YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson332 創作の靱帯


正月、
トイレから出てくると、左目が見えない。

そんなはずはと、
気のせいにしたり、
目をこすったり、
頭をたたいたりしてみたが、
視界左半分だけ夕方のように暗い。

鏡を見たら、
右目は正面をみているのに、
左目だけわきにそれて焦点を結ばない。

どのくらいたったか、
10分以上なら救急車を呼ぶとおもうので、
5、6分のことだったかと思う。
視力は回復した。

「閃輝性暗転」

よくある症状で悪いものではないと
眼科の若い女医さんは言った。

「原因はストレス」

目にも血が通っているが、
ストレスで血管が収縮すると一時的に血が行かなくなる。

目の貧血と考えるととても腑に落ちた。
暗転した左目は、貧血で倒れるときの感じそのものだった。

「まじめな人がなりやすく、
 治すにはストレスを取り除くしかない」
偶然にも同じ持病だという女医さんは言った。

私は暮れのオーバーワークを想った。

自分の許容量を超えて仕事を受けてしまっていた。

昨年のことを思いだすと、
常に常に常に締め切りに追いたてられていた。

いまの仕事で私が大事にしているのは
「生む」ということだ。
講演をするにしても、
原稿を書くにしても、
ひとつの仕事にひとつ「生む」ということ。

それは、新奇なアイデアを生むとか、
素晴らしい作品を完成させる、
という感覚とはちょっとちがう。

説明し、わかってもらうのがむずかしいが、
要求された仕事の中で、考え、
自分の想いを掘り下げていったはてに、
ふと自分と読者が「通じ合う」ような瞬間がある。
それが自分の言う「生む」という感覚だ。

これがあれば、
自分の言っていることが稚拙でも
読者のなかで命を持つし、
逆に、これがないと、どんなに理路整然と、
わかりやすく具体的な技術を解説していっても虚しい。

だから、なんとか一つ仕事に一つ生もうとする。

しかし「生む」という瞬間は計算どおりに訪れない。
ものすごく時間をかけて
ねばってねばってだめなときもあれば、
苦でなく原稿の書き始めから一発でつながることもある。

ひと月に自分が生める適量とはどのくらいか?

完全にそれを越えて引き受けて
それでも生もうとし、生めなくて、苦しんでいた。

あえなく時間切れとなる。
きちんと「生んだ」うえで、
時間を守る、これが理想だけど、
生めないときはどうすればいいのか?

生めなくても時間を守るべきか、
時間を守りたいという気持ちを犠牲にしても
生むまで粘るべきか。

次の仕事がせまり、
どうにも浮上させられずに
出て行った言葉たちは虚しい。
自分とも、編集者さんとも、
読者ともつながれずあえいでいる。

生むまで粘ろうと、
頭を下げて時間をもらう。
それでも書けなくて催促の電話が来る。
ペコペコ頭を下げていると、
自分が犯罪者かなにかのような気持ちになってくる。

なんとか時間を確保し、
「生めた」と歓ぶのもつかのま、
すぐ次の締め切りが迫っている。

誕生日、クリスマス、忘年会、
そういう楽しいことに時間が取れないのは
もうなれっこで、それが寂しいとさえおもわなくなった。
書くための時間を確保したいのと、
ひとつ締め切りが済むと休んでいたかった。

そんな日々がつづいたはて、
忙中閑ありで、
せっかく大好きな友人と楽しめる、
数少ない機会を得たというのに、
いっこうに楽しめない自分がいた。

なんというかこう、
楽しいと感じる筋肉みたいなものがあって、
そこがプルプル、ワクワク
ふるえることで楽しめるとしたら、
私のその筋肉は疲れきって、のびきってしまっている。

これはいかんな、
立て直さなくては、と正月早々
やり方を考えていた矢先の、左目の暗転、
体が送ってくれたサインだった。

「創作の靱帯」というものがあるとすれば、
切れる寸前だったかもしれない。

スポーツというのはつくづく体に悪いものだと思う。
学生時代、サッカー部のマネージャーをしていたときに、
部員の体はボロボロだった。
擦り傷、打ち身、捻挫はあたりまえ、怪我と呼ばない。

怪我をしたと言えば、靱帯か、骨折か。

ふだんの生活ではありえないような体の使い方を
スポーツではする。
からだのある部分にばかりものすごい圧力がかかったり、
同じ部分ばかり何度も何度も酷使したり。

同様に、アイデアを出す仕事とか、
書く仕事をしている人も、
創作の筋肉のある部分にばかり、
ものすごい圧力がかかっていたり、
酷使しつづけているかもしれない。

「創作の靱帯」というものがあるとすれば、
どうすれば休めるのだろう?

