ITOI
ダーリンコラム

<魚や鳥に国境はないわけで。>

こないだ、銚子という港のことを思い出したんだけどね。
銚子ってのは、千葉の大きな漁港だよ。
この街にはね、全国の漁船が着くわけだよ。
青森でも、高知でも、鹿児島でも、北海道でもさ、
とにかくいろんな土地の漁師さんたちが、
船を着けて、陸にあがるわけだよね。

旅館とかホテルに泊まったりもするのかな。
せっかく陸地におりられるわけだから、
街に用事をすませたり、うまいものを食べに行ったり、
いろいろするらしいよ。
詳しくは知らないけどさ、そうだろうよ。

この話を最初に聞いたときに、
ちょっといい感じでくらっとしたんだ。
鉄道を使って移動することと、クルマで走ること以外に、
海路というものがあるんだってことを、
おれは忘れていたんだなぁ。
ほんとは、もうひとつ、空路というのもあるけれどさ。

たとえば青森県の人が、東北自動車道も通らずに、
東北新幹線にも乗らずに、東京を経由することもなく、
千葉の銚子の岬にいました。
どうやって来たのでしょうか‥‥なんて、
クイズにしたら、全員正解にはならないような気がするよ。
海がねぇ、あったんだよねぇ。
魚を獲りに行く場だけじゃなくて、
交通路でもあったわけですよねぇ。
恥ずかしいくらいに、すっかり忘れていたんだよなぁ。

さてさて、なんだ。
話は、これだけで終わらないんだ。
それどころか、この先の話のほうが気になるんだよな。

おれは、この「銚子には全国の漁師がくるんだ」
という話に「あ、そういうのアリなんだ」と思ったんだ。
「アリなんだ」というのは、どういうことかというと、
漁船が海路をやってきて千葉県から上陸するのに、
パスポートも検疫も、
たぶん上陸許可証もいらないんだよな、ということ。
なんか、ひょっとしたら何か手続きが必要なのかな、と、
いまでもちょっと思っているんだけれど、
電車やクルマで青森から千葉に着いたからって、
なんの手続きも要らないのだから、
船で来ても同じだろうとは思うんだ。

それでね、気になったのは、
自分の考えのほうなんだよ。
海からやってくる人に、
なにかしらの許可があるんじゃないかと、
ちょっと思っちゃうという思考が、不思議だったんだ。
日本中の漁港が、ネットワークされているということに、
驚きと、ある種のうらやましさを感じるのは、いい。
なのに、どうして、すぐに規則が思い浮かぶんだろう。

いつでも、現実のおもしろさよりも先に、
規則のことを考えるという人がいる。
むろん、おれ自身も、時によってはそういう人だ。
なんていうかなぁ、犬がさ、
散歩に行く前に、自分から首輪をつけるようなこと。
犬がやるのは、かわいいとか、りこうだとか言えるけれど、
人間は、そういうのダメなんじゃないか。
自分を閉じこめる牢屋のカギを、
自分で持ってて、大事にしているみたいなこと。
社会を安定させるためには、
便利なクセなのかもしれないけれど、
そういうことで安定した社会は、衰弱するばかりだよね。

思うんだよ。
小学校に通ってたころさ、熱があったりして、
早退するってことがあったよね。
ちょっと熱がある状態で、学校から家に帰るんだよ。
いつもは学校のなかにいる時間に、
歩いて見る街は、ちょっとちがうんだよなぁ。
で、ほんの少しの罪悪感みたいなものがあった。
なんだろう、その、学校にいるべき時間に、
学校にいないということの罪悪感って。
熱があるんだから、帰るのに。

小学校くらいのときに、本気でずる休みができて、
「へっへっへ、うまくいったぜ」などと感じられるのは、
すっごい子どもだけだと思う。
できやしないのだ、ずる休みなんてものは。
仮に、なにか気持ちや身体に事情があって、
大人にうそをついてずる休みができてしまったとしても、
「もうするまい、もうしちゃいけない」と、
どきどきするような感覚があったよ。

伝記のなかのエジソンが、いまでも人気があるのは、
どきどきもせずに学校を休めるような、
「本気の子ども」だったからなんじゃないかなぁ。

おれなんか、子ども時代にやった悪いことなんて、
たいてい憶えてるもんね。
そりゃぁ、つまりは、どきどきしてたからさ。
で、どうやら、いまでも、
そんな小学生の気分が、残ってるような気がするんだよ。
なにをするにも、ルールと照らし合わせてる。
「先生、これでいいんですか」と、
訊きたくてしょうがないみたいなところが、
どうしても盲腸みたいに残ってるんだよなぁ。

みうらじゅんが、「県境」のことを「ステッチ」と呼んだ。
ほんとは、県境なんてもの、見えないんだ。
でも、あるというルールなんだよな。
あるはずということを守るのが大人なんだ。
だったら、もっと意味のない
「ステッチ」と呼んでしまおうというのが、
みうらじゅんの態度なんだよな。
これはおもしろいよ。
だけど、ほんとうにいちばんおもしろいのは、
鳥や魚のように、県境なんかない生き方だよなぁ。

これ、日本にいるから、県境ってものを例に出してるけど、
世界の別の場所にいたら、国境だよ。
国境はあるに決まってるんだ。
縫い目でも、幻でもなく、
出入りするのに許可がいるような線が、
たしかに存在しているわけさ。
勝手に越えたら撃つぞ、なんて場所もあるだろう。
そんな大事な線でも、鳥や魚には関係ないだろ。
まずは、そっちだよ!
まず、ないんだよ、そんな余計な線、余計な規則は。
あとでしょうがなく考えるものなんだよ、
線だの、ルールだのなんてものはね。
なのに、つい、早め早めに、
細かいルールを思いつくような小利口なことが、
「できるやつ」みたいになっちゃってるんだ。
最悪なことに、自分のなかにも、
そういうやつがいるんだよねー。

銚子の海からあがってくる漁師さんたちに、
上陸許可証はいらないのか‥‥。
なんで、こんなことをなんにも関係ないおれが、
ちょっとでも思わなきゃいけないんだよ。
それより、「海から日本を旅する」ってことについて、
わくわくと思いをめぐらせればいいのになぁ。

たぶん、おれの、そういうルール意識ってのは、
子どものときの自由さが、汚れたり硬直したりして
できあがったというものじゃないんだ。
子どものときの不自由で不安な感覚から、
いまでも離脱できてないから、
余計なことを考えちゃうんだろうと思うんだよ。

だいたい、パンツを脱いで
お医者さんごっこをすることを
禁じられるのが、子どもってものだろう。
そのころのルールを、いつまでも破らないでいたら、
世界中の人類の子孫は絶えるよ、滅びるよ。
なんとか親に見つからないようにやったからさ、
大人になってからも、コツをおぼえていて
がんばるってわけだよ。
そっちのほうが、現実なんだよ。
鳥や魚のようにさ、
惚れたりはれたり子どもつくったりするんだよ。
資格も品格もないよ、みんなに備わってるものだもん。

ことばや、地図や、社会やらのなかに、
無数の国境や、数えきれないほどのルールがあるのは、
知ってるよ、誰だって。
だけど、ルールより、人間そのもののほうが、
歴史が古いんだ、先輩なんだよな。

なんかさぁ、もともと体温のように持っていたはずの
自由ってものを、おれたちは、
小さく小さく、扱いやすいようにして、
無くしてしまおうとしてるような気がする。

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2008-06-16-MON
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