YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson370 会話のゴール 2


話を終えて、電話を切ったとき、
妙に、あと味のいい人と、悪い人がいる。

この差はなんだろう?

先日も、
仕事先からの電話を切ったあと、
妙にニヤニヤしている自分がいた。

相手が何かほめてくれたのか? いいや。
相手と何か特別な話をしたのか? NOだ。

これといって特別ではない会話、
でも、本でいう読後感のようなものが、
すごく爽やかだった。

自分の中に小さな幸せの灯がぽっとともった感じで、
それは線香くらいの、すごくささいなものだけど、
電話を切ってからも、しばらく消えないであって、

その日は、いろいろとダルイなあ、
ゴロゴロしようかなあ、と思っていたんだけど、
一本のなんでもない電話に、
新鮮な気分にされ、背中を押されて、
なんだかテキパキと働いていた。

反対に、
朝から気分のいいときも一本の電話で台無しのことがある。

それも、ただ電話でお金を振り込んだだけとか、
ただ、電話セールスを断っただけとか、
何か悪いことを言われたわけでもない、
顔さえ知らない相手との、何ということはないやりとりに、
消耗してしまうことがある。

ただそれだけなのに、
電話を切ってもしばらくイライラが消えない。

先日、ラジオの仕事で、
電話コミュニケーションのスペシャリストに会った。

「緑さん」という女性で、
コミュニケーションに対する気持ちの
すごく美しい人だった。

緑さんは、ハケンで、
テレビ通販の会社に、
最初は、電話オペレーターとして入った。

そこから、わずか2年半ほどの間に、
電話オペレーターを育成するスーパーバイザーへ、
さらにスーパーバイザーを育成・統括する
コールセンター長へと
望まれてなった人だ。

緑さんのコミュニケーションの何が光っていたのだろう?

「ゴール」の描き方だ、と私は思った。

電話のやりとりにしても、日々の会話にしても、
みんな何をゴールに話しているのだろう

ただ用件が済めばよいのか?
自分が言いたいことを言ってすっきりすることか?
それとも相手にわかってもらえることか?

電話をきったあと、相手の「印象に残る」

緑さんはそこをゴールにしている。
電話オペレーターという仕事は、
顔の見えないお客さんと、
視覚をいっさい共有できない、言わば闇の中で、
「言葉と音声」だけでコミュニケーションする。

商品の、微妙な色合いや、質感など
「言葉にならないもの」を、どうやって、
お客さんと共有するか。

ものすごいコミュニケーション力が求められる仕事だ。

なのに、できてあたりまえの世界だと言う。

注文を聞き間違えないとか、
もたついたり、つまったりせずに、
そつなくこなせて、あたりまえ。
それで褒められることはない。

でも、ただそつなくこなしただけでは、
お客さんに何も残らない、
ささやかでもいい、電話を切ったあと、
何か相手に、「印象」が残る仕事にしたい、
と緑さんは思ったそうだ。

その「何か」とはなんなのか?

それはもう「言葉にできない」ものだ。

電話を切ったあとの、
お客さんの中に生まれる
なにか、「ほっ」とした感覚だったり、
ちいさくても「満たされた」想いだったり、
ちょっと「前向き」になれたり。

相手にそんな「印象を残す」には、
どうしたらいいんだろう?

お客さんは、
ただそつのない応対をされるだけではない、
それ以上の「何か」を求めているという。
求めるものは一人ひとり違っている。

人によっては、
商品を母にプレゼントするのだというような
たわいのないちょっとしたことを、
ただちょっと聞いてほしい、と思っていたり、

人によっては、ものすごく急いでいるので、
フツウ以上に、スピーディに、無駄なく、はしょって、
対応してほしいと思っていたり、

人によっては、夜ふけに電話をして、
ささやかでもなにか温もりがほしかったり、

相手は一人一人ちがう状況で、
ちがった何かを電話のやりとりに期待してくる。

はじめに、そこを読み間違えてしまうと、
やりとりはちぐはぐになり、
あとのほうで修正しようとしてもうまくいかない。だから、

電話は相手の第一声に全神経を研ぎ澄ませる、という、

第一声で相手の求めるものを感じ取るというのだ。

緑さんが新米のとき、
高齢の女性の気分を害したことがあるそうだ。

例えば、相手に色を聞かれ、
「黒です」と答えたとする。
なのに、相手は不安を解消できない様子だ。
でも、黒は黒でしかない。

緑さんは、お客さんの役にたちたくて、
わかってもらいたくて、一生懸命で、
「黒です」「黒です」と同じことを、必死で繰り返した。

ところが、同じことを何度も言われた相手は、
ばかにされているのかと気分を害したという。

正しい言葉を、正しいまま、そつなく並べても、
相手の中は満たされない。

言葉を通して伝えようとしているのは、
常に「言葉にできないもの」だからだ。

相手の中に、ありありとそのイメージが浮かぶか?
印象に残すことができるか?

いまは、商品の色を聞かれても、
ピンクの微妙な色合いを説明するのに、
たとえば、「春の桜の花のような」という。
するとお客さんの中に、「淡いピンク」が浮かび上がる。

電話を切ったあと、お客さんの中に、
桜の印象が残り、商品が手に届くのが楽しみになる。

同様に、
安心であったり、温もりであったり、素早さであったり、
相手がコミュニケーションに求めるものは、
一人ひとりちがい、

同じ「安心」といっても、
人によって求める度合いや、ニュアンスもちがう。
どんな色のどんな安心を届けるのか
それはもう、「言葉にならない」、感覚の世界だ。

その、「言葉にならないもの」を、
いかに言葉を駆使して、相手に伝え、満足してもらうか?

それは、一対一で相手と向き合い、失敗を恐れず、
実体験を積んで、感覚でつかんでいくしかないという。

急いでいる相手には、「はい」というタイミングが、
0.5秒遅れてもイラっとされるだろうし、
ちゃんと話を聞いてもらいたいと思っている人には、
「はい」が0.5秒はやくても、
ちゃんと聞いてもらってない気がするかもしれない。

そうした細かなタイミング、声色、言葉の選び方、
その一つ一つが積み重なって、はじめて、
電話の第一声で感じ取った、
「相手がほんとうに求めるもの」への満足に
つながっていく。

電話を切ったあとの「印象」になる。

そのノウハウはマニュアル化できない。

緑さんがオペレーターや
スーパーバイザーを育成するときも、
一対一で、時間をかけて、泥くさく、あうんの呼吸を
感覚でつかんでいってもらうしかないという。

緑さん自身、電話での接客は、やってもやっても奥が深く、
ひとつ体得したとおもっても、常に、
次のハードルが見えて、終わりがないという。

コミュニケーションに失敗やまわり道をしても、
「ゴール」さえ間違わなければ大丈夫、と緑さんは言う。
そこにいくために、お客さんも、オペレーターも、自分も
がんばっているのだから、と。

相手の「印象に残る」こと。

状況に即した正しい言葉を、
ただ正しく並べて出そうとするか、
言葉にならない何かをゴールに抱き、
そこに何とかたどりつこう、相手と共有しようと、
言葉を駆使して挑むのか?

それによって、
緑さんの言葉を借りれば、会話は、
「おいしいけれど何かもの足りないラーメン」
のようになってしまうか、
「また食べたい」と思えるものになるか、違ってくる。

「言葉にならない何かを共有した」

そう想えるとき、自分は、会話のあと
元気がでてくるのかもしれない。

今日、
私と会話をして去ったあと、
相手の中にどんな印象が残っているだろうか?

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2007-10-24-WED
YAMADA
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