YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson312  自分で思う頭のよさをつくる

学歴差別はあってはならないことになっている。
その分、問題は地下にもぐり
現実には、学校のブランドだけで
採用の可否を決めるような
ほんとにまちがった判断が行われてしまっている。

一方で、
「学歴と人の価値は関係ない」と言い切られては、
せっかく人一倍努力して学歴を得た人も、
なんとなく胸をはれない。

そんなこんなで、もやもやしているうちに、
私たちは、自分がすべき大事な選択から
目をそらされてしまっているように思う。

「自分は、勉強をするのか、しないのか?」

勉強をする、と選択するにしても、
勉強をしない、と選択をするにしても、結局、
「何を得て、何は捨てなきゃならないのか?」
さらに、

「自分が思う頭のよさに、
 どうやって近づいていくのか?」

私たちは、たとえば、
日常で適切な判断が、自分でできるように、
だまされないように、
殺されないように、
自分を生かすために、
自分に必要な、自分で思う頭のよさに、
自分で近づいていく自由がある。

たとえば、
学校で、自分にとっては無意味にしか思えない
暗記をしいられてしまったとき、どう選択するか?

わかりやすくするために「掛け算の九九」を例にすると、
この暗記勉強をすることで、
または、しないことで、
何を得て、何は捨てなくてはいけないのか?

「九九」を捨てれば、その分、
二度とこない子ども時間を、
好きなことに注げるかもしれない。
その代償として、
計算能力が他の人と比べて劣る。
そのあとの算数や数学の勉強に、
ひいては化学・物理などの
理系の勉強に支障がでるかもしれない。
理系の勉強に支障がでれば、
医者にはなれないかもしれない、
科学者にはなれないかもしれない。
そこまで覚悟して「捨てる」というのが、
本当に捨てるということだ。

国語で、指示語がどうの、テニヲハがどうの、
ちまちまとした説明問題を出され、
「自分で好きに小説を読むのは好き、だけど、
 国語の勉強はキライ!」
と、はやばやと国語をあきらめる人もいる。

よく、入試問題に自分の小説が使われた作家が、
自分で問題を解いてみたが、点がとれなかった、
だから学校の国語のお勉強はだめだ、
というのが語り草にされる。

たしかに、小論文などで、
自分の意見を書くために、人の文章を読むとき、
社会に出て、人の話を聞くとき、
必要なのは「要約力」だ。
国語のような、ちまちました説明問題は必要ない。

学校なんかいかなくても、自分で本を一冊買ってきて
一章ごとに、読んで要約、読んで要約、を繰り返せば、
問題はない気がする。

しかし、国語でやっているのは、「一般的な読み」。
ここが肝心だと私は思う。

同じ文章を、自分が読んでも、
Aさんが読んでも、Bさんが読んでも、
先生が読んでも、生徒が読んでも、
おんなじように読める、そういう読解力をつけるのが
まずは学校の国語の勉強でできることだ。

「なんだ、つまらない。自分は小説を読むとき、
 自分だけのオリジナルの読みがしたい」
というかもしれない。
でも、それは、ひとつ先の段階なのだと私は思う。

たとえば、筆者が、「勝負を降りた」と書かないで、
「勝負は降りた」と書いた場合、
何か他に降りなかったものがあるはずだ。
「を」と「は」は、それくらい違う。
この約束事をすっとばして、
日本語は一般的には読めない。
この約束事は、たとえ作者でも、
簡単に曲げることはできない。

できるだけ自分のバイアスをかけないで、
書かれていることを、書かれてあるとおりに、
できるだけ一般的に読む。

これができてはじめて、その先にある独創的な読みも
できるようになるのだと、私は思う。

一般的に読む力をつけるためには、
「を」と「は」の違いだけではない、
ちまちました、とんでもなく、
めんどくさい約束事を憶えて、
練習問題にあたって、身につけなければならない。

これが、面倒で、約束事をすっとばして
いきなり読みたいように読んでも、
それは、本来筆者が言わんとするところではない、
ただ反応したい部分に反応する、
ということにもなりかねない。

読者の「かなめさん」は、
理学部数学科から大学院へと進んだ。
院に進んで、本格的に学問するようになると、
それまで勉強しなかったツケが一気におしよせて、
ほんとに「命からがら」のような思いをしたそうだ。
「かなめさん」は数学の力について、こう言う。

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<暗記がものを言うとき>

数学を勉強していて重要だと思ったのは「暗記」です。
定義の「暗記」、定理の証明の「暗記」、
よく使う考え方の「暗記」など
様々な場面で「暗記」が必要でした。

そして、私の感覚では、
「考えること」とは「暗記」したものを
「組み合わせる」ことです。
基本的に、数学では定理の証明を考えることが
メインの作業(?)となります。

定理の証明で使う手法は、
そのほとんどが他の証明のどれかに似通っていたり、
考え方を少しアレンジしただけのものでした。

1(材料)から2や3を生成することは
四則演算(道具)があれば容易です。
しかし、0からは1は生成できません。
0という材料、
つまり材料がなければ何もできないのです。

