YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson380
 やりたいことがないときに


「やりたいことがない」
そう言いながらなぜか心が晴れないときの、
「ない」はホンモノだろうか?

就職活動を終えた大学4年生から
こんな興味深いおたよりをいただいた。


<無いと言いつづけた辛いツライ日々>

就活の中で「どんな仕事をしたいですか?」
と聞かれるのが苦痛でした。

私は、何でもやりたい・
自分の可能性を狭めたくない思いが強く、
また、学生の身分で
自分のやりたい仕事を決め付けることに
おこがましさを感じていたのです。

どうせ、学生から見てわかることなんて
たかが知れているし、考えてもしょうがない
とも思っていました。

仕事を選ぶ中で、
1.目に見える条件 
勤務地、給料、業種、社名、仕事内容 などと
2.目に見えない条件 
雰囲気、人のタイプ、風土 などがあるとして、

私の中で1の条件が重要でない気がしていたのです。

ずっと、「どんな人がいるどんな雰囲気の企業か」
を基準として会社選びをしていたのです。
面接などでも、会社の雰囲気や社員の方の印象を
志望動機にあげていました。

私は、売り手市場と言われる
2007年の就職前線の中で、7月まで
就職活動をしていました。
周りの友達が次々と進路を決めていく中、
ずっと決まりませんでした。

自慢ではありませんが、
自己PRする材料は沢山ありました。
高校での留学や、学校のゼミでのグループワーク
などもしました。
また、サークルでも主将や
大学同士の連盟の会長もつとめました。

しかし、エピソードはあってもまとまりが無く、
自己PRを書くたびに自分のPRポイントがズレ、
「何が言いたいのかがわからない」という
フィードバックをもらいました。

また、面接においても、
「何を考えているかがわからない」
「熱意が伝わらない」
「優秀な人だとは思うけど、本当にうちにきたいのか?」
といった反応をいただきました。

今振り返ってみると、
「自分がどんな仕事をしたいのか」
という芯が無かったのです。

就職活動のために就職活動に追われ、
サークルの事務作業に追われて、
答えを探す手間を惜しみ、
自分は答えは持っていないと決め付けていました。

今思い返せば、
沢山のヒントを周りの人からもらっていました。
いくつかの場面で、
今の私が見つけた答えに近いものに触れていました。

しかし、頑固なまでに、
「自分にはやりたい仕事などない、
 任された仕事をするだけだ」
と思い、
自分の想いを見つめなおすこともせずに
突き進んでいました。

結局、問題をすりかえ、
理由をつけて逃げているだけでした。

正直、辛いツライ日々でした。

しかし、ある時、本当にふとした瞬間に、
私がしたい仕事は「問題解決型で、
顧客のための営業であって
売り上げのための営業ではなくて、
売るものありきでは無く中立的な顧客視点での営業で‥‥」
という「答え」に行き着きました。

本当に突然でした。
今では、どんなタイミングでわかったのかすら
覚えていません。
あまりにも単純で、
思った以上に明確な答えを自分が持っていたことに、
はじめは戸惑いすら感じました。

泣きそうでした。
答えが見つかった喜びよりも、
なぜこんなに近くにある答えに
気づかなかったったのだろうかと。

その後の就活は、
今までの霧の中での苦しみに比べれば、
なんともスムーズでした。
本当にすべての物に対して筋が通った気がしました。

今までは不採用の通知を受けると、
「何でだろう」と自責の念ばかりでしたが、
初めて「ここは自分の希望する会社じゃないし、
相手もわかってくれたんだ」と
思えるようになりました。

