ITOI
ダーリンコラム

<人間乗り物論。>

「人間というのは、乗り物なんだ」、
と思ったことがあるんだ。
いや、そう思っているな、いまも。

いまも名前だけは誰でも知っている青春映画で、
『イージーライダー』というのがあるんだけど、
そのなかで、ジャック・ニコルソンの演じる弁護士が、
主演のピーター・フォンダのハーレー・ダビッドソンの
後の座席に乗って、新しい旅に参加するんだよね。

ピーターのほうは麻薬の密売人で、
乗っているのはバイク、おそらく社会から
早い時期にドロップアウトして
「自由」というやつを信仰しながら生きているわけだ。
ジャック・ニコルソンのほうは、
弁護士なのだというだけで、「まとも」な道の中央を、
スーツを着こなして
自動車で走ってきた人間という設定だ。

でも、ジャックの弁護士は、
ピーターのバイクのけつに乗って
興奮して大騒ぎするんだ。
ピーターが「危ないなぁ」って思うくらいにね。

ちょっと髪の毛が薄くなりかけたジャック・ニコルソンが、
ピーター・フォンダの後部座席で、
たしかウイスキーのびんを振り回しながら、
破顔大笑して叫び声をあげるシーンは、
ぼくにとって、あの映画のいちばんの記憶だった。

世代がちがう、生きてきた道がちがう、
信じていた価値がちがう、生活の様式がちがう。
でも、ジャック・ニコルソンは、
ピーター・フォンダのハーレー・ダビッドソンに乗った。
それは、ピーターという人間に乗ったということだ。
ジャックは、ピーターに乗ったことで、
生きる道すじも変えてしまった。
それがよかったのか、悪かったのかなんてことは、
本人たち以外にはわかりゃぁしない。
映画では「撃ち殺される」んだから、
悲劇のはじまりだったと言えないこともないね。

この弁護士と麻薬密売人の関係というのは、
ずいぶん極端な例だと思うのだけれど、
人と人とのおもしろいつきあいというのは、
象徴的にいえば、みんなこういう構造なんだと思う。

ずいぶん昔のことみたいになるけれど、
木村拓哉くんという青年に会ったとき、
ぼくはもうジャック・ニコルソンの年齢さえ越えていた。
木村くんは、ピーター・フォンダのようなことを
考えていたわけではなかったけれど、
若い新しい人が持っている「愉快」がたっぷりあった。
教えること以上に、教わってみたいことがいっぱいあった。
「すごいもんだなぁ」と思って、
彼につきあっていると、
新しい乗り物で新しい旅をしているような感覚があって、
ぼくは、そのときに『イージーライダー』の
あの場面を思いだしたのだった。
自分の青春時代に観た映画だったので、
自分をバイクのハンドルを持っている側にばかり
なぞらえていたのだけれど、
いつのまにか、ぼくは後の座席で大騒ぎする弁護士の
役回りになっていたのだと気がついた。

人は、人を乗せるものだし、
人は、人に乗せてもらうものだ。

特に、乗せる力のある人というのがいて、
木村拓哉くんなんてのは、その最たるものだ。
明石家さんまさんが、
木村くんと同じ番組に出ているとき、
ジャック・ニコルソンになっているのを、よく感じる。

例えばの話が、
ピーターとジャックの場合ばかりになってしまったけれど、
人間が乗り物だというのは、もっといろいろなのだ。

木村拓哉くんとの関係では、
たのしそうに後部座席につかまっているさんまさんは、
自分自身が大型バスのように、
たくさんの人間をおもしろおかしい観光旅行に
連れていくことを、よくやっている。
先日も、27時間の長い旅をやっていたっけ。

名前の知られた誰かさんじゃなくても、
人間は乗り物だということは、よくわかる。
結婚のプロポーズというのは、
「ぼくの乗り物に、乗ってくれ」だし、
「あなたの乗り物に、乗せてくれ」という意味だ。
さらにいえば、恋愛は、ドライブだ。
「あなたの行きたいところに、連れていってください」
という関係がそこで成立している。
性的な比喩として、「乗る」という言い方もあるけれど、
それだって、当たっていると言っていいだろう。
「いっしょにどこかへ行く」のだし、
なれない男を、おねえさんが乗せて案内することも、
その逆もある。
モテる男とかっていうのは、
何人も乗せて連れていく腕があるということだ。
それはそれで、たいしたことだ。

作家は、書いたもので、人をどこかへ連れていく。
いわば文字というバイクに乗せているんだろうね。
絵描きは、絵に人間を乗せて旅をさせるし、
料理人は料理でどこかへ誘拐する。

いろんなところに連れて行ってくれるということは、
その人間が、それだけ魅力的だということだし、
同じところばかり連れていく人もいれば、
あちこち次々に旅をさせてくれる人もいる。

「あの人は、人を乗せるのがうまい」なんていうのは、
考えてみたら、最高のほめ言葉だなぁ。
誰も乗せず、誰の乗りものにも乗らずというのも
ひとつの生き方かもしれないけれど、
遠くや近くや、意外なところや落ち着くところに、
乗ったり乗せたりするのも、たのしいんだよなぁ。

「ほぼ日」は、どちらかといえば、
バスのターミナルみたいになりたいのかもしれない。
ぼく自身が、あちこち行ってみたいしねぇ。

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2008-08-04-MON
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