浅草今昔展 編

その3 扇子の「文扇堂」4代目、     荒井修さんの浅草

江戸東京博物館で開催中の『浅草今昔展』にちなんで、
実際に「今」の浅草で働くかたがたに、
「浅草今昔」なお話をうかがっています。

3人目にお会いするのは、
浅草で扇の専門店を営まれている
荒井修(あらいおさむ)さんという60才の男性。

荒井さんは、ひとりめにお話をうかがった
冨士さんの回に、すでにご登場されています。
そうです、お会いして早々、
「送られてきたファックスの内容がわかりにくい」
とお叱りを受けた、あの荒井さんに会いにゆくのです。
また叱られるのではないかと、おどおど向かうのは
浅草寺境内で催されている「奥山風景」の会場。
荒井さんは、ここで扇子の実演販売をしています。
さあ、「文扇堂」の看板がみえてきました‥‥。

── こ、こんにちは‥‥あれ?
おもちを焼いてるんですか。
荒井 うん。
いや、ここにさ、実演のときにつかう
火鉢があるんだよな。
それでさ、なぜだか、もちもある。
で、いまは実演の時間じゃないんだよなあ。
じゃあ焼いて食うか、と。
── はい(笑)。
あの、きのうは失礼しました。
ファックスがわかりにくかったようで‥‥。
荒井 うん‥‥。
ああ、もちがいい具合に焼けてきたね。
── あの、まずは、お仕事のことから
うかがわせてください。
仲見世のほうにお店がありましたが、
荒井 うん、仲見世と、その裏の柳小路にね、2軒。
── 創業はどのくらい前に?
荒井 私で4代目なんだけど、
たぶん、ぜんぶで120年くらいになんのかな。
── 120年。
荒井さんはご主人であり、
さらに職人さんでもあるとうかがいました。
荒井 あの、なんていうのかな、うちの家系ではさ、
私の親父なんかもそうだけど、
扇子を作ってなかったんだよね。
売ることだけをやってるような、
そういう家系の流れだったの。
── なるほど。
荒井 ところが私はあんまり、
お客さんにものを売るっていうのが、
どうも得意じゃないと思ってましてね。
喧嘩になるといけないし。
── は、ははは。
荒井 だから、どっちかっていうと
そういうことよりかはさ、
何も口きかない紙と竹を
相手にしたほうがいいかなというようなね。
── じゃあ、まずは職人さんに。
荒井 うん。で、うちの職人さんのところ行って
弟子にしてって言ったんです。
親方にすれば、うちは納める店だからね、
そういうところのせがれを
弟子にしようということには
普通はならないんだけども、
「お、いいよ」って言うんでね、やりましたよ。
── 職人さんをめざした。
荒井 まあ、なんか職人って、いいじゃねえかと。
余計な世辞、愛嬌を言う必要もないし、
それもいいなって思っちゃったんだろうな。
うん、たぶん、そのくらいじゃない?
── そうですか。
荒井 いや、わかんないけどさ(笑)。
── でも荒井さんは、いつかお店を継がないと
いけなかったわけですよね?
荒井 うん。私が29のときに、
うちの親父が56で亡くなってね。
そしたらもうしょうがないでしょ、店やるしか。
── そうでしたか。
荒井 古い従業員に混じってね、やりましたよ。
でも、職人をやってたからね、
扇子のことは店の誰よりも知ってた。
それのおかげで、なんとかここまでね。
── そうですか‥‥。
話はかわりますが、冨士さんと同級生だそうで。
荒井 同級生、うん。仲いいんだ。
仲いいんだけど、ほら、
あいつはどっちかっていうと坊っちゃん。
私はセコガキ。
── そんな(笑)。
荒井 だから何だ、たとえば子どものころ、
メンコだとかベーゴマだとかやると、
あいつはいっつも新しいのを買ってくるんだ。
負けるもんだからね。
── (笑)
荒井 そうすると、俺の古ーいメンコ1枚で、
それをぜんぶ取り返してやるというね。
そういう感じよ。
── いっしょに自転車の練習もされたとか。
荒井 練習っていうかさ、
俺が教えてやったの、自転車の乗り方を。
── あ、そうでしたっけ。
すみません思い違いで逆だと思ってました。
荒井 逆ってあんた、俺が教わるの?!
乗れなかったのは、あいつなの。
だからさ、そういう危険なことはぜんぶ、
私の担当ですよ。
どう見たってそうでしょ?
── ま、まあ‥‥はい(笑)。
荒井 私なんか、初めて自転車に乗ったとき、