そのかわり、「本当に行きたい」と思った企業の
面接へのプレッシャーは
今までとは比べ物になりませんでしたが。

そして、答えが自分の腑に落ちた経験から、
約4週間で内定を頂きました。

内定の通知の際に、面接官の方から、
「いい出会いが出来てよかった、
苦しんでいたんだね」とコメントをいただき、
涙があふれてきて止まりませんでした。

今振り返ると、
最初は「やりたい仕事がみつからない」と
思っていたはずが、
「やりたい仕事は無い」に変わっていました。

軽い気持ちで探す手間を惜しんだだけのはずが、
いつの間にか存在を消し去っていたのです。

伝えたいことが見つからない
と思っていたはずなのに、
気づかないうちに、
私には伝えたいことは無い
と思い込んでいました。

当然、
見えていないもの、見ようとしていないもの、
は伝わりません。

おとなの場合は定かではありませんが、
作文指導で「書くことが無い」という子供の場合特に
書きたいことが無いと思い込んでいるだけ、

伝えようとすることが無駄と思い続ける内に
伝えたいことが無いと思い込んでいる
といったことは、往々にしてありえるのではと思いました。

問題は認識なんじゃないかと。

だとしたら、周りが出来ることは、
「本当に答えは無いの?」
と問い続けることではないでしょうか。

答えが無い
では無く、
あなたの中に答えはある
からスタートし、
本人も、「あるはずだ」という前提で探すことで、
必ず伝えたいことは見つかるんじゃないかと思います。

ちなみに、私の経験からすると、
「私に伝えたいものは無い」
と思う期間が長ければ長いほど、
「あるはずだ」
に変えるための労力は大きくなると思います。

私自身が、
「自分が何をしたいのか」
「自分は何を欲しているのか」
について考えることを、
21年間してこなかった結果として、
上のようなことが起こったと考えるからです。

無いのではなく、見えていないから伝わらない。

今振り返って思うのは、
本当に見つけられて良かった です。

(SHOHEI)



からだは「想い」の乗り物だ、ということを
これを読んで改めておもった。

自分の「想い」にフタをしたままで、
違う方へ動くのはほんとにツラく消耗するものだなあ。

自分の「想い」がわかって、そっちへそっちへ動くのは、
恐くても痛くても、なんとはりあいのある日々だろう。

SHOHEIさん、ありがとう。

私は、このメールを読んでいなかったら
大きな見落としをするところだった。

まだ働いたことの無い学生が
仕事で「やりたいことがない」というとき、
私はなんとか、その状態を肯定しようとしていた。
「いいよいいよ、まだ無くて当然だよ」と。

でも、まだ働いたことのない学生でも、
そこに「想い」はある。

働くことや、いまの社会や、
自分のこれからの人生について
なにがしかの「想い」や、「不満」や「願い」はある。

いや、まだ働いたことがないからこそ、
そこに「理想」を抱いているのだ、
ということを、このメールであらためて教えられた。

この「おとなの小論文教室。」のずっと初期のころ、
私もやりたいことが見つからず、
先の人生をどう生きていいのかもわからず、
「やりたいこと」について
読者と一緒に考えたことがあった。

そのとき、ある読者が、
2年間、引きこもりのような生活を送って、
考え抜いた果てに、やっとつかんだ答えが
「理想を形にする」
だったことを思い出す。

「理想を形にする」、

理想がないという人も、就職活動の現場で
「これだけは絶対嫌だ」「これはあきらかに違う」
という想いを一度ならず味わうということは、
そこに、なにかの想いがあるはずだ。

その「想い」を言葉にすることができて、
企業や面接官に伝えて、
それが通じて就職できるのなら、
こんなにうれしいことはない。
自分の中の世界から、想いひとつもって、
外に通じさせて、社会に出ていけるわけだから、
それは、仕事にも社会にも意欲が湧くことだろう。

反対にそういうものがなにもないと
社会はよそよそしい、自分を疎外する空間だ。

理想は、その人によって、職種だったり
仕事で扱うテーマだったり、達成したい世界観だったり、
小さな美意識だったり、こだわっている正義だったり、
生かしたい能力だったり、
さまざまだけど、小さくてもなにかひとつ、
自分の理想を言葉にして
就活の場面で通じさせてほしいし、
自分もそのための技術サポートができればと願う。

また、このメールは、
自分が本当は「書きたい」のだということを
呼び覚ましてくれた。

私もまわり道をしたけれど、
「書きたい」ということがはっきりわかった。

私は書きたいし、書くことがある。

「ある」からこの2008年を始めようと思う。

2008年、あなたの想いが形になり通じていきますように!

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2008-01-09-WED
YAMADA
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