糸井 |
日本に3ヶ月に一度帰ってくるっていうのは、
ヨーロッパでの活動のもとになる
プロデュース的な基盤を作る仕事を
しに来るわけですか? |
加藤 |
いや、実際、まだそこまでできないですし、
近くにブレーンもいませんので、
今までは、後援会を発足させていだたいて、
たとえば、今いる馬のオーナーになっていただいてるとか。 |
糸井 |
あ、そうかそうか。
つまり、「俺の馬を加藤に預けてる」というかたちで、
少しでも維持費が稼げるわけですね?
・・・・他にそんな競技を思いつかないなあ。 |
加藤 |
ほんとですよね。 |
糸井 |
たとえば、プールを使う人だったら、
プールを自分で持ってなきゃなんない
っていったら大変だけど、プールは「ある」からねぇ。
カーリングだって、自分のもの持ってなくったって、
「ある」もんね。
馬は、存在すること自体にお金かかる。 |
加藤 |
ヨーロッパに行って10年近くになるんですが、
最初はナショナルのレベルで、やっていたんですが、
途中でインターナショナルにいけるようになった。
その理由が、スポンサーがいたからなんです。
その方のおかげてシドニーを目指せたんですよ。
そこから、世界が変わりました。
その前までは、国際試合なんて、
もう雲の上の話で。 |
糸井 |
出るまでの準備ができないで
あきらめてたっていうことなんですか。 |
加藤 |
あきらめてはいないんですけど、
どうしたらいいのか模索していました。
でも、出れないものは出れないから、
たぶん無理だろうなと思ってたら、
そういうかたとの出会いがあったんです。
スイスの銀メダリストのところに修業に行けて、
馬も持って、経費も出て、というように、
ほんっとに世界がパーッと変わりました。
でも、シドニーオリンピックの最終選考で、
一番最後の障害が跳べず、落馬。
オリンピックに行けなかった。
やっぱり、夢をかけていただいたのに、
何もお返しできなかったのが悔しかったです。
その後、辞めるか、続けるか、
考えてたこともありました。 |
糸井 |
今もそのスポンサーのかたはいらっしゃるんですか? |
加藤 |
いえ、シドニーオリンピックで一旦
終了しました。 |
糸井 |
はぁ、じゃ、今はゼロなんだ。
今現在が無理じゃないですか。 |
加藤 |
でも、シドニーまで行っていた馬は、
そのまま乗せて下さってるんですよ。
それがあるので、競技に出なければ、
ボックス代だけを、何頭かぶんだけ払っておけば、
まあ食べてはいられるので、
今までは良かったんですけども。 |
糸井 |
あと1年、アテネまではもたないですね。 |
加藤 |
ぜんぜんもたないです。 |
糸井 |
ぜんっぜんもたないですね(笑)。
あの、失礼ですけど、
家族の負担っていうのも、当然あるんですよね? |
加藤 |
精神的な負担はかなり‥‥。 |
糸井 |
あ、経済的には、
ちゃんと上手に自立できてるんですか? |
加藤 |
そうですね。
父は、最初から自分のことなんだから、
最後まで自分でやれ、という考え方で。
私にとっては、あんまりありがたくないですけども。 |
糸井 |
(笑)。 |
加藤 |
その時のスポンサーのかたは、父の昔からの友人だったり、
後援会の発足にしても、両親のつながりがあったので
実はすごく助けてもらっているんですが。 |
糸井 |
もともとお仕事が馬の関係ですもんね。
それは助かりましたね。 |
加藤 |
間接的に経済的な支えになってもらっている
部分は大きいと思います。 |
糸井 |
直接支えになってたら、キリないですもんね。 |
加藤 |
絶対に、無理は言えないので、それはないです。 |
糸井 |
だけど、聞いてみなきゃわかんない、
すごい話ですねー。
それをひとりで、やってるんだ。
想像してたよりすごいですね。
じゃ、これから先っていうのは、
ほっといたら、ただ練習してくうちに、
もうできなくなりました、っていう、
中小企業が潰れてくときみたいになりますよね。
でも、そうじゃない道があるって、今、信じて、
優勝するんだ、という気持ちで、
活動してるわけですよね。
はぁー。
年間で3〜4,000万円必要、いや、もっとですね。 |
加藤 |
だから、海外の選手たちは、
大企業のスポンサーがついているだとか、
プライベートでも、ほんとに裕福で、
馬術にお金を使おうっていう人がいっぱいいるんです。
日本にはそれがないので、これだけ選手も少なくて。
日本の女性で、今まで、ここまでしがみつく人間が
あまりいなかったんです。 |
糸井 |
しがみついてますよねー(笑)。
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