病気のことをだれかに聞いてもらいたくて、
ふだん不義理をしまくっている姉に、
ひさびさに電話をしていた。

お姉ちゃんは優しい。
いつ、どんな状況で、なにをなげかけても、
私はお姉ちゃんから、嫌な態度をとられたりとか、
トゲのある言葉を聞いた記憶がいちどもない。

お姉ちゃんはいつも、
親身になって聞いてくれた後、
押し付けがましいことなど一つもいわず、
いくつか自分の見聞きしたエピソードの中から、
問題と近すぎず、遠すぎず、
必ず「ああそうか」と気づきを生むような
話を2、3してくれる。

寒空の下で1時間以上も立ち話、
一見さっさと帰って寝た方が体によさそうなのに、
電話を終え、ものすごく、体が軽くなっている自分がいた。

自分は、なぜ、あんなところで電話をしてたんだろう?

お姉ちゃんは心が休まる人だと
あらためて思った。

そうして、自分は疲れたとき休んでいたが、
心安らぐ時間がなかったのだと改めて思った。

どういうとき自分の心が安らぐかと思い返してみると、
以外なことに、すべて一人ではない。
そこにだれかいたことに気づく。

自分は思い違いをしていた。
疲れると独りになりたい。
でも独りでは休めても、心は安らげない。

暮れの、その忙しいときに
引き受けてしまった書下ろしがあった。
地道な媒体なのだけど、
その編集者さんの依頼の文章に、
なにか別格の志を感じ取った。
この仕事はどうしても受けなければと思った。

しかし、せっぱつまったスケジュールの中で、
どうして受けてしまったのかと、
何度も後悔した。

締切日が来て、
何を書こうか、つかれた頭で迷い、
もう一度編集者さんの依頼文を読み返したときに、
自分のなかから、これだと突き上げてくるものがあり、
それに突き動かされて、一気に原稿を書き上げた。

不調感のある日々で、
久々に、体のすみずみまで得心がいく原稿で
しばらく、その満足感が去らなかった。

しばらくして、編集者さんから帰ってきた手紙が、
ひと言ひと言、しみわたる、
原稿を書くまでの苦悩も、
自分の言葉にできない想いも、
すべて見ていたんじゃないかと思えるような手紙で、
原稿を書いた疲れが癒えるどころか、
体から活力がわいてくるようだった。

遠い昔、自分が編集者の仕事をしていたときの
原点をよみがえらせてくれるような出会いだった。

結局、暮れから年明けの
追いつめられた状況の中で、
その原稿を書いたことが最後まで自分を支え続けた。

自信がぺしゃんこになりそうな状況でも、
心から満足のいくものが書け、
編集者さんと通じ合えたという体験を思い出すと、
それ以上でも以下でもなく、ぺしゃんこにはならず、
また、そのとき書いた内容が、
次の仕事の突破口になっていた。

「心やすらぐ」時間を、
これからは意識して持とうと思う。

それは自分にとって、
心が通じ合う人を求めるということと同義だ。

すべてわかりあうようなことは無理でも、
自分が大切にしている仕事とか、
創作の苦しみとか、
心のどこかでしっかりと通じ合える人はいる
いるんだということを、
心身やや弱った状況においこまれたからこそ、
気づくことができた。

心のどこかでしっかり通じ合えて
心が安らぐような友人、
これさえかなったら、
あとは年齢も、職業も、性別も、容姿も
まったく関係ないんだと改めて気づいたら
目が覚めるようだった。

いままで、外見にとらわれて遠回りをした。
これからは心の目で探そうと思う。

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2007-01-17-WED
YAMADA
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