ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

ねこちゃんは、犬じゃない。

おきらくな疑問があるんだよ。
いや、たいしたことじゃないのはさ、
もう、「おきらくな」って言ってるからわかるだろ。
ほんとにたいしたことじゃなくて、
考える必要なんかないくらいのことだよ。
もう、考える必要がないどころか、
おれはもう考えちゃったんだけど、
それを読む必要もないくらいだね。

だから、読むな。

いや、そこまで言うと命令みたいになっちゃうね。
読むなと命令をする気もないしさ、
えばっちゃいけない。
せっかく考えたんだから、聞かせたいよ。

だから、読んでね。

あ、読んでねって、わざわざお願いするのも、
なんだか恐縮だなぁ。
読まなくてもいいんだけど、
読んでもらいたいんだけど‥‥ああ、じれったい。

じれったいのは、あたしのせいだ。

その通りだ。話をはじめるよ、とにかく。
短いから、読んじゃってね。

散歩していたらね、外国人のおかあさんが、
ベビーカーにベビーを乗せて、歩いていたんだ。
そこに、おれと犬とが通りがかったね。
すれちがったおれの背後で、
日本語らしきことばが聞えた。
「ねこちゃん」
と聞えたんだ。
犬が通りがかったんだ、その直前に。
犬とおれ、が、通り過ぎたんだよ。
そしたら、外国人らしいママが、ベビーカーのベビーに、
「ねこちゃん」って‥‥教えた‥‥?
のか?

外国の人が、外国の赤ん坊に
「ねこちゃん」っていう日本語を教えたのか。
おれは、そう思って、ちょっと微笑ましい気持になった。

いや、でも、聞きまちがいかもしれないな。
「ねこちゃん」か‥‥外国人の親子が。

言うかなぁ、わざわざ、「ねこちゃん」って。
それに、「ねこちゃん」って、
あの場面で言う必然性がないだろ。
あ、犬とすれちがったからか?
ドッグが通ったね、ということで「ねこちゃん」と。
それは、ちがう!
犬のことを、猫とまちがうなんてありえない。
だとしたら、やっぱりあの「ねこちゃん」と聞えたのは、
おれの耳のせいだったのかもしれない。

犬と猫は、まちがえるはずがない。

考えはじめたのは、ここからだった。
なぜだ。
なぜに、犬と猫とはまちがわないのだ?
そっくりではないか、犬と猫。
しつこいようだが、
犬と猫を、なぜ、まちがわないのだ?

犬と猫の定義を、人は詳しく知っているわけではない。
どこがちがうか、質問されてうまく答えられるか。
答えられやしないだろう。
しかし、次々に目の前に、犬やら猫やらを出されたら、
「これは犬」「これは猫」と、
断言できるに決まってる。
たぶん、ことばをおぼえたばかりの幼児でも、
「わんわん」と「にゃんにゃん」の区別は、
たぶん確実につくはずだと思う。

なんで?

犬なんて、チワワから、ペキニーズから、
ダックスフントから、ブルドッグから、グレートデンまで、
みんな大きさも姿かたちもばらばらで、
ちがう生きものだと思えば、思えないこともないだろ?
なのに、どうして、
だれでも「チワワ」と「グレートデン」を、
おなじ「犬」だって言えるんだ?

ずいぶん自然に、犬ってものがどういうものか、
ジャッジできちゃうのは、どうしてなんだ?
すごくね?

あんがい、人間って、
このくらいの「すっごいジャッジ」を、
無意識でじゃかすかやってるんじゃないか。
そう思ったんだよ。

あらゆる犬が「犬という集合」であることを、
人間は、どうしてわかるの?
そのつど、そのつど、
どうして、あのいろいろの犬を見て、
「犬だ」って決められるの?
以上が、今週のおきらくな疑問でした。

関連コンテンツ

今日のおすすめコンテンツ

「ほぼ日刊イトイ新聞」をフォローする