浅草今昔展 編

その2 「釜飯・麻鳥」ご主人、      雑賀昭裕さんの浅草

江戸東京博物館で開催中の『浅草今昔展』にちなんで、
「今」の浅草のかたがたにお話をうかがっています。

ふたりめにお会いするのは、
浅草で3店の食べ物屋さんを経営されている
雑賀昭裕(さいがあきひろ)さんという53才の男性。

ご案内いただいた座敷席に、雑賀さんがいらっしゃいました。
こちらもやはり、和服を粋に着こなして。

── よろしくお願いします、
「ほぼ日刊イトイ新聞」と申します。
雑賀 3代目主人の雑賀と申します。
‥‥奥山はごらんになりました?
── はい。冨士さんにご案内いただいて、
いまたっぷりたのしんできました。
雑賀 そうですか冨士さんと、それはよかった。
── あの、さっそくなのですが、
雑賀さんのお仕事のお話を
すこしうかがってもよろしいでしょうか。
浅草にお店を3つお持ちでいらっしゃるそうで。
雑賀 そうですね、3店舗やらせていただいています。
── 3代目とおっしゃいましたが、そもそもは?
雑賀 明治のころに、父の実家が
浅草で天ぷら屋をやったのが最初なんです。
浅草六区の全盛期に、
芸人さんたちが天丼を食べにくるような店を。
── へえ〜、そういうお店を、六区で。
雑賀 ですが戦争がありましたので、
そのあいだは父の姉に店をあずけてまして、
で、復員してはじめたのが「月見草」なんです。
── シーフードレストランの。
雑賀 はい、「月見草」は創業60年になります。
その後、父と母は「麻鳥」を開いて。
── 釜飯と串焼きのお店ですね。
雑賀 ええ。
それともうひとつが、このお店ですね。
── 炭火焼きと会席の「蔵」。
雑賀 ここはわたしが初めてプロデュースして、
デザイナーと組んで作り上げた店なんですよ。
それが16年前です。
── 3店舗、すばらしいご活躍ですね。
雑賀 いやいや、そんなかっこいい話じゃなくてね、
実はわたし「月見草」を一度つぶしてるんです。
── え?
雑賀 父と母がやっていた「月見草」は、
魚介類を串に打ってね、
こう、バーベキュー的なスタイルで、
当時ヒットしてたんですよ。
20のときにその店を継がせてもらったんです。
── はい。
雑賀 いま考えるとうちの父もすごかったなと思うのは
とにかく口を出さなかったんです。
やりたいようにやらせてくれた。
で、やりたいようにやって、つぶした(笑)。
── ‥‥なにが原因だったんでしょう。
雑賀 あのね、フランス料理に走ったんです。
── フランス料理。
雑賀 みるみるお客さんがこなくなって‥‥。
そのとき、昔っからの常連さんに
こんなことを言われました。
「雑賀さんさぁ、私は有楽町から
 食べにきてたんだって、月見草に。
 こういうもんなら銀座にいっぱいあるから」
── ‥‥なるほど。
雑賀 それで、原点に戻しました、昔のメニューに。
そしたら1年も経たないうちに復活です。
── そうでしたかあ。
雑賀 おやじとおふくろが積み上げたことを
完全に無視してたんです。
歴史のある店で
1パーセントを変えるのが大革命なんですね。
がらっと変えるのは革命でもなんでもなくて
それは暴挙だったんですよ。
── なるほど。
雑賀 引き継いでいくことの大切さを学びました。
そしてそれは、浅草という場所についても
同じことがいえるじゃないかと思うんですよ。
浅草には「槐(えんじゅ)の会」
というのがありまして、
── 雑賀さんが会長だとうかがいました。
雑賀 はい、今年から会長をさせてもらっています。
そこでもよく話すんです、
「やっぱり浅草らしさを
 次の世代に渡すことが大事だね」と。
── そうですか‥‥。
そんな雑賀さんからみて、昔と今とで
浅草の変わった部分というのは、なにか‥‥?
雑賀 それはね、最近わたしが思うのは、
なんで子どもたちが表で遊ばなくなったか
ということなんですよ。
── ああ、浅草でもそうなんですね。
雑賀さんは表で遊ばれた。
雑賀 まあ、すごかったですよね(笑)。
ガラス何枚割ったかわかんないです。
── え(笑)、ガラスを割る?
雑賀 うちの家の前の、あのせまい道路幅でさ、
バット振り回して、
── あ、野球を(笑)。
雑賀 軟球で野球しちゃって、
ガラス割っちゃ逃げ回って、
