YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson363 オーラ禁止令


お近づきになりたいと思っていた人がいた。

その人は、すいこまれるような美人で、
私は、その人柄とつくるものが好きで、
お近づきになれればいいなあ、と思っていたのだが、
何度か会っても、いっこうに相手にされず、
あきらめて久しくたったころ、
なんと、むこうからお誘いがあった。

彼女は私に、こう言った。

「最初、ズーニーさんとお会いしたとき、
 ゼンゼン、ピンとこなかったんですよ‥‥、

 それからしばらくして、共通の知人を介して
 一緒にお食事したときも、
 いっこうにピンときてなくて‥‥、

 それでズーニーさんからいただいた本も、
 長く、ほうっておいたのね。

 でも『理解という名の愛がほしい』を読んで、
 これは! とおもって。心があるんですよ。
 ああいう、心がある本って、
 ほんっとうに少ないのよ!!」

つまり、私が本を書いていなかったら、
彼女の心にかすりもしなかったということだ。

瞬間、ヨロコビと哀しみが交差した。

わかっていても、自分が初見で「ピンとこない存在」と
はっきり言われるのはツライものだ。

彼女が最初、ピンときてないことはわかっていた。
私への興味はうすく、
「今度、御飯でも‥‥」という私のなげかけにも
愛想よく、気のない返事をした。

以前の自分なら、その時点で、
「どうせ自分なんて魅力がないさ‥‥」と
いじけて、自信を失っていたかもしれない。

でもここ4年ほど、
表現教育で全国あっちの企業、こっちの学校とまわるうち、
私はこう思うようになってきた。

「私には、まだこの人が知らない良さがある。
 ただ、その良さは知ってもらうのに時間がかかる」

これはうぬぼれではなく、
全国各地でワークショップに参加した一般の人たちから
もらった勇気だと思っている。

私には、俗に言う「オーラ」がない。

講演先に行っても、
「あのー、あのー、‥‥」と受付の人に、
何度かこっちを向いてもらおうとするも、
いっこうに気づかれず、
「あのお! 講演に来ました山田ズーニーです!」
というと、やっと気づいて、
「えっ? おまえが‥‥??」
という顔をされる。

背が低く、
たれ目でアホっぽい感じの、
講演にしてはカジュアルな服を着た、
人目をひかない容姿の、
若々しくもない、かといって年配の風格もない、女が、
演台にでかでかと書いてある文字「山田ズーニー先生」とは
どうしても一致しないらしい。

「自分にはオーラないもんなあ‥‥」と
一時期は真剣に落ち込んだものだ。

でも、「オーラ」ってなんだ?

あ、といっても、美輪さんや、江原さんに
文句をつけているわけではない。
オーラが見える人や、オーラそのものに
反論しているのではないので、安心してほしい。

そうでなくて、大半の人は、オーラが見えない。

その本来、オーラが見えないはずの人が、
「アイツはオーラがない。もう落ち目だ」とか、
「あの人はスゴイ! 出逢ったときからオーラがあった」
とか、
自信をもって、言う行為、
これが危険とおもうのだ。

オーラは辞書で
「人体から発散される霊的なエネルギー。
 転じて、ある人や物が発する、
 一種独得な霊的な雰囲気。」
とある。

だけど、自分自身をふりかえって、

オーラがあるとか、ないとか、言っていたのは、
そんな、人の存在の真ん中から
発せられるようなものでなくて、
目には見えないものを心の目で感じ取るというような
高尚な行為でもなくて、

実は大半、「見た目」のことを言っていたのではないか?

つまり、ぱっと見て、すぐ目に見えてわかるもので判断し、
「なんかこの人ステキ!」=オーラが出てる
「なんかこの人パッとしない」=オーラがない
と言っていただけではないか、と最近思うのだ。

というのも、この4年間、
表現教育のワークショップをやってきて、
人の「見た目」と「中身」は驚くほどにギャップがある。

わかっていても、そのことを毎回、
頭を垂れるような思いで、
思い知らされつづけてきたからだ。

たとえば、先日、青山でやったワークショップでは、
おしゃれな街だけに、若い、
センスのよい身なりの人が多かった。

その中に、ひとりだけ、いかにもサラリーマン然とした、
スーツにネクタイで来ていた人がいた。
青山の自由な雰囲気の中で、
その人だけが組織人というか、
保守的な匂いがプンプンしてみえた。
「予定調和な、分別くさい話するのではないか」
という、まわりの見た目の印象を大きく裏切って、

その人がいちばん、予定調和を打ち破ったスピーチをした。

その人は、昔もロックを愛し、いまもロックを生き方とし、
昔は音楽で、いまは、会社の営業の仕事において、
ロックをやっていると。
ロックの精神である破壊と創造を
これからもやりつづけていくと、
エネルギッシュに訴えた。
仕事の現状も、そこに渦巻く人間関係も、
この人がいちばん本気で、変えてやろうと考えていた。

