YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson324 人を動かすということ

社会に出る、ということは、
「舟出」をするようなものだと思う。

学校は、柵でかこわれた牧場のようなもので、
社会の荒海から切り離され、
世代も、行動半径も、似たものどうしが
とくに伝える工夫をしなくても、そこそこわかりあえて、
勉強によって自分を太らせ、太りあっていく。

でも、いったん社会の荒海に出ると、
いやでも方向をもつ。

会社にはいる、というのは、
船にのるようなもので、
さまざまな会社が、
さまざまなゴールにむけて航海している。

船にのったとたん、自分も方向性をもつし、
そのことにより、違う方向の船に乗った友人とは
行き先が分かれる。

ゴールも行き方もちがう船どうしと、
同じ船の中でさえ、ちがう人どうしが
ひしめき合っているなかでは、

自分の思う方向に、ひたすら進み続けていくだけでも、
ものすごい抵抗にあうわけだ。

そんな社会に「舟出」するために、
コミュニケーション術として、まず何が必要か?

学校までのコミュニケーションと、社会にでてからと
おおきく異なる点は、
「結果を出す」ことが求められる点だ。

「目指す結果」
つまり、何を言うかよりも、何のために言うか?

学生時代まで、親やきょうだい、
ともだち、恋人という親密圏で
暮らしている人が多い。
それは、いっしょにいること、イコール目的だから、
友だちをどうこうして成果をあげようとか、
恋人を説得してなにかの利益を出そうとか、
ほとんど、考えたことさえないはずだ。

それが、社会人になると、
お客さんを動かして、
物を買ってもらって、利益をあげる。
患者さんを説得して、
治療に同意してもらって、回復させる。
というふうに、

自分と人との向き合いに、
いきなり、
「結果」という方向性がどーん!とかざされる。

だが、これまで牧場にいて、
自分ひとり方向をもって進むのさえもおぼつかないのに、
人をまきこんで目指す結果をだすよう命令されて、
これには、新人だけでなくとまどいは大きい。

多くの人は、いきなり結果を出そうとして悩む。

お客さんに「買ってください」といっても、
買ってくれない。
生徒に「静かにしてください」といっても、
静かにしてくれない。

そこで、いきなり「目指す結果」を相手にぶつけても、
結果は出せるものではなく、
その前に「人を動かす」というステップが
不可欠なのだと気づく。

そこで、こんどは、「人を動かそう」とする。
これも、なかなか、うまくいかない。

「お客さん、これを買わないなんて時代に後れてますよ」
「授業をしずかに聞ける人間になろう」

結果を出そうとして、はやく相手を動かそうと焦ると、
どうも、相手の非を指摘したり、相手に変われ、と
おしつけたりしやすい。

だいたい、「人を動かそう」ということ自体、
すでに自分のコミュニケーションは、
「上から目線」なのだ。

「何を言うかより、どんな目線で言うか?」

多くの人は、他人に
「上から目線」でものを言われることを好まない。

では、どうすればいいのだろうか?

私自身が、ここ1年くらいのコミュニケーションで、
いちばん動かされた経験はと考えると、

ある友人のことが浮かぶ。

わたしは、その人とであったころ、
もともとそう広くない心が、
状況の中でさらに追い詰められ、
心も視野も非常に狭くなっていた。

そのため、私はその人に対して、
失礼な、非常に傷つけることをしてしまったのだ。

私が相手だったら、
二度と私には近寄らないだろうな、と思う。

ところがしばらくして、その人が、
非常に楽しい会を企画して、私を呼んでくれた。
その人は、準備から、運営から、労力から、気遣いから、
非常に骨が折れたとおもうのだが、
終始淡々と、みんなにやさしく接してくれた。

私が、困るシーンでは、さりげなく、
しかし、見落とすことなく、必ずたすけてくれた。
それだけでなく、
私が初対面の人にとけこめるような機会も
さらりと、つくってくれ、終始、淡々と親切にしてくれ、
私は一瞬の寂しい思いも、困ることもせず、
ほんとうに印象にのこる、楽しい時間をすごした。

私は、くりかえし、くりかえし、
その人を傷つけたときのことを思い、
その場に手をついてあやまりたいような、
穴があったら入りたいような、
ものすごい後悔に襲われた。

自分は、人に対して
色々申し訳ないことをしてきたが、
これほど心の底から
申し訳ないという気持ちになったことは
なかなかない。

「あやまれ」と強制されると、
人は、あやまりたくなくなる。
それでも、強制したり、脅したりすると、
相手にカタチとして、あやまらせることはできる。
だけど、相手の心の中に、「ほんとうに悪かった……」
という気持ちをつくることは、できそうでいて、
実際なかなかできないものだ。

しかしその人は、私を動かした。

人を動かす、というとき、動かすのは言動ではなく、
心なんだな、と思う。

ほんとうに悪かった
という激しい痛みが、私の心に生まれ、
とくに変わろうなどと気負わなかったにもかかわらず、
それから人との接し方まで、変わってきていた。

その人は、どうやって私の心を動かしたのだろうか?

