YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson356 表現者の味方 3


ずいぶん前のことだ、
あるライブのあとの飲み会で、
演者とお客さんが大喧嘩をしてしまった。

その演者はプロではなく。

何人か出たライブの中で、
自分の評価が気になってしかたがないようすだった。

でも、
正面きってお客さんに感想を聞く勇気もでないようで、
遠まわしに遠まわしに、
お客さんたちに、なにか言ってほしそうな目をしていた。

まわりのお客さんたちも、
もう少し表現者にやさしくしてあげればいいのに、
いっこうに、その演者に励みになるような
言葉をかけてあげない。

ひとつには、近ごろのお客さんたちは
とても目が肥えていて、うるさいということがある。

もうひとつには、多くの人は表現を受け取る側で、
表現するほうにまわったことがないので、
表現する人間の孤独とか、
表現したあとの独特の反動とか、不安とか、
人前で表現する人の気持ちがわからない。

「いい」も「わるい」も言われないというのは、
いちばん演者にとってキツイことだ。
だんだんその演者はかたくなになりはじめ、

それと対照的に、
そのライブで、私もいいと思った、
1番人気のパフォーマーのまわりに人だかりができていた。

で、くすぶっていた演者は、しだいによじれだし、
「あいつはいいよなあ」とか
「おれなんか」とか、独り言のようにいいはじめ、
それでもまわりがとりあわないでいると、
その人気者に、大声でわざと聞こえるように
いやみをいいはじめた。

まわりが引いたことに、
おいつめられてか、ひらきなおってか、
たんに辛抱が切れたのか、
とうとうその演者は、まわりのお客さんに、
自分のライブの感想を言わせはじめた。

そこで、おもう感想がえられないばかりか、
お客さんから言われた言葉にカチンときて、
とうとう、演者とお客さんとで、
大喧嘩がはじまったというわけだ。

「私の表現はどうだったの?」

その演者は、ライブのあと終始その問いを握りしめ、
その問いから離れられなかった。
自分にも、まわりの人にも、突きつけ続けた。
それがまわりを引かせた原因ではないかと思う。

「私の表現はどうだったの?」

私たちは自分を表現することになれていない。

いわゆる暗記型の教育を受けてきた私たちは、
知識を正しく取り込んでさえいれば、
自分は何も表現しなくても
大学まで、するするっと出られてしまう。

就職活動まで
これといって自己表現など求められたことがない
という人もザラだ。

だから、おとなになっても、
人前で自分を表現するのが「なんとなく恐い」人、
とても多いように思う。

この「なんとなく」というのがくせもので、
なにか大失敗をしてものすごく恐い、
ああで、こうで、だから恐いというわけではない。
多くの人には、失敗する機会さえ、ない。
自分を表現することに関しては経験不足・無知・未熟、
いわゆる「こども」だ。

だから、いざ表現してみると、とても不安になる。

こどもほど、残酷なことをするもので、
せっかく勇気を出して人前で自分を表現しても、
そこに、表現者の痛みをわきまえない人からの
不用意な言葉があびせられることもある。

恐かった。

私もサラリーマンを16年やって、
思いがけず、人前で、ものを書く、話しをする側に
まわってから、なんだか、わけもわからず恐かった。

それで、取材先や、講演先のスタッフと
ギクシャクすることもあったし。
何よりも、仕事先の人とのコミュニケーションが、
苦手で、億劫で、積極的になれない自分がいた。

自分は会社員として編集者をしていたときには、
人と関わるのが大好きで、得意であったのに、
なぜ、書く側にまわってから
こんなに苦手になってしまったのか、
と不思議でならなかった。