すごく単純なことでしたが、非常に重要なことであると、
つくづく感じていました。

自分の中のアウトプットできるものを「暗記」しておく。
インプットして、いつでも使えるようにしておくのです。

数学では「考える」ということは、
「暗記」したものがなければ
何もはじまらないと思いました。

定理の証明を「理解」するときは、
何が組み合わさっているんだろう?
と考えるとうまくいったときが多かったです。

ズーニーさんは、理解力を養うことについて、
「部屋」という単語をつかっていました。
Lesson308 勉強できる女は嫌われる、か?」で、
自分の中の理解の「部屋」を増やす、と。

「部屋」をつくる、
といういうことが数学の「暗記」する、
ということではないかとピンときました。

「暗記」することで新たな視点をひとつ加える。
計算上、いままでの視点にもうひとつ視点を加えて
組み合わせを考えると
その組み合わせの数は膨大になります。

(読者 かなめさんからのメール)

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小論文で言う「考える」とは、「自分に問う」作業だ。

あるテーマについて、
答えではなく有効な「問い」を見つけて、
自分に問う。自分で答える。
わからないことは見たり、聞いたり、調べたりして、
出てきた答えに、さらに有効な「問い」をなげかける。

自問、自答、自問、自答……
これを粘りづよく、自分で腑に落ちる答えを発見するまで
続けるというのが「考える」ということだ。

ここでは、断片断片の暗記知識は必要ない。
たとえば、歴史にしても、
「何年に何があった」ということは必要なくて、
「戦後、日本の世界の中の役割はどう変わったか、
そのことで、日本人の意識はどう変わったか」
というような、
「流れ・関係・意味」をとらえる筋肉が重要になる。

そして何より、必要なのは、
「問題 → その原因
 →そこから導き出される解決策……」
というような、論理的思考だ。

「インプット」でなく、「アウトプット」。

この「自ら考える力」というものは、
「暗記と応用型」の勉強とはずいぶんちがう。
そのせいもあって、私は、
暗記学力というものを軽視していた時期があった。
しかし、ここへきて、それはまちがっていたと思う。

自分という井戸の中に、
どのようなコンテンツをどれだけ沈めておくか?

いくら、「問い」という道具をつかって、
自分という井戸を掘っても、
その井戸に何も沈んでいなければ、
その人の文章は、

狭い経験、浅い知識を、論理の道具で
ただ、ほじくりまわしているだけ、ということになる。

「関係づけ」をするにも、
「流れ」や「意味」を語るにしても、
やはり、元手となる知識や経験が必要だ。

自分という井戸の中に、
古今東西、動き回れるだけのコンテンツがあれば、
やっぱり、「問い」ひとつ発するにも、
過去から、未来から、世界的視野からと、自由自在だ。

体系的なまとまりのある知識をひとつ、
自分のものにするためには、
たとえば、国語の約束事や、算数の九九のような、
最初は、断片の暗記が、基礎になっていると思う。

勉強は、ひとつひとつが積み上がりながら、
つながりあっていくしくみになっている。
ひとつ段階をすっとばして、先にいこうとしても、
なかなかうまくはつながらない。

「自分が思う頭のよさに、
 どうやって近づいていくのか?」

と、私自身、自分に問うてみるときに、
自分では意識していなかったけれど、
小学校からはじまる、「暗記」学習が、
スタートラインとして、重要だと思う。

十代くらいまでの、暗記が苦ではないときに、
暗記と応用によって、何を、どれだけ、暗記しておくか?

一度もそんな選択は迫られなかったけど、
選ぶ気なくして選んでいたことが、
実は、その後の学習を大きく左右していたことに、
いまさらのように気づく。

そして、大学では、
高校まで、断片断片の暗記だった事項を、
関係づけたり、流れや意味を考えたりして、
体系的な知識として取り込む、というのが理想だ。

たとえば、高校まで断片断片の暗記勉強だった歴史を、
大学では、「流れ」としてとらえる。
日本は戦前から、戦後、そして現在とどう変わったか。
さらに、日本とアメリカ、日本と中国、世界の中の日本
の関係はどう変わったか、
そのことは日本人にどう影響したか、
というように、
ものごとを「関係づけ」て理解できるようにする。

流れや意味、まとまりをもった、
体系的な知識として、自分の中に取り込む。
あくまで、もういちどやり直せるとしたら、だけど、

また、大学の4年間に、何かひとつ、
興味・関心あるテーマ=マイ・テーマを持ち、
問いを立て、それについて調べたり、考えたりして
結論を導き出す。

問いの立て方、立証・論証の仕方、論理的思考法、
そして、きっちりした論文の書き方は、
「学問のプロ」である
大学の教授から教わって卒業したい。

以上の勉強を、もし、やり直せるとしても、
自己表現、コミュニケーション力、アウトプットの能力
という点は、非常に欠けている、と思う。
では、その力を、どこで、どうやってつけるか?

「自分が思う頭のよさに、
 どうやって近づいていくのか?」

暗記で養える力、
体系的に取り込む知識、
論理的思考、
表現力、そしてその他、いつ、何を、どれだけ?

あなたは、
どんなカリキュラムで自己教育していきますか?

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『17歳は2回くる―おとなの小論文教室。III』
(河出書房新社)



『理解という名の愛が欲しいーおとなの小論文教室。II』
河出書房新社




『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2006-08-16-WED

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