淡々と「メディア力」の貯金をした。
そう私は思った。

メディア力とは、「何を言うかより、だれが言うか?」
自分の発言がとどく、影響力や信頼性だ。

まったく同じ
「宇宙人発見」の5文字のニュースを流しても、
東スポの1面が言うのと、
NHKの7時のニュースが言うのとでは、
人に与える印象がまったく違う。
同じ5文字を言っているのに、
場合によっては、信じるか信じないかさえ違ってくる。

人間も同じ、何を言うかより、だれが言うか。

相手から疑われているときは、
何を言ってもどう言ってもだめ。
それは、
自分というメディアの信頼性が落ちているからだ。
その状態は、壊れたスピーカーで叫んでいるように、
まったく相手に届かない。
言葉をとどけるには、まず、スピーカーを直す、
つまり、自分という人間への信頼回復が必要だ。
先にメディア力を直し、それから言葉がとどく。

社会という海原に漕ぎ出すにあたって、
私が、いちばん大事だと思うのが、
この「メディア力」だ。

自分は、人からどう思われているだろうか?

信頼されているか? 
好意的にみられているか?
それとも、いぶかしがられているか?

社会に出ると、まったく違う方向に進んでいる船の人や、
初対面の人と、いきなり向き合って、言葉を交わし、
なんらかの結果にむかって進んでいかなければいけない。

そのときに、見落としがちで、でも一番大切なのは、
相手から見て、自分という人間の
メディア力を高めることだと私は思う。

社会に出て結果を出そうとするとき、
私も陥りがちな回路は、
急いで結果を出そうとし、焦る。
そのために急いで相手を動かそうとしている。
そのために理詰めで相手を説得する。
無意識に上から目線になっている。

相手の非を指摘していたり、
相手に変われとおしつけたりしている。
相手はそういう私をいぶかしがる。
相手から見た私のメディア力が下がるので、
なかなか伝わらない。
さらに、私は説得しようと焦り、
さらに上から目線になり、さらに相手を変えようとする。
さらに、私のメディア力は下がり、
なにをいってもどういっても言葉がとどかない。
悪循環……。

ほんとうの意味で私を動かした人は、
私に、「あやまれ」という結果を強いることも、
「反省しろ」と説得することも、
ましてや、私の非を指摘したり、
私を変えようとすることなども
いっさいしなかった。

しかし、無意識に貯金するように、
私にたいして、淡々とよい行いを積み上げることで、
結果的に、その人の言動が私に及ぼす影響力、
つまりメディア力が、どんどん拡大していったのだ。
結果、私の心を動かし、行動を動かした。

結果を出すとき、
とおまわりなようで、
実はいちばん通じるコミュニケーションは、
こんな回路ではないか、と私は思う。

まず、何かちょっとしたことでもいい、
相手と通じ合い、自分のメディア力を得て、
最低限、相手に
聞いてもらいたいことを聞いてもらえる土壌にたつ。

自分の想いを、
上から見下ろすのでもなく、下からでもなく
相手と目線を共有しながら伝える。

ちいさな共感、納得感、発見などを通して
結果的に、相手の心が少し動く。

そのことにより、相手の言動が動く。

状況が動き、目指す結果を出す。


忙しい日々のなかで、これがきれいごとにしか
聞こえない人もいると思う。

しかし、相手に対して、
なんの「メディア力」も持てないまま、
壊れたスピーカーのような状態で、言葉を繰り出し続ける
虚しさと、どっちが現実的だろう。

私自身、傷つけてしまって
関係修復が難しい人もいる。
相手から見た、自分のメディア力は最低だと思う。
でも、その人に対して、
許してもらおうとするのでもなく、
わかってもらおうとするのでもなく、

ひたすら、その人に対するよい行いを続けていくことで、
メディア力の見えない貯金を積んでいこうと思う。

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(河出書房新社)



『理解という名の愛が欲しいーおとなの小論文教室。II』
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『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-11-08-WED
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