「私の表現はどうだったの?」

あのライブの一件以来、
自分がこの問いにとらわれていたことに気がついた。

私も講演のあとなどで、
「私の表現はどうだったの? どうだったの?」
と無意識にすがるような目で評価を求めたり、

思うようにできないと、
あからさまにへこんだり、
暗い顔のまま講演先をあとにしたり、
スタッフとぎくしゃくしたり、

それが醜いと、
あのライブの夜の一件以来、
自分を反省せずにはいられなかった。

「私の表現はどうだったの?」

私は、いま、仕事先のコミュニケーションで、
うまくいっても、いかなくても、
いったんこの問いを手放すことにしている。

「私の表現はよかったの? わるかったの?」
この問いにとらわれたままでいると、
褒められても調子のいい、自慢たらしい発言をしやすいし、
反応がイマイチだと、
落ち込んだり、言い訳がましいことを言いやすい。

いずれにしても人から見て気持ちのよい態度ではない。

それに、本当に落ち込んだり反省したり
しなければならない場合があったとしても、
それは、あとから時間をとり、じっくり
アンケートなどを読み込んで検証しないといけない問題だ。

「私の表現はどうだったの?」

それが気になるときほど、そこから、いったん
無理やりにでも離れ、関心を外に向けてみる。
自分のことは、とりあえず、いい、と。

具体的には、顔を上げ、かかわったスタッフ1人1人の
顔をよく見て、彼らが言いたい話したいことを、
頭を真っ白にして
最後まで、じっくり聞くようにする。

こうすると、不思議なもので、苦手意識がなくなり、
初対面の仕事先の人とも、おどろくほど、
コミュニケーションがうまくいくようになった。

先日も、そのようにして、
研修の講師として招かれた企業のスタッフの方々と
楽しくお話していると、
ふと、スタッフの一人が私に聞いた。

「先生、うちの社員はどうですか?」

私は、はっ、とした。
私が自分の表現がどうだったか気になるように、
スタッフの方々もまた、
自分の表現がどうだったか気になるのだと。

たとえば、
「研修の準備や段取りにそつはなかっただろうか?」
「全国をまわっているズーニーさんからみて、
 うちの社員のコミュニケーション力は
 どう見えるのだろう?」
「自分の企画した研修を、
 社員の人たちは喜んでくれただろうか?」
「ズーニーさんはこの仕事を引き受けて
 よかったと思っているだろうか?」と。

講演や研修を企画し、人を集め、
実行するスタッフにとって、
それは自分の考えをカタチにし、人前で表現する場なのだ。

私たちは表現に慣れていない、なんとなく恐い、
そうか、不安はみんな同じだ! 
と、いまさらながら目が覚めるような思いがした。

私が、もし、自分の出来、不出来にとらわれて
暗い顔をしていたら、スタッフの人たちは、
自分たちの準備や段取りがよくなかったのかと不安になる。
自分が暗い顔をしていて、いいことはひとつもない。

それから私は、仕事先で、できるだけ顔をあげて
スタッフの話をよく聞いた後、準備や、段取りや、
生徒さんの表現や、よかったとおもうところをできるだけ
言葉にして、スタッフの人に伝えるようにした。
するとますます、関係がよくなり、
苦手意識がなくなってくる。

「私の表現はどうだったの?」

あのライブの夜、
実は私は、複数のお客さんから、例の演者への
よい感想を聞いていた。

自分を表現するのがなんとなく恐い。
それはお客さんも同じで、よいと思っていても、
本人の前で、面と向かってほめることができない人も多い。

私も、講演などで、まわりがなにも言わないので
よくなかったのかと落胆して帰って、
あとからアンケートを見ると、
とてもいいことが書いてあって
びっくりすることがある。

あの演者も、目先の反応に一喜一憂することなく、
自信を失いさえしなければ、
醜くなることもなく
やがてお客さんも近づいてきて、
よい評価も自然に耳にはいったのではないだろうか。

自分を表現することに私たちはなれていない。
なんとなく恐いと思うもの同士の集まりだ。

だから表現者であること、
そのこと自体、自信を持っていいと私は思う。

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2007-07-11-WED
YAMADA
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