うちの斜め前の寿司屋の看板に
バーンてぶつかって、ガーンとなったり
してるんだから。
── あ、やはり路地で。
荒井 そう。狭いところでもってやるんだから、
怪我はつきものだけど、あっちはほら、
お坊ちゃんだから。
ね、怪我はさせられないんですよ。
── (笑)気を遣ってお付き合いされてた。
荒井 ボロボロですよ、私なんか(笑)。
── 昔はそうやって、
このあたりを走り回って遊んでたんですね。
荒井 そりゃそうですよ、もう。
── 雷門のあたりに池があったそうで。
荒井 ああ、雷門の人造池。遊んだねえ。
あと、「新世界」っていうビルができてね、
そこの地下にね、お風呂があったんだ。
お風呂に入って、蕎麦とか食べてさ、
出ると無声映画をやってるわけですよ。
そういうのを観ながらさ、
またなんか食べたりして帰って来たりね。
── それは、中学、高校くらいですか?
荒井 違いますよ、小学校ですよ。
── 小学生がお風呂入って映画観てなんか食べて!
荒井 そうです、そうそう(笑)。
── へえ〜(笑)。
荒井 浅草の子っていうのは、
みんな店が忙しいでしょ。
── はい。
荒井 おあしをちょっともたされてね、
勝手にそとで遊んできなって、
それが普通でしたね。
── 今の浅草でそういうことは?
荒井 どうかな‥‥。
今、世の中、やっぱ危険だからね。
自動車もすごいしさ、うん。
そういう意味じゃかわいそうかもしれないね。
── そうですかあ‥‥。
あの、またお仕事の話に戻るんですが、
歌舞伎のそうそうたる方々に
ごひいきがいらっしゃるそうで。
荒井 はい、いただいていますよ。
坂東玉三郎さん、市川團十郎、中村勘三郎さん、
尾上菊五郎さんとか、
ええ、いろいろごひいきいただいてます。
── すごいお名前が‥‥。
どういうものが歌舞伎の扇子なんですか?
荒井 いや、いろんなのがあるから。
役者さんにね、「ちょいと」って呼ばれて、
「へい」って行くわけです。
「今度ね、何々を踊るんだよ」
「あ、そうですか。はい、わかりました」
「いついつまでに作っておいてくんない」
なんて言われるわけです。
── へええ〜。
そういうのがあってから、つくるんですね。
荒井 うん。分業じゃなくて、
私は絵付けまでひとりで。
── 絵付けも。
荒井 私は親方から仕立てをぜんぶ習って
帰って来たんだけど、
絵はこれといって習ってなかった。
で、独学でやっちゃったんです。
── ご自分で。
荒井 うん、箔押しから何やら。
だから、あたしに絵を教えたという人は
あんまりいないの。ほとんどいない。
ただ、しいていえば、感覚的なものはたぶん、
私の絵の師匠は、玉三郎さんかもしれない。
── そうなんですか。
荒井 坂東玉三郎という人に、
「もうちょっと、ここを、こう逃げて」とか、
「色は、そうじゃない方がいいんじゃない」
とかって、話してもらいながら、
最初はずいぶんいろいろ教わったんです。
── すごいお話を、ありがとうございました。
荒井 うん‥‥。
『浅草今昔展』はみてきたの?
── はい、先日。
すごく見やすくて、わかりやすくて。
荒井 あれ、私が責任者だったの。
── 荒井さんが、そうでしたか。
荒井 江戸博の人とね、もっとこうしたほうがいいとか
いろいろ、こう、やりあいながらね(笑)。
ああいう展示ができたのは、
よかったなと思ってますよ。
── そうですね、みてもらいたいですね。
そして浅草にも遊びにきてほしいです。
荒井 うん。
── きょうはどうも、ありがとうございました。


こうして、3人目の浅草の人へのインタビューは、
ぶじ終了いたしました。
お会いする前はあんなにびくびくしていたのに、
途中から荒井さんのお話に引き込まれて‥‥。

最後にひとつ。
荒井さんは、最初に焼いていたおいしそうなおもちを
結局、取材が終わるまで食べることはありませんでした。
やさしい紳士だと思いました。
(つづきます)

「文扇堂 雷門店」

東京都台東区浅草1-20-2
営業時間/10:30〜18:00
定休日/20日過ぎの月曜日(月1回)
お店のHPはこちらからどうぞ。

2008-11-07-FRI

 

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