聞いている人たちに爽快さが走り、
そのなかの一人の女子大生は、
「友だちになりたい! すぐ話しかけなきゃ!」
と目を輝かせた。

「こんなこと絶対、言いそうにないって人に限って、
 驚くような意外なことを言う」
とは、半期、コミュニケーション論を教えた学生の感想だ。

じっくり考えて、自分が本当に思っていることを表現する。
そういう授業をやって、
ひととおりクラスメイトの表現を聞いたあとは、
劇的に、クラスの人間関係の地図が変わっている。

それまで話したことのなかったもの同士、
たとえば、男子と女子とか、
1年生と4年生とか、
違う科の学生どうしが、旧知の間のように話しこんでいる。

外見だけで接点がないと切り捨て、
通り過ぎていたもの同士が、
表現された内面を見て、惹かれあったのだ。

ワークショップが始まる時、たしかに、オーラというか、
目がとまる人物がいるときがある。
この人はなにか持ってるな、と。

しかし、それがどんなに、「見た目」の印象に過ぎないか、
ワークショップの最後には、毎回、思い知らされる。

はじめは地味で目立たなかった人物、
疲れてネガティブに見えた人物、
失礼ながら会場にいたことも気づかなかったような人物が、
涙が出るほど心をつかむスピーチをする。

ワークショップが終わったとき、その人たちは
自分の中で輝いて見える。

そして、このような豊かな内面を持っている人たちも、
表現する機会が与えられなかったり、
表現する術をもたなかったら、
ただの風采のあがらないおじさん、
ただのそのへんのおばさん、として片づけられ、
理解されず、通り過ぎられてしまうのかな
とおもうとやるせないものがある。

「あの人にはオーラがある」というとき、

実は見た目のインパクトを
言っているにすぎないのではないか?
「見た目」の最たるものは、容姿だ。
顔立ちがキレイ、スタイルが均整がとれている、
美人じゃなくても好きな顔である、
そういう人は際立って見えるし、
自分の中に独特の感覚がわきおこる。

姿勢がいい、立ち居振る舞いがキレイ。
服装、髪型、メイク、持ち物など
身につけているものの感覚がいい。
声がよくて通るとか、
場に意欲的に取り組んでいるとか、
集団の中で、その人だけ若いとか、

あるいは、すでにその人の活躍とか、人となりとか、
知っていて、自分がスゴイスゴイと思って見るから、
ほかの人とは違う、後光が差しているような気がする、
だけではないか?

だったら、

「オーラがある」といわず、
「あの人は目鼻立ちがきれいで第一印象から目立っていた」
「姿勢がよく前向きな印象が人をひきつけた」と
言えばいいし、

「オーラがない」といわず、
「外見は地味で目立たなかった」とか、
「姿勢が悪く、常にうつむいているので
 暗い感じがした」とか
言えばいい。

オーラみたいな曖昧な言葉を持ち出すと、
「ない」と言われた日には、
外見も内面も全否定されたように思えるし、
検証のしようもなければ、直しようもない。

「オーラがある・ない」で片づけるとき、
どうもその根っこには、

なみなみならぬ魂が宿っている人は、
それがおのずと表面に現れ出でるはずだ、または、

パッと見て、引きつけられる人には、
なみなみならぬ魂が宿っているはずだ、

という考え方があるように思う。
でも、それはたった4年の自分の経験をふりかえっても
間違っている。

「表現されない自己は無に等しい」、
人には伝わらないし、理解もされない。
一見、風采のあがらない、
気にもとめなかったおじさんの中に、
並々ならぬ面白い考えが宿っているのも現実だ。

だから私は、オーラのあるなしというあいまいな言葉で
人を判断するのを、自分の中で禁止しようと思う。

冒頭で紹介した美人は、
20代のころ、美貌に大変なダメージを受け、
気の遠くなるような研究と努力の果てに、
30代になってから、ため息のでるような美貌を回復した。

いま彼女は、ひと目で、人をひきつける。

人が見た目で判断すること、
どんなに内面に良いものをもっていても、
一発でブレイクスルーできる魅力がなければ
生きていけない社会の厳しさを、彼女はよくわかっていた。

そんな彼女から言われた、
「ズーニーさんは最初ピンとこなかった」という言葉は、
表現を仕事にしていながら、
伝える努力を怠っている自分への警鐘だと思う。

私がすべきことは、
オーラがない、魅力がない、などと落ち込むことではなく、
どうすれば、もっと端的に、自分の内面にあるよさを
人にわかってもらえるかと、
自分の言葉、ふるまい、たたずまいなど、
自分の表現を省みて、研究し、努力し、
人に伝わるようにしていくことだと思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2007-08-29-WED
YAMADA
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