東京カリ〜番長・水野仁輔さんが選ぶ カレーの思い出。
#その9

こんにちは。
そろそろカレーの季節がやってきますね。
こう書くと、「ああ、確かにそうだなぁ」と思う人と、
「え? カレーの季節なんてあるの?」と思う人と
わかれるんじゃないかと思います。
なんとなく、梅雨明けから夏までの暑い時期が、
カレーの季節だと言われています。
誰が言ったのか、誰も言ってないのか、わかりませんが、
テレビや雑誌ではカレーの企画が頻出し、
ラジオでカレーの話題が流れ、カレーの本が書店に並ぶ。
「ああ、確かに」と思った人もいるかもしれません。
必然的に僕はこの時期が1年で一番忙しくなります。
そして、取材でよく聞かれるのは、
「なぜ、夏はカレー、になったんですか?」という質問。
これ、困ります。
理由はイロイロあるけれど、
そのどれもがズバリ答えではない。
イロイロが重なってそうなってるのかもしれないし、
イロイロが一切関係なく、タマタマなだけかもしれない。
「夏はカレー」を誰も言ってないころから声高に
言い続けてきたのは、ロイヤルホストのカレーフェアです。
が、それがキッカケだったかどうかは正直、わからない。
でも僕に取材を依頼してくる方々は、切れ味のよい答えが
欲しいんですよね、きっと。
煮え切らない僕には、それができません。
知ってることをできるだけお話ししますが、頭の中では
「いやぁ、きっとタマタマですよ」
というセリフがこだまする。
タマタマ、これからの季節は、カレーが盛り上がる。
タマタマでも嬉しいことです。


041
ゆうこ/女性/36才

初デートで「何が食べたい?」と聞かれると
「カレー」と答えていたみたいで、相手は違えど、
初デートはほぼ、カレーです。

いいじゃないですか!
相手は違えど、ほぼカレー。
いつそのことに気づいたんでしょうね。
ふと過去をさかのぼって、
「あれ? そういえば、いつもカレーだなぁ」と。
選んだ店によって相手の品定めをしたりしてなければ、
ま、いいんじゃないでしょうか。
僕なんて、外食は、相手は違えどほとんどカレーです。
カレーじゃないものを食べたい時もあるんです。
でも、僕と一緒に食事をすることになった人は、
たいていの場合、「せっかくだからカレーが食べたい」
と思うみたいなんですね。
その人は、
普段そんなに頻繁にカレーを食べるわけじゃないから、
せっかく水野と食事するなら‥‥とカレー気分が
モコモコと盛り上がってくるんでしょう。
みんなのちょっとした“せっかく”が積もり積もって
最終的に僕がすべて受け止めることになるので、
相手は違えど、ほぼカレー、ということになるんです‥‥。

042
たーP/男性/もうすぐ46歳

カレーの思い出ですが、私には亡くなった祖父が
作ってくれていたカレーが「伝説の味」になっています。
私が中学生くらいの頃、なぜか突然思い立ったように、
カレーを作るようになった祖父。
母の家事軽減なども考慮した行動だったのかもしれませんが、
真相は不明です。
そういう気遣いを、人に話さずに、
こっそりと手伝ってあげるような祖父でした。
その後、その祖父に習って、
私がカレーを作るようになりました。
でも、やっぱり祖父が作るカレーには敵わない。
そう思いながら大人になって、結婚して、
祖父のカレーを目指して作り続けました。
そして、家内にアドバイスをもらいながら、
ようやく「これは!」と言うカレーが作れた時、
祖父は体調を崩して入院していました。
年齢的にも、快復は難しいだろうと言う状況で、
当然カレーなど食べられるわけもない。
「これを食べてもらえば、
 祖父の『合格』がきっともらえる。」
そう思っても、合格をもらうことは不可能でした。
この時をもって、祖父のカレーは、
私の「伝説のカレー」になりました。
今後、どんなにがんばっておいしいカレーを作っても、
永遠に祖父のカレーには敵わない。
案外、祖父は大したことは
していなかったのかもしれません。
もしかしたら、飯島奈美さんのレシピを基本にした、
今の私のカレーの方が美味しいのかもしれない。
それでも、祖父が作ってくれていた、あのカレーは、
私にとって永遠の味。
そして、食卓の祖父の笑顔は、思い出の景色です。

