YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson235 意志ある選択が人生をつくる

あさ、メールをひらいたら、

読者のYuさんからのメールにこうあった。

>>納得のいく就職先に決まりました。
そこには意志のある選択があったから。
山田ズーニーさんの小論文に何度も助けられました。
         (読者 Yuさんのメールから)


じーんと打たれて、その場を動けなかった。

私は、こういう言葉を聞くために、
ずっと仕事をしてきているんだと思う。

「考える」ことがその人の意志になる。

選んだ先が、結果的に
すごくいいところだったとか、よくなかったとか、
自分の選択が、あとあと、まちがっていたとか、
いなかったとか、そんなことはどうでもいい。

意志のある選択こそが、自分の人生を創っていくんだ。

確かにそう思った。それについて、
このコラムの編集者、木村さんがこう言った。

>>「その先がどうこうではなく、
意志のある選択が人生を創る」
きれいごとではなく、ほんとにそうだなと感じました。

世界はいつもそこにあり、

観点の選択や、
ピントのあわせかたひとつの違いで
一歩ずつのあゆみが決まるのでしょうけど、

「知らないうちに
 ずいぶんとこの道に入りこんでいたんだな」

と、よくもわるくも思えることが、
とてもたくさんあると、実感しているからです。
             (木村俊介さんからのメール)


私の姪が、第一志望の大学に合格した。

決して、平坦な道のりではなかった。
姪は、最初のチャンスで、この大学に落ちた。

そのとき、落ちたことと、
私に「ありがとう」という言葉が、
消えてなくなりそうな字で、ようやっと、
携帯メールに入っていた。

姪は、中学3年のとき
児童相談所を訪問したのをきっかけに、
社会福祉士をめざすようになった。

それから中高ずっと、老人ホームの訪問を続け、
地域の勉強会に参加した。

夢がはっきりしていたことと、
自分のいる地域の福祉を大切に思った姪は、
ほかの大学の可能性を考えていなかった。

だから、たかが受験ではあるのだが、
わずか18歳の小さな人生のすべてをかけた挑戦だった。

そして、玉砕した。

たかが受験に落ちることを
私は少しも悪いことだと思っていない。
でも、姪の18歳の小さな身体に、
どんな痛さだろうと思うと、
かけることばがなかった。

かわりに、この子のお兄ちゃんにあたる甥に電話をした。

「見てあげて」と。

私は、このコラムの「Lesson225 テーマと世界観」に
姪のことを書いていた。

老人ホームの訪問を続けていた姪は、
そこで、必ずといっていいほど聞く言葉に出会う。
それは、お年寄りの、

「家へ帰りたい。」

という言葉だった。
家へ帰りたいと
飛び出してしまうおばあさんまでいるそうだ。

老人ホームのような、
いわゆる「ハコもの」を充実させて、
そこに、お年寄りを次々に送り込んで、
それが自分の目指す福祉だろうか?

姪は疑問を持ち始める。そして、
人が老いていくときには、
住み慣れた地域の風景と、
見慣れた人の顔が絶対に必要だ、と確信する。

だから、人が、住み慣れた家で、
おなじみの人の顔につつまれて人生をまっとうできるよう、
小規模の地域にこだわった福祉を実現したい。

姪は、自分の意志を自己推薦書に苦心して書きあげた。

その意志を「お兄ちゃん、見てあげて」というつもりで、
甥に、その私のコラムを読んでくれるよう頼んだ。

合否という「結果」ではなく、
彼女の「意志」を見てあげて、と。

お兄ちゃんは、なにも言わず、私の託した
想いのバトンを受け取ってくれた。

そのあとお兄ちゃんが、彼女にどう説明したのか、
わからないが、一緒に暮らす家族にしかできない
絶妙のタイミングと方法で、そのバトンを姪に
渡してくれたにちがいない。

暮れに姪から来たメールには、こうあった。
(文中に登場する「みいちゃん」とは、
 おばである私のこと。)

>>受験の時はあんなにお世話になったのに、
その後の報告がこんなに遅くなってごめんなさい。

1番の報告は、受験がダメだったということです。
ほんとに受験ってキビしいな〜とか、
自分の番号がないってこういう気持ちなんじゃ〜
って、おもいました!

みいちゃんへの送れなかったメールにも、
そんなふうに受験の事ばかり書いたような気がします。

でも、受験で落ち込んどったウチは
何がしたかったんだっけ?
ただ大学に受かりたかったんだっけ?

「受験も就職も手段にすぎないのでは?」っていう、
あのホームページにあった言葉を、
もしかしたらウチはずっと忘れれんのんじゃないかな?
って思いました。

前のウチだったら受験に失敗したら、
また出直す事が難しかったと思うけど、
そこですごく動かされたのは、

あの自己推薦書だったと思います。

あれは、やっぱりウチにとって
かなり重く意味のあるものでした。
改めて、自分の思いを書くってすげ〜って思って。
              (姪のメールから)


そして、年は明け、おととい、2回目のチャンスで、
姪は、みごと第一志望の大学に合格した!
携帯に跳び込んできたメールに、こんな言葉があった。

>>(「受験は手段にすぎない」と思うと)
大学はドコでもいいやっとまではいかないヶド
大学!大学!って、思いすぎる事ないなぁって、
すごくラクに勉強できて
受験勉強、そんなにつらくなかったん。
大学に入って
またこっから色んな事勉強しよーと思ってます。
                 (姪のメールから)


「世界はいつもそこにあり……」

受験も、就職も、人生の選択も、
ある日突然、ふってわいてくるのではない。
すでにそこにあった。自分が気づいていないだけで。

自分が、日々、一瞬一瞬、してきた、
意志とはいえないほどのささやかな選択の積み重ね、
それこそ「ピントのあわせかたひとつの違い」の集積が、
自分を導いていって、そして、
自分の道ができ、尊厳ができ、
私たちは、自分で
「選択」せざるをえないところまで来るのだ。

だから、何かを
「選ばなきゃならなくなっている」こと自体、
すでに、その人の「意志」と言えないだろうか。

自分を「選択」まで導いてきた意志の集積に比べれば、
「結果」は小さいことだと私は思う。

だから、いざ「選択する」という段になって、
あっちが有利だから、こっちは恐いからと、
それまで自分を導いてきた意志をすりかえるというのは、
おかしな話だし。

「結果」に負けて、「意志」がつぶされるというのは、
順番が逆のように思う。姪は順番を間違えなかった。
だから結果に関係なく、すでに「受験に勝って」いた。

自分は日々、もう選んでいる。選んだから、ここまで来た。

だから、有利でもなく、不利でもなく、
意志に忠実な選択こそが、
自分の人生を創っていくんだと私は思う。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-02-16-WED
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