YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson317 モードが入る

私がいま、ニガテとするのは、
コミュニケーションのスタンスを、
あらかじめ決めて、固めてくる人だ。

「この人、モードが入ってるな」と思う。

ふだんリビングでくつろいでいて、
親しい人と話している自然体の自分と、
仕事のコミュニケーションをしている自分とが、
多少きちんとするくらいで
あんまり変わらない人もいる。

ところが、
人によっては、からだから、表情から、言葉から、
ふだんの自分とはガラッと「かまえ」をかえ、
ガッチガチに固めて、別人のようになって、
仕事をしている人もいる。

いわゆる、「お仕事モード」だ。

からだや表情がこわばっているとか、
紋切り型のしゃべりかたをするとかは、
多少しかたないとおもえるのだけど、

あらかじめ
コミュニケーションのスタンスを決めてかかる。

これがどうもいけない。たとえば、
「おっしゃるとおりモード」
「持ち上げモード」
「聞き上手モード」

「おっしゃるとおりモード」に設定してきている人は、
私のいうことを決して否定しない。
私がたとえ、まちがったことを言っても指摘しない。
YES,NOをはっきり言わない。

コミュニケーションで共感は大事なんだろうけど、
共感しよう、共感しよう、
とまちかまえているふしがある。
あいづちのタイミングがはやく、
なにを言っても、共感、いっぺんとう。

そこで話し合って新しく何か生み出そうではなく、
あらかじめ、
私の言うとおりに事を運ぶと決め込んでくる。

だから、すべて
「おっしゃるとおり」「おっしゃるとおり」にと、
すいすい、私の意見がとおるんだけど、
ほんとに、それでいいの?
交渉の後、非常に不安になる。

「持ち上げモード」に設定してきている人は、
ほめることが目的になっているふしがある。

すきあらば、
ほめようほめよう、として話を聞いている。
すきをみせると、ほめられてしまう。

だれでもほめられるとうれしい。
私も確かに、最初はうれしい。だけど、
なんだか、しだいに、
ほめられてもうれしくなくなっている。

しまいには、ほめるすきを与えまい、与えまい、
として、こちらのほうがかまえてしまう。

「聞き上手モード」に設定してきている人は、
聞き役に徹すると、
あらかじめ決めてきているふしがある。

自ら話題をふらない。
質問ばかりする。

通常、聞き上手な人は、好感をもたれる。
だれでも、自分の言うことを、
じっくり聞いてくれると
うれしい、ということになっている。
だから、聞き役に徹するという設定は、
まちがってはいないのかもしれない。

だけど、私のように、原稿を書いたり、講演をしたり、
取材を受けたり、
常に、常に、常に、
アウトプットを求められている人間は、
聞かれるばかりの
コミュニケーションに傾くと非常に苦痛だ。
原稿を書いているとき、取材を受けているときと、
頭の緊張感が変わらない。

たまに、向こうから
どんどん話題をふってくる仕事相手に会うと
脳に、新鮮な風が吹くような気がする。

最近では、
「おっしゃるとおり」「持ち上げ」「聞き上手」
3つのモードの複合設定で、臨んでいる人も見かける。

モードがはいっているな、ということは、
短い会話で見え透けてしまうものだ。

たぶん、モードの中身より、
「モード設定」をして臨むこと自体が問題なんだと思う。

会話には「ゆらぎ」がある。
どこいくかわからないから面白い。
モードが入ると揺らぎが止まる。

だから最初から最後まで、一本調子。
次の展開が読めてしまう。

その人に会う前の自分と、会ったあとの自分と、
考えが1ミリも、増えも減りもしていない。

それでいて、ぐったりつかれる。

「おっしゃるとおりモード」も、
「持ち上げモード」も、「聞き上手モード」も、
こちらの出方しだい、というところがある。
こちらの出方に先回りして動けない設定というか。
先回りして道をつけてくれないというか。
常に後追い、というか。

それで、こちらは、
2人分道をつけ、2人分考えているような
疲労感があるのではないか、と思う。

そんなことを言う私が、「はっ」と気がつくと、
モードが入っていたことがある。つい、最近だ。

自分では意識していなかったんだけど、
「ここは、おとなしく聞き役にまわっておけ」
と知らないうちに、自分のかまえが固まっていて。

遠慮がちに
「おっしゃるとおり」、
「さすが先生!」を繰り返す、
いっぺんとうのコミュニケーションをする自分がいた。

どうしてか、と考えて、
どうも、自分は相手にびびっている、ようだった。

相手はエライ方で。
それは、
人間的にも、キャリアの面でも、人生経験でも。

エライ方の前で、そそうのないようにと、
知らずに腰が引けてしまって、身構えて、
コミュニケーションのスタンスを
固めてしまっていたのだ。

そういえば、

編集者をしていた新人のころ、
自分は、「へぇー、へぇー、はぁー、はぁー」と
先生の話を聞いているばかりだった。

自分から話題をふらないでいると、
聞いてばかりいるうちに、話は、
どんどん先生の専門領域にはいっていって、
しまいには相槌さえも、聞き取ることも、難しくなった。

なんとか、わかる部分に
「おっしゃるとうり」と相槌をうち、
「さすが先生」と、敬意をこめたヨイショをして帰る。
それが精一杯だった。

いま、エライ方の前で固まっている、自分は、
このままでは、あのころとちっとも、進歩がない。
ここから一歩踏み出さねば。

会話には「ゆらぎ」がある。

あっていいんだ、と自分に言い聞かせた。
気まずい沈黙が流れてもOK!
返答につまって押し黙ることがあってもOK!
それがあるのが自然だし、
そのほうが、予定調和の一本調子より、
次、どうなるか、スリリングで、よっぽど面白い。

それからお客さんにまわらず、できるだけ
自ら話題をふっていこうと意識した。
相手が乗ってくれば、それだけ自分の土俵で話せる
スペースができる。

でも、何を話せば?

あれを話そうか、これを話そうかでなく、
いま、ここで、感じ、考えたことを話そうと思った。
それにはまず、「感じる」ことがいちばんだと思った。

私は会話のゆらぎの中に、
自分の感覚を解き放つようにした。

相手の話を、感じて、聞く。
自分の反応に耳を澄ます。
何か感じたら、それを恐れず言葉にしてみる。

感じて、考えて、話す。
感じて、考えて、話す。

これをあきらめず、最後まで続けたら、
たどたどしいけど、そらぞらしくはない、
なんとか対話になっていった。

モードが入るときは、何かを守ろうとしている。
しかし、ものは、開いた手でしかつかめない。
両手に握り締めているものを潔く捨てなければ、
相手とこれから生まれる新しい関係もつかめない。

後ろにまわるな、自ら会話をしかけていけ。

エライ人の前で、びびりモードにはいるとき、
私は自分にそう言い聞かせている。

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2006-09-20-WED
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