合格もらいたかったですね、おじいさんから。
おじいさんがもし食べてくれてたら、
合格くれたのかなぁ、くれなかったのかなぁ。
どっちにしてもいいですね。
食卓の祖父の笑顔と永遠のカレーの味。
カレーに関してこんなに素敵な宝物を持っていたら、
これ以上なにもいらないんじゃないでしょうか。
記憶の中にあるカレーほどおいしいものはないと思います。


043
匿名希望

富山から東京で就職し2ヵ月目。
病気になり入院するはめに。
駆けつけてくれた母。
「何が食べたい?」と聞かれ、
リクエストしたメニューが、カレーでした。
バーモントカレーの甘口ルーに細かく刻んだ野菜。
なんでもない普段の我が家のカレー。
冷凍しておいてくれた、カレー。
退院してからもなぜか、食べれずに
大事にしまっておいたなあ。

体を壊したときって気持ちも弱くなりますよね。
こういうときは、なんでもない家のカレーが一番いい。
上京して2か月じゃ、ホームシックもあるだろうから、
実家にいたときのこと思い出したりしちゃう。
しかも、入院中に一人暮らしの家に入って、
狭いキッチンでカレーを作ってくれたんでしょうね。
出来上がったら粗熱を取って、容器に入れて冷凍庫に。
書きおきでもあったんでしょうか。
そんなこんながあれこれと想像できます。
もしかしたら、おふくろカレーが最も威力を発揮する
シチュエーションなのかもしれません。


044
てび/38歳/女性

小学校の給食のメニューに
「さつまいもカレー」がありました。
さつまいもが甘いのでカレーには合わないとか、
いや、その甘さがいいんだ、とか。
ここまで賛成派と反対派が
ぶつかり合う献立はありませんでした。
ちなみに私は、そもそも甘口のカレーがあまり
好きではなかったので、
どっちでもいいけど甘くない方がいいかな、
くらいのゆるい反対側でした。

給食のカレーにさつまいもが入るって珍しいですね。
さつまいもが名産の土地なんでしょうか。
そうじゃないとすると、なぜ、さつまいもが!?
じゃがいものかわりだったんでしょうけれど。
小学校の給食で賛否両論が出ることって、なかったなぁ。
好き嫌いは僕にも周りのみんなにもあったけれど、
「これはこうであるべきだ」「いやちがう」
みたいなのって、
なんか、小学生っぽくないですもんね。
カレーという食べ物には、そうさせてしまう何かが
あるんでしょう。
さつまいもだけじゃなく、かぼちゃや豆なんかも同じように
煮込めば甘味やほくほく感がカレーに生まれます。
野菜の甘味はカレーのいい隠し味になりますが、
具として食べるとなると、バランスが大事だと思います。

045
mint/女性/35歳

子どもの頃、毎日土曜日のお昼はカレーと決まっていました。
父も私も姉もカレーが大好きでした。
当時はまだ土曜日も午前中だけ学校があったので、
家に帰る道々、
姉と「きょうはどようび、カレーのひ~」と
歌いながら帰りました。
近くの仕事場から帰ってくる父と一緒に、
吉本新喜劇を見ながらカレーを食べました。
母のカレーは具が大きく、
私たちのは甘め、父のは辛口で、
りんごとマカロニのサラダがついていました。
私は結婚して母になりました。
うちで作るカレーは、
料理好きの主人が買ってきたカレー粉で作ります。
まだ、これという味が決まらず、毎回具を変え、
スープとカレー粉の配合を変え‥‥
まるで化学実験のようです。
3才の息子は、
牛乳でのばしてやるとおかわりして食べてくれます。
いつか息子が、「今日はうれしいカレーの日」なんて
口ずさんでくれたらうれしいなあ。
がんばります。

僕、カレーの味って、それを食べるシチュエーションが
すごく大事なんだと思うんですよね。
これは、他の料理よりも味に深く関係してくると思います。
いつ、誰と、どこで、どんな状況で食べたのか。
特に家で食べるカレーは習慣的に食べ続けることで、
記憶が蓄積されていくから、なおさらなのかもしれません。
土曜の昼、学校から姉と一緒に帰宅した後、
仕事を抜け出して帰ってくる父、味を作り分ける母、
ブラウン管から吉本新喜劇が流れてくる食卓。
すべての記憶がカレーの味と
結びついているんだと思います。
「カレーの時は○○だと決まってる」
ってことが大事なんですね。
そんな風に“カレーの周辺にある要素”が
定まってくればくるほど、3歳の息子さんが
“カレーの歌”を歌ってくれる可能性が高まると思います。

いろんな思い出をありがとうございました。
では、また次回。
みなさんの“カレーの思い出”をお待ちしています!

2013-06-12-WED
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