そんなことばっかりでしたよ。
── 路地でわーっとやっちゃうんですね。
雑賀 もう鬼ごっこなんて、
最初に鬼になったら最後まで鬼。
── ぜったい見つからない。
雑賀 見つかるわけないじゃない、
路地を走り回ってるから。
しまいにゃそのまま家に帰って
みんな飯食ってんの。
鬼がぽつんと立ってる(笑)。
── ははははは。
雑賀 そういうのは見なくなりましたよねえ。
あと、そう、ガキ大将っていたのよ。
── はい、はい。
雑賀 大事だったんですよ、それが。
弱き者を助けるんですから。
── そうか、大将ですものね。
雑賀 そう、仲間がいじめられてりゃ、
大将が体張ってでも守るっていうさ。
── 雑賀さんも大将だったんですか?
雑賀 いや、大将にはなれなかった。
すごいやつがいたから。
‥‥今でもそいつとは親友なんです。
事情があって浅草から出ていったんですが。
── そうなんですか。
雑賀 うん。だから、そういうこともありますよね、
昔と今をくらべれば。
家を継げなくて、よそに行っちゃうっていう。
── 都内の他の場所にくらべれば
そういうことがすくない印象がありますが‥‥
雑賀 それはもう、絶対的にすくないです。
だから‥‥それに慣れてないんだね。
寂しいんだよ、幼なじみだもん。
はなたれ小僧のときからいっしょに祭りをやって
兄弟のように育ってきたのに、
いなくなんのかよ‥‥寂しいよ。
── ‥‥‥‥‥‥。
雑賀 ‥‥でも、祭りのときとか、誰かが倒れたとか
なんかあったら飛んでくるんです。
ずーっとやっぱり、浅草の親友ですから。
── いいですねえ、そういうの。うらやましいです。
雑賀 郷土愛ですよね。
浅草、いいところですよ。
いろんな人に来てもらいたい。
── 観光だけでなく、ここに住むという意味でも。
雑賀 どちらもですね。
でも、これは自分らで気づかないことですが、
商いの人は入りにくいんですってね?
よそから来てお店をやろうとする人は
すごくハードルを高く感じるって。
── ああ、結束がかたいので、そう思われる。
雑賀 ウエルカムなんですよ。
むしろ、この先の浅草に必要なのは
そういうかたたちだと思うんです。
だって、浅草が好きで来るわけでしょ?
── はい。
雑賀 よそに儲かる町はもっとあるじゃないですか。
でも浅草を選んでくれた。
そういう人たちって逆にわれわれよりも
浅草の良さをわかってるんじゃないかな、と。
── そとの人のほうが、客観的に魅力を。
雑賀 中にいると見えなくなることもあるんで。
そうやってね、みんなで、
浅草の良さを引き継いでいけたらと思います。
‥‥すみませんねえ、長話で(笑)。
── いや、とんでもない。
雑賀 よかったら釜飯を召し上がっていってください。
飯屋(めしや)のわたしにできるのは、
味を引き継ぐことなので。
食べてもらって
「こんな料理をつくるおやじなんだ」
ていうのを感じてもらえるとうれしいです。
── はい、それはもう、ぜひ。
きょうはほんとうにありがとうございました。

雑賀さんへのたのしいインタビューが終了した昼下がり、
釜飯と串焼きのお店「麻鳥」で、
ぷりぷりの牡蛎がのせられた釜飯などをいただきました。

雑賀さん、ありがとうございました。
月並みな感想ですが、たいへんおいしかったです。
すばらしい素材でほくほくとあたためてくれる、
雑賀さんのおもてなしの心をいただけた気がしました。
(つづきます)

釜飯と串焼き「麻鳥」

住所/東京都台東区浅草1-31-2
TEL/03-3844-8527
年中無休
11:00〜21:30(ラストオーダー21:00)

炭火焼きと会席「蔵」

住所/東京都台東区浅草1-30-10
TEL/03-3847-1129
年中無休
月〜土 11:30〜23:00(ラストオーダー22:00)
日・祝 11:00〜22:30(ラストオーダー22:00)

シーフードレストラン「月見草」

住所/東京都台東区雷門2-11-8
TEL/03-3841-8949
年中無休
ランチ  11:30〜15:00にラストオーダー
ディナー 15:00〜21:00にラストオーダー

2008-11-05-WED

 

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