糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

09月23日の「今日のダーリン」

・「いまは、とてもそんな人間じゃないのだけれど、できることなら、こういう人になりたい」と、言えるような「こういう人」のイメージがあったら、それは、とてもよいことなんだと思う。

「いまは、とても」というほうが、現実のことで、こころが狭くて、ずるくて、気がまわらなくて、嫉妬深くて、じぶんに甘く他人に厳しくて、欲張りで、ケチで、根気もなくて、のろまで、ものぐさで‥‥ああ、きりがないくらいにろくでもない人間だということは、どうしようもない事実ではあっても、「そのままでいいや」とあきらめてしまうのではなく、「できることなら、こういう人になりたい」と思うなら、日々、じぶんのことを「ああ、ちがってるなぁ」と、たしかめることができる。

理想とする「こういう人」と、現実の「しょうもないじぶん」の間を、行ったり来たりしているうちに、ひょいっと拾い物でもしたかのように、じぶんが、理想とする「こういう人」に近づいたりする。ちょびっとだけなのかもしれないが、ほんとうにちょっとだけ、理想に似てきたりする。

だから、大事なのは、「理想とする人像」を持っていることであり、できるだけ「ほんとうのいまのじぶん」を知ることだ。すっかり、ぼくはそういう考えになっているけれど、この考えは、おなじみ、吉本隆明さんの受け売りだ。これは受け売りだけれど、と言い訳をしながら、ぼくは、けっこうたくさんの人にこのことを言っている。

いまのじぶんの小ささを、嘆いて終わりにするのでなく、なりたい人の大きさに、どこまで近づけるのか、ため息つきつつたのしみにするようなこと。これを、くりかえしている人は、断言できる、とても美しいと思う。「そう言うおまえは、どうなんだ」と問われたら、ぼくは口に出さずに言うだろう。‥‥そうか、そうだ、口に出さないのだった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。1ミリでも、ということが、1ミリ近づくことなのだと思う。