
サラリーマンが 軽く悪態をついたことに
腹を立てているようでした。
突然のことに、私は驚きながら、
どうすればおじさんを「説得」できるか、
ぐるぐる頭をめぐらせました。
「暴力はやめてください」
「周りの人にも迷惑ですから」
そんな言葉が頭に浮かびましたが
何を言って良いか分からず、 ただ立ち尽くしていました。

そのとき、 入り口近くに立っていた若い男の子が、
軽い口調で、「おじさん、もういいでしょ。
俺言っとくからさ。」と 声をかけたのです。

とたん、おじさんは口ごもりながら
「ほんと、こいつが、えらそうに」と
状況を説明しはじめ、
「うんうん、分かった。みんな、びっくりしてるよ。
 もうバス出るし、危ないからね。」という
男の子の言葉に、
「ああ、そうか、迷惑かけて悪かったな」
と頷きながら素直にバスを降り、
歩いていってしまいました。
論破、ではなく、説得をするために
大事なヒントを学んだ気がしました。
(みなみ)



この「聞く」というひと手間ができない人も多いのだろう。
とおりすがりの人だと、危害を加えられたら、と、
なかなか話を聞く気になれないだろうけれど、
すくなくとも、職場の人や家族など、
自分の見知った人への説得なら
まずは、相手の言い分を「聞く」ことを
スタートラインにしたい。

鈴木さんも、「新聞記事」でも、
「新書の1章ずつ」でもいい。
読んで「要約」を200字で、
そのあと自分の「意見」を200字で、
のトレーニングを3ヶ月もつづければ、
抵抗力もキャパも広がり、
「聞ける人」になっていくと思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2008-04-16-WED
YAMADA
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