ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

パシリ考。

パシリ、というのは、
「使いっぱしり」を略した俗語だと思う。
それしか考えようがないから、そうだろう。

パシリといえば、たいていの人は、
なんの意味だかわかっているらしい。
弱い立場で、じぶんより強い人たちのお使いを
やらせられている者のことだ。
それで正しいと思う。

実は、ぼくはこのことばを、知らなかったのだ。
実際に、パシリになるやつや、
パシリをさせるやつというのに、
会ったことがなかった。

有名な「パン買ってこいよ」というようなセリフは、
コントのなかで知っているだけだ。
ぼくの思い出の中では、
パンは、みんな、じぶんで買いに行っていた。
あるいは、みんなの分を買いに行くことを
引き受けるやつはいたけれど、
それは命令されてではなく、
ひとつの親切としてやっていたことだった。

体育会系のクラブとかに入っていたら、
パシリはいくらでもありますよ、と、
聞いたこともあるのだけれど、
ぼくの知っている体育会系のクラブには、
パシリというような制度はなかったような気がする。

なじみがなかった、
というせいもあるのだろうけれど、
ぼくは、どうにも、パシリという制度が苦手だ。
パンを買ってきてもらいたい、という気持ちはわかる。
だったら、ちゃんと頼みなさい、と言いたい。
パシるほうの人も、頼み方が悪かったら断りなさい。
と、そんな率直なことを考えてしまう。
それは、先輩と後輩の間でも、そうするべきだと思う。

ちいさい子どもとかは、
けっこう、お使いするのが好きだったりもするから、
お使いを頼むのもいいだろう。
でも、命令するのはちがうと思う。
あくまでも「行ってきてくれる?」と、頼むものだ。

なんか、ずいぶん優等生的に聞こえるかもしれないけど、
基本的に、ぼくはパシリというのはダメだ。

パシリという制度は、
ひょっとしたら、若い仲間たちの、
ひとつの「遊び道具」だったりするのかもしれない。
楽しい「わるふざけ」の一種だという可能性もある。
ついでに言えば、
「おれ、パシリにでもなんでもなります」
などという志願者がいるらしいことも、わかる。
こうなったら、もう、口は出せない。
そういう世界が好きなのだとしたら、
それはもう、趣味の域にあるものだろうから、
どうしようもない。

と、ここまでは、あんまり関係ない話だった。
パシリそのもののことなんか、
ほんとはどうでもいいのだ。
ぼくが、「パシリ考」などとタイトルをつけて、
言ってみようかと思ったのは、
社会がみんなパシリになりかけてないか、
ということだ。

お得意先、お客さま、消費者、読者、納税者、
市民、参加者、聴衆、視聴者、ユーザー‥‥。
送り手と受け手で言えば、
受け手のいろんな言われ方だ。
どんな人でも、そういう立場になる。
送り手である誰かさんも、
送り手である以外の時間は、受け手として生きている。

そして、受け手が拒否したら、
送り手がなにをしても、市場は成立しない。
受け手があって、送り手がある。

ほんとうは、受け手もどこかで
送り手をしているわけだから、
受け手ばかりがいる社会なんてものはないのだけれどね。

でも、送り手というのは、いわばプロポーズする側で、
受け手というのは、プロポーズされる側だ。
こうなると、「うん」と言う立場のほうが、
「うん」と言わせたいという立場よりも、
強いように思えちゃうんだなぁ。

で、プロポーズする側の送り手のほうは、
なんとか「うん」と言わせたいと、
そればっかりを強く思いすぎてしまうわけだ。
で、パシリ志願しちゃうんだなぁ。
「ほぼ日」をはじめたばかりのころに、
「お客さまは神さまじゃない」というようなことを、
書いたおぼえがあるのだけれどね。

神さまだと思っていようがいまいが、
パシリ的な口説き方を
どんどんエスカレートさせていったら、
ちゃんとした関係は結べなくなっちゃうよ。

「いたれりつくせり」
「こんなところまでサービスします」
「ありとあらゆるものを揃えます」
そういうの、ぜんぶ、いいことだとは思うんだ。
競争相手に口説かれちゃわないように、
「おれ、もっとがんばりまっすから」っていうのも、
商売の原則かもしれないんだ。
だけど、どこかから、パシリになってると思うんだよね。

ぼくが、消費者の立場で、正直に言うと、
パシリ的なサービスを、ありがたいと思いつつ、
それをどんどんやられると、敬意が失われるんだよね。
「パシリ的なサービスしかない」と疑っちゃうわけだ。
ほら、なにかと人のタバコに火をつけたがるやつって、
なんだかうっとうしいじゃない。

口説かれる側のあらゆる願いを聞き届けて、
嫌な顔ひとつしないで、得られるものはなんだろう。
利益かもしれないし、勢いかもしれない。
でも、その利益や、その勢いを得るよりも、
もっとやるべきことがあるんじゃないかなぁ。

「なんでもしますから」というようなサービスが、
積もり積もって、なにかになるとは思えない。
日本の商品やら、企業やら、表現やらが、
みんなパシリみたいになってる。
これは、きめ細かくて、消費者重視で、
いいことばかりだと言われてきたことなのだけれど、
ほんとのところで、見直していくほうがいい。
送り手と受け手が、つまり、生産者と消費者が、
表現者と観客が、口説く者と口説かれる者が、
互いをバカにしない平らな関係で、
やりとりできなきゃねぇ。

ま、こんなことを言っていながら、
ぼくらも、もっと受け手によろこんでもらえるように、
ということを考えないはずはないわけで。
大事なのは、パシリ的によろこばれようとして、
パシリの泥沼にずぶずぶと入りこまないことだと思う。
こういう考えは、へたをすると
ずいぶんナマイキに聞こえるので、
気をつけなきゃいけないのだけれど、
もっとじょうずに言えるようになるまで、
そのまま黙っているのも残念だと思って、
言い出してみた。

「あなたにパシリを求めないように、
 わたしにもパシリにさせないで」と、
このくらいの感じで、どうだろうかねぇ。

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