勇気の年に向って。

糸井重里

2015年の6月6日がやってきて、
ほぼ日刊イトイ新聞が創刊17周年になりました。

年をとるのは、たのしみでもありますが、
そうとも言えないところもあります。
たぶん、それはぼく自身の年齢と、
「ほぼ日」の年齢が同じでないからだと思います。

「ほぼ日」のほうは、まだなのか、もうなのか、
17歳の青い春まっさかりであります。
ぼく自身は、お若いだのお元気だのと言われても、
66歳ですから、花も恥じらうとか言ったら笑われてしまう。
つまりは老い先の、終の景色を視界に入れながら、
じたばたと阿呆をやっているようなわけです。

おそらく、「ほぼ日」の歩みというのは、
そのふたつ、「ほぼ日」とイトイ(糸井重里)
という人格の年齢差を利用して、
それを推進力にしてきたのだと思うのです。

若い「ほぼ日」が、落ち着かなくてはいけないときには
イトイの経験を役に立てる。
老いて落ち着いてしまいそうなイトイが
突っ走ろうというときには「ほぼ日」の若さを利用する。
ふたつの年齢を持っていたからこそ、
やってこられたような気がしています。

しかし、「ほぼ日」のほうが17歳ということになると、
もう、自前の足で行ける距離もずいぶん増えてきます。
もちろん、若さには失敗も挫折も
セットになっているものですから、
そこらへんは覚悟の上ですが、
こういう時期には、66歳の経験だとかの出番を
徐々に控えていくほうがいいなと考えています。

あえて言うなら、老人のほうが、
17歳の若者をけしかけていくくらいの、
いかにも変わり目らしい季節を過ごしていくつもりです。

まぁ、こんなことを言えるのも、
多少なりとも、17歳の足腰が
しっかりしてきたと思うからです。

2015年になってから、「ほぼ日」は、
「やさしく」「つよく」「おもしろく」で、
やっていこうと言いました。
むろん、「やさしく」は前提です。
そして、大人の身体になって、
もっと「つよく」なりたいです。
さらに、「おもしろく」は切磋琢磨です。

いま始まったばかりの、これからの1年は、
「ほぼ日」の短い歴史のなかで、
いちばん勇気に満ちた年になると思います。
そうでなければ、困ります。
イトイといっしょに老いてしまいますから。
(いやいや、ぼくも「ほぼ日」について行きたいっす)

さらに、「できることをしよう。」を続けます。
つよくなっていたら、それだけ「できること」が増える。
「おもしろく」できたら、みんなが集ってくれて、
もっと力を合わせられる‥‥と、そんな予定です。

2015年6月6日ほぼ日刊イトイ新聞