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| ダーリンコラム |
| <ある夜のひとりごと。> 腹が減ったときに、 「腹の減らない方法はないものか」と、 なにやら根本的な解決法を考えるのもあるけれど、 それを考えるためにも、 めしを食うといい。 雨が降っているときに、 「これを止ませるにはどうしたらいいか」と、 考えることもあるのだろうけれど、 傘をさして出かけていくとか、 濡れるのを覚悟して走るとかもできる。 めしを食うとか、傘をさすとかいうような、 ありふれた当たり前な発想が、 どうしていいのかというと、 「止まってない」ということなんじゃないかな。 いまある状況のなかで、 ぼくらはいつでも、次の時間に向かっている。 いい状況もあるし、悪い状況もあって、 それでも身体は新陳代謝を続けていて、 ある細胞は死に、ある細胞は生まれている。 じっとしている時にも、 実は動いているわけだ。 この動きに、たぶん、 こころのリズムを合わせるのが、 「止まってない」という感覚なんだろう。 動いているのが自然、なのだ。 その動いている自然な状態に、 ブレーキをかけているというのは、 これ、なかなかエネルギーの要ることなのだ。 腹が減ったら、めしを食う、とか、 雨が降ったら、傘をさす、とかは、 生きるリズムに合っているから、 らくで、しかも生きやすい。 そんな当たり前で生きやすいことばかりしてたら、 「腹の減らない方法」やら、 「雨を止める方法」やら、 「宇宙のことを考えること」やら、 「人間の幸福について考えること」やら、 もっと大きな問題を解決したり深化させたりすることが できなくなっちゃうじゃないか、とも考えられる。 そうだ。 そんな「わからんもの」とつきあう時間など、 ほんとうはありゃしないのだ。 めしを食ったり、めしを食うためにはたらいたり、 傘をさして雨のなかを出かけていったり、 こどもの顔を見たり、掃除をしたりしていたら、 「なにかすぐにはどうでもいいようなこと」なんか、 考えたりしている時間はないんだよな。 だけど、考えたい? 考えたいんだよなぁ。 それほどまでに考えたいなら、 あまった時間に遠慮しいしいやるしかない。 ぼくが、なんとなく、ちゃんとした大人たちに対して、 つい腰を低くしちゃう理由というのは、 この「遠慮しいしい」やるべきことを、 つい本職にしちゃっているからなんだと思うね。 とにかくあまった時間をつくることが、 ものすごくうまくなっちゃったんだろうな。 長年そういうことばかりやってるから。 でも、ほんとは、どうなんだろう。 どっちもあるんだよなぁ。 じぶんのなかでも、 雨が降ったら傘をさしていながら、 腹の減らない方法はないものかというようなことを、 考えては、同じところで足踏みしているもんなぁ。 その足踏みのリズムで、めしが食えてるような‥‥。 わからないものだなぁ。 <もうしわけない夜は なにやらあわれんでねる。> ※このくらいの感じのことを書くと、 よく「元気がないですね」とか、 「どうしたんですか、なにかあったんですか?」 などと言われちゃうんですけど、 なんにもないですので、よろしくお願いします。 |
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2009-03-23-MON
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