(この日のこの時刻には、ぼくは釣りをしているはず)
あらかじめ、糸井重里です。

14周年かぁ。
十四才。
おとなといえば、おとなと言われそうな‥‥。
こどもだと思えば、まったくこどもです。
しかも、反抗期だったりしてね。

生まれたてのときとは、
そりゃぁもう、なにもかもちがいます。

細胞ぜんぶが生まれかわっているはずなのに、
じぶんっていうやつです。

まずは、ここまで生きてきたということに、
感謝します。
こういうこと、他人が言ってると、
「いかにもな、ありきたりなことを言うなぁ」
と、感じたりもしがちですが、
本気で思って言ってる場合もあるんです。
いまの、ぼくがそうです。

生きてきたということの、逆もある。
いくつも、その逆を知ってしまうから、
生きてきたに感謝したくなるわけです。
感謝っていう気持ちにも、
根っこのところには「かなしみ」があります。

黙っているけれど、「かなしみ」がある。
見えてないところにある。
そういうことを、何度も思うようになりました。

だから、というべきか、
いっそうたのしくやろうと思います。

たのしい、おもしろい、うれしい。
そして、まだ名付けられていない肯定的な感情。

そういうことを、あったかい「ごはん」のようにして、
じぶんたちや、集まってくれる人のところに、
ならべたいものだと思います。
それなりに14年もやってきたのだから、
少しはじょうずになっているかもしれない。

つきあってくれて、ほんとうにありがとう。
あわてず、おちつかずに、
いろいろやっていきますので、
しょっちゅう遊びにきてください。
「ほぼ日」も、「気仙沼のほぼ日」も、
よろしくお願いしますね。



(おれ、釣れてるのかな?)