ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

日本で、しょうがないじゃない。

世界には、いろんな区分けがあってさ。
肌の色で白黒抹茶じゃなくて、白黒黄色
なんて分ける場合もある。
国という単位で分けることもある。
何語をしゃべるかで、分類されることもある。
どういう神を信じているかで、分けられることもあり、
どんな社会体制をとっているかで敵味方になることもある。

自分の肌の色によって、得することも損することもある。
へたをすれば争いごとにだってなる。
宗教がちがうということで、激しく対立することもある。
また、自分がどこの国に属しているかによって、
さまざまな有利不利もあるだろう。

自分が、どこの国に生れたのかということは、
自分で選べることではない。
それは、肌の色を選べないのと同じように、
どういう両親の間に生れることも選べないように、
あらかじめ与えられていることだ。

たまたま、ぼくは日本という名の国に生れていて、
おそらく、そのことによっての、
いいことも、わるいことも味わっているのだろう。
生れてこの方、他の国籍を持ったこともないし、
長い間よその国にいた経験もないので、
日本の人として日本にいることを、
あんまり意識しないで日々を送っている。

生れたときは、戦争で負けた直後で、
ずいぶん貧しかったらしい。
どうしょうもなく貧しかったという実感はないけれど、
日本にいる人たち全体が、富んではいなかった。
あの当時の、自分の家が、いまの日本にあったら、
「とても貧しい」という位置づけになるんだろうと思う。
その後、ずいぶん端折った言い方だけれど、
いろんなことがうまくいったようで、
経済的に富んだ国と言われるように、日本は、なった。
アメリカの次ぎの国だとか、
アメリカだってお手本にしているだとか、
おだてられたのか、自分でいい気になったのか、
ずいぶん「大きな国」みたいな自画像を描いていた。
そういう時代に生きているのは、
裕福になった家庭で育つみたいなもので、
人々の気持ちも、坊っちゃん坊っちゃんしてくる。
「ぼくんち(国)、お金持ちだもーん」
というような気分で、生きていられたんだね。

でも、「ぼくんち」がいつまでも安泰なわけもなく、
どうも、いろんなことが怪しくなってきている。
「金だけはあるけど、尊敬されない」なんて、
ちょっと自嘲気味に言っていた時代も終り、
「うちはもうお金持ちじゃないかもしれない」と、
日本にいるぼくらは、うすうす感じるようになった。
「かもしれない」と言ってた時期は、まだいいのだけれど、
「取り柄もないし、金もない‥‥みたい」と、
あちこちでささやかれるようになった。

たいへんだ、たいへんだという記事が、
あちこちに出てくるのは、目に見えている。
まだまだ増えることだろう。
そして、おそらく
経済的にうまくいかなくなった家の家族が、
これまでとちがった生活に切り替えていくようなことが、
必要になるのだろう。
そういうことが、どれほどの期間で
行われていくのかは、わからない。

世界に冠たるスペイン、沈まない女王陛下の英国、
世界一だったはずの国だって、
静かな何番目かの国になっている。

メソポタミアだの、エジプトだの、インドだの、
中国だののことも想像してみてもいい。
いちばんだの、その次だのの座に、
いつまでもいた国なんて、ひとつもない。
それで、どえらい不幸になったかといえば、
どうやらそういうものでもなく、
それぞれに、ちゃんと人は生き、人は暮らしている。

もっと言えば、
世界一になったことなんかまったくなく、
何かと苦労もしてきましたなんて国は、
もっとたくさんあるわけだ。
そういうたくさんの国々のことを、
「ぼくんち、お金持ち」だったときの日本は、
生意気にも、ちょっと下に見てたかもしれない。
それは、オリンピックのメダル獲りっこなんかにも、
よく表れているのではないか?
日本みたいな小さな島国にしちゃぁ、
ずいぶんたくさんのメダルを期待しすぎてないか?
銅メダル一個だけ、という国だって、
いっぱいあるだろうし、
メダルなんか夢の夢という国だってあるよね。
それが、つらそうだったり、不幸そうだったりするか?
そんなこともないんじゃないかなぁ。

たまたま、この日本という国の人で、
その国の景気が、よかった時代があって、
それなりにちょいと知られた国にもなったりして、
やや沈もうとしている‥‥ということがあるなら、
先にそういうふうなサイズでやっている国に、
「大きくなる方法」だとか「もっと勝つやり方」じゃなく、
「幸せにやってく方法」を学ぶべきなんじゃないかねぇ。

もしかしたら、この、あなたやぼくが、
たまたま生れた国である日本で、
はじめて「幸せにやっていく方法」を考える時代が、
迎えられるかもしれない。
これは、なんだかすばらしいことのような気がするんだ。

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